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166㎝ VS 2m43㎝ no,4

ちょうどその頃、
部内対抗紅白戦があり優勝しました。
3人が監督に呼ばれ
サーブを打つよう言われました。
ジャンプサーブを打ち
成功したのはうちの子だけでした。

元々緊張しない子で
相手が強ければ強いほど
観客が多ければ多いほど実力発揮できる
お調子者・お祭り男が幸いしました。

後に監督の反感を買うのも
この性格が災いしましたが・・・

「ピンチサーバーでもベンチに
入れればいいじゃん!」と
うちでは大盛り上がりでした。

その後
「オレ、Aチームだから」と天狗になり
一度Bチームに落とされました。
父親にもかなり怒られ・・・笑

ピンチサーバーはレシーブにも入るため
「レシーブもいいな」
「後はアタックだけじゃん。
ちょっと打ってみろ」となり
気づけばエース対角のOH・166㎝で
高2の春高予選に出場しました。

2セットとも24-26で
春高のチケットを掴みかけましたが
漫画やドラマのようにはいかず
手からこぼれ落ちていきました涙

第75回I県大会県予選決勝の17番です。YouTubeに上がってます。
戦評にも名前が載りました。
監督にもすごく誉められました。
観に来ていた中学選抜の監督からも
お褒めの言葉を戴きました。

「オレ、この身長(166㎝)でいい!」
(よくはないけど笑)
と言い出し、
本人も親も長年の身長コンプレックスから
解放された瞬間でした。

初めて表舞台で評価されました。
高身長、スポーツ推薦、先生からの評価等
舗装された道路を一度も走ることなく
雑草だらけで先の見えない道を
ひたすら走り続けてきました。
走ってる場所が前なのか後ろなのかも
わからない状態から
やっと舗装された道に出た、と思いました。

しかし長くは続かず・・・
本人、強豪校と戦う時は俄然
やる気が出て実力以上の力が
発揮できますが、
中堅校以下だと集中力に欠け
やる気が起きず身体も動かないそうで、
それは監督から見ると
手を抜いているようにしか見えず、
高校生らしいひたむきさがないので
よく怒られてました。

レシーブの構えも
父親からはどこにでも動けるよう
脱力状態で構えるよう教わっていたので
監督に「構えろ!」
とよく言われていました。

「他校と話すな」
という監督の方針でしたが
練習試合の昼休憩時
他校と一緒にバレーしたり仲良くなったり
終わった後ご飯食べに行ったりしてたのも
監督の心証が悪く
次第に外されるようになりました。

「なんであんな小さいやつ使ってんだ、
って他校の先生に言われるんだよ!」
と言われたこともあり、
高3春高予選のメンバーは
「身長で決める」と言われ
子どもの中で何かがプツンと切れて
しまいました。

夏休み中盤には
「部員の中で一般受験するのお前だけだから
休部して勉強しろ」と言われ
部活を辞めることにしました。

親的には
「ここまで頑張ってきたのに・・・」
という想いがありましたが、子どもが
「春高に出たかったんじゃなくて
春高レベルのガチバレーがしたかったんだ、
って気づいたから
この先にあるビーチや別のことに
興味やチャレンジが移っている」
と言われ踏ん切りがつきました。

成績はいつもクラスビリか2番目かで笑
周りは皆指定校推薦でしたが
子どもが行きたい学部には推薦がなく
2科目受験+面接だった為
あの時受験勉強しなければ受からなかった
と思うので、監督に言われて
今はよかったと思っています。

大学合格後から
ブラジルではありませんが笑
県内F市にあるビーチバレー施設に
毎週水曜日通っています。
先日小さな大会ですが優勝したみたいです。
プレイヤー年代が幅広いらしく、
「50代のお父ちゃんぐらいの人達の方が
オレよりうまくて動ける、って
どういうこと?!カッコいいーー」
って言ってました。


父親はN市(C県)バレーボール協会会長を
していて、子どもが産まれる前から
一般社会人の大会運営をしています。

子どもが小学生の頃他の社会人チームの
子どもで1学年上に上手な子がいて、
試合の空き時間によく対人をしていました。
アタックもレシーブもうちの子より上で
その子のことを「師匠」と呼んでいました。
2年間同市内の別々の中学校で
お互いアタッカーとして戦っていました。

後にN高校(C県)のディグ専門リベロで春高はもちろん全国に何度も出場しました。
今は大学2部リーグで活躍中です。

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