アナログな父
私の父はアナログである。50代前半なのに実年齢以上にアナログでしばしば驚かされる。
まず、カタカナ語に強い拒絶反応を示す。去年の3月、専門家会議の会見を父と見ていた時のこと。クラスターだのオーバーシュートだの聞き慣れないカタカナ語に、日本語で言え!と憤慨していた(笑)。私はその時その都度覚えりゃいいじゃんと思ったけど、確かに日本語のほうが分かりやすいと思う。最近はめっきりカタカナ語が増えたが、意味を聞かれると答えられないのも結構あるのではないだろうか。ガバナンスとか。”エビデンス”は、意味は分かるけど証拠って言った方が早くて分かりやすいんだからエビデンスって言う必要がないのでは?父にかかればミネストローネはトマト汁、新幹線も電車、ポテトサラダは芋サラダである。一番驚いたのは、ブルーライトを青い光といった時だ。青い光って言われて一瞬何のことかわからなかった。流石にブルーライトはそのまま言ってほしい。もはや意地を感じる。父はまた日本語の乱れを危惧している。
聴く音楽、映画も昭和や大正、明治だ。三波春夫などの昭和歌謡を好む。戦前の歌もよく聴く。今の歌手、芸能人もほぼ知らないと思う。その影響か、私もドリフなど昭和のものが好きだ。
考え方も保守的だ。男は外、女は内の世界だ。森さんとかよりけっこうすごいことを言っている。でももちろんそれは性差別ではない。はんこがなくなるのもすごく嫌がっていた。文化がなくなると。
でも仕事ではoutlook、wordなどを使いこなしているし、ブラインドタッチもできるし、まるきりアナログではないのだ。そこが面白いところだ。
そんなアナログな父だけど、スマホが与える影響などを悟り子供にすぐ買い与えなかったところなどは、先見の明があると思う。時代に乗ることが正しいこととは限らないと教えてくれたのは父だ。