emptiness inside

何も出来ないを繰り返しているうちに34歳になってしまった。そして今年も終わってしまう。

宅建は持ってても自宅は一向に売れない。目減りする通帳の残高を睨むが増える気配はない。頭で資金繰りを計算をし、ため息をつく。

就職してからずっと勉強をサボってきた、そのツケを嫌というほど払わされている。喪失した習慣はなかなか戻らない。通勤の往復2時間、スタジオの往復3時間。教科書の中身は意識の圏外を通り過ぎていく。

ペルソナが剥がれそうになった。泥酔した場末のスナック。本能が終電を知らせる。「お前どうせ休みの日も何もねーんだろ?(だから朝まで付き合えよ)」「いや、スタジオ朝早いんで」「え?何それ?」あっ、しまった。まぁ、上司も何も覚えてないだろう。実際後日何も覚えてなかったし自分も家に辿り着いた時に胸ポケットに何故か20円入っていたけどそれが何なのか思い出せなかった。たぶん、銃撃されたときにこれで命拾いするやつだ。

夜空に高く放り投げられたグローブは永遠のようだった。仕事よりも、バンドよりも、ずっと長い間応援してきた贔屓の球団は遂に26年ぶりに日本一になった。自分の中の何かが完結してしまったようだった。オフの出来事もマンガの後日譚のように受け止めている自分がいる。

来年こそは(を毎年繰り返しているが)schedarsはアナログを出す。エミリーは配信でリリースする。齢を重ねるごとに自分が何となく思い描いていた大人像からの果てしない乖離を認識するが、18のときに大好きだったSwerveDriverの、そのバンド名よろしく道を外れたままドライブするしかない。違反者講習を受けながら諦念と決意が脳内でマーブル模様を描いた。途中で寝てしまい「免許はいらないのかね?」と怒られた。

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