自 己 紹 介
はじめまして。私の名前はマサといいます。おんぶしているのは、私の大事な大事な宝物、愛息子でございます(あっという間に小学一年生になりました)。
この度は、こんな素人のマサnoteをみつけてくださってありがとうございます。
note自体はかなり前に登録をし、趣味の読書📖に感する記事を書こうと思っていたのですが、令和6年に人生の転換期を迎え、愛息子や皆さまに何か残せないかと考え、書くことを決断しました✒️。
もしよろしければ、自己紹介後の記事も読んでみてくださいね🙇。
1 今までの私
私は社会人になってから、ずーっと医療畑で働いてきました。
医療畑といっても、医師ではありませんし(学が足りないので…………😅)、病院の事務系などでもなく、治療家として今まで活動をしてきました。
私なりに、これまで多くの患者さんの健康獲得のお手伝いをし、近年は、なかなかお子さまを授かれないという方やご夫婦の妊活をサポートしておりました。
私自身には先ほど紹介させていただいた愛息子一人だけなのですが、無事妊娠出産をされた、自身の息子、娘のような子供たちがた〜くさんいます😊。
それを誇りに今まで治療家として頑張ってきました。
もちろん他の症状の患者さんも対応しておりますよ。
そんな充実した毎日だったのですが…………、あの日を迎えます。
2 つい最近私に起きたこと
今年、令和6年5月2日の、朝お一人目の施術中に異変が生じたのです。
その患者さんは医療系の資格をお持ちで、普段の私と様子が異なることを察知し、振り向いた瞬間、
「先生、麻痺が出てるよ。救急車を呼んで病院へ行きましょう!!」というのです。
私自身、過去に患者さんの異変を察知して救急車を要請したことは何度かありますが、まさか私の件で要請するとは思いもしませんでした。
大きな病院に搬送され、医師の診断は右被殻部の脳出血でした🧠。
実は我が家は
・平成7年に父親が脳出血で死去
・令和5年に母親が右視床部の脳出血で緊急搬送。その後奇跡的に回復し、今は何とか一人で生活をしています。
その母親が発症後まもなく一年を迎えるという矢先に、私が脳出血を発症してしまったのです。
何とか命は助かり、急性期病院で約30日、回復期のリハビリ病院で約30日を過ごし、7月初めに退院をすることはできたのですが、脳出血以外の解決をしなければならないことが山積みで出てきてしまったのです。
この件につきましては、また別の記事に記載させていただきますね。
3 これからの私
まずは脳出血の原因となったであろう、今一番の問題を解決することに全力投球すること。
そして、解決後の残された人生は、愛息子とこんな私でも頼ってくださる患者さんの為に誠心誠意尽くすこと。
もちろんまだまだ遊びたいと思う氣持ちもあるのですが、今回の病氣で、人生の終い方を意識するようになりました。
せめて、子供が成人を迎えるまでは生きて、父親として色々残してあげたい。
このnoteもその一つになります。
少し暗い話になってしまいましたが、立ち止まっている時間はないので、今私にやれることを一つずつやっていきます。
こんなマサですが、よろしければご縁をいただければ幸いです。
今後ともよろしくお願い申し上げます。
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