ドロップアウトして放浪すること
note(ノート)の方では、できるだけproactiveなことを書きたいと思っている。
人生は、自分なりに価値観を探って、自分で意思決定した方がいい。
価値体系を外に丸投げしていると、いつまで経っても人生が自分のものにならない。
例えば、点数や偏差値で価値を決めるという世間の習慣に従っていると、たとえそれで勝利者になったとしても、自分の力はいつまで経っても身につかない。
ゼロから考えて、これが価値のあることなんだと見極め、そこに自分の体重をのせていける人は、失敗しても成功しても、とにかくそのイベントごとに、その結果が自分の血肉になっていく。
ところが、価値観を丸投げしていたり、その外から与えられた価値観の中で優等生的にがんばって最適化したりしているだけだと、その文脈の中では成功するかもしれないし、(一部の)世間からも評価されるかもしれないけれども、それ以上のことはできない。
同じ基準で競争する「レッドオーシャン」の中での泳ぎは身につくかもしれないけれども、自分で新世界を開く「ブルーオーシャン」の中を自由にのびのびと生きる力は身につかないのだ。
だからこそ、人は、ときに文脈を逸脱することが必要になる。
アインシュタインが通っていたドイツのギムナジウムは権威主義的で厳格な学校だったが、アインシュタインはそんな学校に嫌気がさして、ドロップアウトしてヨーロッパを放浪していた。
もし、アインシュタインが文脈の中で評価関数を最適化する優等生だったら、その後の相対性理論などの革命もなかったろう。
人生、時にはドロップアウトして放浪することが大切なのだ。
とりあえずこうやってメモしておきます。
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