鴻英良に捧ぐ
大学一年のとき、「考える身体」などという意味不明なタイトルの授業を選択し、いずれにせよ演劇が学べるらしいと臨んだら、メルロ=ポンティやらラカンやら、フーコー、アガンベン等々と、哲学書を延々と読まされる半期になった。課題本の一つであったピーター・ブルックス『肉体作品』で発表することになっていた(と思う)ので、いやに分厚い本を、いつも鞄に入れて持ち歩いていた。その重さが、自分を少し偉くなった気分にさせていたような気もする。高校時代には「他人の考えとか学んでも仕方ないでしょ」と倫理の授業をバカにしていた私の、学問への歩みの第一歩は、本の重みを感じるところにあったのかもしれない(そのためか未だに電子書籍には手を出せないでいる)。
しかし当の教員は、難解でまともに太刀打ちできない哲学書たちの内容について何かを教えてくれるわけでは決してなく、学生の発表を聞いて、よく分知らない演劇関係の固有名(覚えていないが多分タデウシュ・カントルとか、フォーサイスとか、ダムタイプとか)や、古代ギリシャ演劇のあーだこーだと結びつけながら楽しそうに語り出し、ときおり押し黙って考え込み、いずれにせよ結論めいたことは口にすることなく、毎度ぼやっと終わっていく、そんな授業だった。
生き急いでいて、効率よくステップアップしたいという性向の強かった当時の私が、どうして鴻英良に魅力を感じたのかは分からない。振り返ってみれば、「思考」への憧れが彼のもとで生じたのだ、ということは言えるかもしれない。
「考える身体」は2年目以降もずっと聴講していた。その後、大学を出てからもしばらくの間、「あかね」などで飲みながら鴻さんを囲む自主ゼミに参加していた。正直なところ、課題本を十分に読んでいた(読めていた)とは言えなかったし、自主ゼミは手練れが集まっていたのでそこで話されている内容もぼんやりとしか理解していなかった(そしてあまり覚えてもいない)のだが、私の思考のスタイルはほとんど鴻英良のものを踏襲していると言っても良い。自説や同時代に支配的な知を批判してくれるような文献を探し、読みながら考え、行きつ戻りつしながら、じっくりと歩みを進める、それ以外の方法をわたしは採ることができない。
ゼミの後の、彼の「疲れたね」という言葉が好きだった。「飲みはじめようか」の合図になっていた。誘うという行為は少し気恥ずかしい、しかしはやく飲みたいという気持ちが「疲れたね」に表われていた。多分当人は気付いていないだろうけど。
鴻英良の話をすると、「ああ、あの左翼の」などといった反応を示されることがある。間違ってはいないのだけど、いわゆる「左翼」の闘争的なイメージとはほど遠い。いや、闘ってもいた。抵抗もしていた。自らの生の根拠を、権力者に預けることを徹底的に回避していた。その態度は、軽やかで、愚直で、朗らかで、どっしりとしていた、ように見えた。今になって、あの生の在り方の貴重さ、尊さがよく分かる。そう簡単に真似できることではない、しかも彼はそれを当然のこととしていたのだからなおさらである。
彼の名前を出すだけで徹底的に嫌われることも(人生で二度、在学中に)あった。あまり単純なストーリーには還元したくないが、ソクラテスはやはり疎まれることも少なくない。正当に思考を進めるならば、その道を行くのはおかしくないか? そのように問い詰められた人が、ただ怒って背を向ける、これはもう何千年も続いていることなので、どうやら人間の本質の一つのようだ。
敵も少なくなかっただろうが、それ以上に愛された人だった。業界の中心に位置する人ではなかったが、彼を心の底から師とあおぐ人は少なくないはずだ。彼は多分、世界を少し良くした。
学生の頃、経緯は正確には思い出せないが、多分「なんで授業で哲学ばっかりやるんですか?」とでも聞いたのだろう、いずれにせよ「演劇を学ぶことは、哲学をすることと同義だ」という返答があったことを強く記憶している。この鴻英良の言葉(軽口)を真に受けて、私は哲学で修士論文を書くことになり、そこで挫折して、しかしなんやかんやあって再び演劇/哲学のまわりでいろいろ書くようになった。無駄だったなと思っていた当時の知が、現実の切実さと結びついて形になった。
鴻英良に2年ほど前に久しぶりに会えた際、そのことを軽く話したら、「そんなこと言ったっけ」と笑っていた。「でもその通りだからね」とおどけて、しかし真剣に言っていた。
私は経歴を語ったり、プロフィールを書くことが得意ではない。あらゆることが私を構成しているのだし、特定の要素を抽出してことさらに強調するのはいつも躊躇われる。それでも「鴻英良の元で学んだ」ということだけは、いつも第一に思い浮かぶ。そんなこと言ってもピンとこない人も多いだろうから、あまり口にはしないにせよ。
さみしいなどという言葉では、到底おっつかない。「半身が失われるような」「ぽっかり穴があいたような」みたいなお決まりのフレーズも浮かんだがまるでしっくりこない。
ただ、何を書くにせよいつも「鴻さんならどう読むかな」、「流石に「収容所の愉楽」はもはや古いというか前提とすべきで、そこから先の議論が要りますよ」とか、いろんなことを脳内で彼と喋りながら進めていたような気がする。多分、これからは同じようにはできない。半身は失われていなくとも、思考のバランスのとり方に、大きな変更が余儀なくされると思う。
もっとも色んな文章を読んでもらいたかった。もっと色んな話がしたかった。ゆったりしている間に死んでしまった。何をやっていたんだ。何をやっていたんだ。これから書く文章、すべて鴻英良に捧げるつもりで書きます。いや、違う、違うが、鴻英良という稀有な生があったことを、かような生が可能であったことを、少しでも受け継いでいけるように、精一杯やっていきます。
あなたのおかげでこれまでの人生は幸せだった、と言えると思います。これからの人生も幸せに、思索的に、闘争的に、生きようと思います。
とても整理はつきませんが、一生を通じて、あなたの生/死に整理をつけていこうと思います。
ありがとうございました。安らかに。