初心忘るべからず|新卒者へのエール(その2)
前回はIHIへの就職を希望したもののくじで外れて断念したところまでだった。はっきり言って当時の私に就職に関して何か強い思い、希望というものがあったのかというと無かった。ただ何となく考えていたことはあってそれは何かというと。
・大学院には進みたくない。(もう勉強は結構)
・役人にはなりたくない。
・せっかく機械工学科を卒業するのだから世界最強と言われる日本の製造業の現場を体験してみたい。(いまの若い人にとっては想像するのが難しいかもしれませんが平成の最初ぐらいまでの日本の製造業の勢いは凄かった)
また、転職ということを想定した場合、製造業⇒製造業以外というコースは想定できても製造業以外⇒製造業というコースはあり得ないと何となく想像していた。つまりどこかしらの製造業に行くわけだがソニーとかの人気企業はすぐに枠が埋まるので無理、また日産とか東芝とか関東に事業所を構えている企業は人気が高かった。(これらの会社のその後を考えると興味深い)家電メーカーはやっていることをイメージし易いが何となく気が進まない。結果として枠があったので重電の三菱電機を選ぶことになった。その後、工場見学と称して鎌倉製作所を訪問したりした後、丸の内の本社で面接があった。内定の連絡を受け取ったのは鈴鹿サーキットで行われるバイクの8時間耐久レースを見に行こうと一般道をオフロードバイクでひたすら西に向かっている途中であった。
当時の採用人数について触れておこう。1987年の三菱電機の大卒(高専卒を含む)採用人数は約1000人、重電三社と呼ばれた同業の日立製作所、東芝の大卒新入社員はやっぱり約1000人でこんなところまで横並びだった。池袋のメトロポリタンホテルに集められて入社式みたいなものがあったと思う。
配属先については面接の時に希望を聞かれたので新幹線が通っているような街であればいいですと答えた。私としては名古屋とか神戸とかをイメージしていたのだが結果は赤穂、確かに相生まで行けば新幹線に乗れる(笑)。だいぶイメージとはかけ離れていたが、配属なんてそんなものだろう、特に不満は無かった。三菱電機という会社は本社こそ丸の内にあるが、主な事業所は名古屋よりも西の方にある。そもそも発祥は神戸なのだ。でも当時はそんなことも良く知らなかった。我ながら随分と適当だなと思う(笑)。(つづく)
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