盆栽、はじめました。
「盆栽、はじめました」
会社で使っているコミュニケーションツール、slackに投稿された一言。
勤め先のある若手社員から投稿された。
盆栽? なんで?
ネタで書いたのか、それともガチなのか、コレガワカラナイ。
あまりにも唐突すぎて、ツッコミどころ満載で、若手社員に一体何が起きたのか?
偏見だと思うけれど、ご年配の方が盆栽にハマるのは何となくわかる気がする。
仕事も落ち着いて、余生をゆっくり過ごしたい時の趣味として、盆栽をやるのは理解できる。
けれども投稿したのは今もバリバリ働いている若手社員。
何が一体起きた?
何で盆栽始めたの?
「なんか落ち着いた時間が欲しくなって」
若手社員は答える。
なるほど。
植物を見て癒されたい訳か。
なんで盆栽なの?他にも観葉植物あると思うけど?
「色々植物を見てみたけれど、どうもしっくりこなくて」
多肉植物とかはダメなの?
「あ、多肉植物はちょっと……。一目見てこれじゃないって思って」
多肉ダメなんだ。
「そんな時に盆栽を見たら、これだ! ってなって」
盆栽ねえ…。面と向かって言葉にしなかったけど、渋い。
渋い感性をお持ちだ、この人。
「nonchanさんもどうですか? 盆栽、いいですよ」
そう言って若手社員は盆栽の写真を見せてきた。
ご本人が今育てている、ご自慢の盆栽だ。
おお。いい感じに曲がっている。
盆栽といえば、ぐにゃりと曲がった大きな幹と綺麗に整えられた枝葉だろう。
始めたばかりといいながら、なかなか綺麗に整えられているじゃないか。
すごい。
「強く曲げすぎてもいけないので、結構難しいですよ〜。枝葉を整えるのも、時期があるので今はダメみたいで」
どうやらYouTubeを見て色々勉強しているらしい。
「手入れをしていると、心が落ち着くというか。自分自身の心が盆栽に反映されるというか。心がざわついている状態で手入れをすると、よくない感じがして」
なるほど。
植物を育てると自分の心が反映されるということか。
手を抜けばその通りに植物に現れる。
めんどくさがりの私じゃ植物を育てるのは難しそうだ。
すぐに手を抜くし。
「盆栽いいですよ。盆栽。なんか自分で作っていく感じがいいです」
考えておく、と言ってその後は家に帰ったけれど、なんか頭の中に引っかかる。
盆栽のことが。
自分で作る、か。
子供の頃は自分で色々なものを作るのが好きだった。
特に小さいころはレゴブロックにはまっていた。
あれ以来、自分の手で何かを作ったことはない。
盆栽か。
そういえば盆栽を見た時、かっこいいと思った。
電車の車内に映し出される広告の動画。
動画には盆栽師の男性が映し出されていた。
盆栽師の手つき、そして整えられていく盆栽。
盆栽師もかっこいいと思ったけれど、何よりも出来上がった盆栽の形がかっこいい。
面倒くさがり屋な自分でも、ぶっきらぼうな自分でもできるだろうか。
色々と雑だから手入れが面倒だとすぐに飽きてしまいそうだ。
私の心が汚れていたら、面倒くさいという気持ちが勝ってしまったら、きっと盆栽を買ってもすぐに枯れてしまうだろう。
けれども、自分の部屋に植物がないのはなんか寂しい。
疲れた時に植物をちょっと見て、癒されたい気持ちもある。
休日。
盆栽の展覧会に足を運んでいた。
見事なまでのT H E盆栽たちが並んでいる。
力強く曲がっているもの。
品性よろしく整えられた枝葉を持つもの。
自然の風雨によってぐにゃりと曲がっているもの。
個性豊かな盆栽たちがそこにあったけれど、皆共通しているのは凛とした佇まい。
こんな姿かたちになるまでに一体何年かかったのだろう?
盆栽師たちはどれだけ手間暇かけて育てたのだろう?
盆栽は育てた人の心を映す鏡なのかもしれない。
展覧会の外れにある売店をのぞいてみる。
小さな鉢にたくさんの植物が並んでいた。
盆栽の種類がわからず何を見ればいいのかわからない。
盆栽の種類なんて、かろうじて松くらいしか知らない初心者だ。
すみません。盆栽始めたい初心者なんですけど。
売店の人に聞いてみる。
売店にいたお婆さんが丁寧に答えてくれた。
「初めての方だったら、黒松か真柏がおすすめですよ。手入れが簡単です」
真柏?
頭の中でクエスチョンマークが浮いていた私にわかるように、お婆さんは陳列されている糸魚川真柏を手に取った。
「糸魚川から直接採るわけにはいかないので、こうして枝を黒ポットに入れているんですよ」
「真柏は葉っぱが伸びてきたら引っこ抜けばいいので簡単です」
へえ。これなら面倒くさがりな自分でも手入れができそうだ。
形もいかにも盆栽っぽい。
「黒松の場合は、育って来ると新芽が出てくるので。ハサミで切って形を整えます」
黒松はちょっと面倒くさそうだ。
針金を使って自分が思うように曲げるのは、ちょっと魅力的ではあるが、植物を育てたことのない自分にはハードルが高そう。
「植物は生きていますからね。毎朝水をやって、毎日様子を見ていくと、次第に植物がどんな気持ちかわかってきますよ」
そんなものだろうか?
いまだに半信半疑だ。
「手入れができていないとこんな感じで葉っぱがボーボーになってしまいます」
そう言って、おばさんは黒松の小さな盆栽を手にした。
なるほど。確かに盆栽っぽくない。なんか違う。
盆栽といえば形が整えられた枝葉が特徴だけれども、おばさんが手にした黒松は、ただ無造作に葉っぱが生えた植物だった。
盆栽は手入れした分だけ形に現れるのか。
「自分自身の心が盆栽に反映される」
ふと、盆栽にはまった若手社員の言葉が浮かんだ。
盆栽を手入れすることで、自分の心も手入れできるのかもしれない。
直径6cmの小さな鉢に植えられた、糸魚川真柏を買って帰った。
買ってきたものは、盆栽と言えるほど大きなものではなかった。
糸魚川真柏の盆栽というよりも、枝葉と買ってきたようなものだ。
しかし小さいけれども真柏は、自分の存在を強調するかのように曲がりくねっている。
この捻れ方が気に入ったから買ってみた。
無造作に曲がっているようでしっかり立っている。
力強さがある。
葉の一本一本も多すぎず少なすぎず、綺麗に整えられている。
今は冬の季節だからこのまま。
春になると新しい葉が出てくるから、その時になったら自分がイメージする形になるように葉っぱを引っこ抜こう。
今から楽しみだ。
未来の姿を想像する。
そう考えると、買ってきた真柏は自分の分身のように思える。
盆栽は雑な手入れをすればその通り雑な形になるし、丁寧に手入れをすれば立派な盆栽になる。
心が落ちついていないとなかなか思うように手入れできない。
盆栽を整えているようで、実は自分の心を整えているのかもしれない。
毎朝水をやりながら、葉っぱや枝や土の様子を見ながら、手入れの様子はまるで真柏と対話するようだ。
それはきっと自分自身への対話かもしれない。
直径6cmの鉢に植えられた自分の分身。
大切に育てていこう。
盆栽、私もはじめました。