一歩外へ出る
いつも訪れるTully's Coffeeの、いつもの席に掛けて、いつものチーズケーキを食べ終えてから、筆を執っている。
傍らには、いつの間にかサイズが小さくなっていたおしぼりと、先週末にお喋りさせていただいた、#のびフェス のタイムテーブル、藤原直哉氏のワールドレポートに、Ken Wilber著,門林奨訳の“インテグラル理論を体感する 統合的成長のためのマインドフルネス論”があって、大袈裟に言うなら有為転変について心を向けているようでもあり、また、今ここにある変化という出来事さえ、先に生きる私が振り返るときには全き違ったように抱握されるのだろう、などと“未来を先取りして懐かしむ”感覚を憶えたりする。
地球の裏側にあるブラジルから運ばれて来て、日本で焙煎された珈琲豆(そう、Tully'sは国内焙煎を一つの売りにしていて、アメリカ系のチェーンでブラックコーヒーを飲むなら、専ら私はTully'sである)の風味を味わいながら、表裏一体という二項を統合するためには、地球を外から眺める視座の高さ(宇宙空間に高さという概念はあるのか?)が必要なのだと、至極当たり前のことを改めて考えている。
それこそ、#のびフェス で対談させていただいた、さいとういづみさんとも、それと相似した話をしたようで(ようで、と言ったのは、つい先程聴き直したことで初めて?外から認識したから、オンタイムでお喋りしている間はフロー状態というか、その時間に流れる空気に身を委ねていて、話のthemeなど意識に上がって来ない)、互いがHOMEと捉えている場を、その内と外とから眺めるような、一種冷静な眼差しでもって語りつつ、近い将来に各々が落ち着き暮らしているであろう、その姿を垣間見るような時間であった。
そして、これは私側から見た、いづみさんの未来像がハッキリと、生き生きとした実像として結ばれていたように、きっといづみさんからも、私の未来像はありありと見えていたはずで、ここに対話の妙味があることを、再認識する貴重な機会でもあった。
このことは“おそらく”という曖昧な枕詞を挟むまでもなく、個人から社会、世界観についてまで敷衍していけることであって、すなわち私達は自分から自分を見つめることより、他者を通じて自分を見つめることの方が、遥かに容易いのである。
例えば、#のびフェス の同日に東京都で行なわれた都知事選について、例えば、今秋アメリカで控えている大統領選について、といった社会的なeventにとっても、更には宗教観や科学観というような、ともすると何世代にも亘って引き継がれたために、人々の心身と固着しているような価値観の源泉でさえ、一歩外から眺めればいとも簡単に“一つの対象”であって、自らを縛るものでは無くなるのである(Ken WilberがObjectとSubjectといってマインドフルネスの手法を用いながら、順序立てて世界観を大きく深くしていかんとするのは、正にこういう点においてである。
そして2024年現在において、“一歩外に出る”ことは、場合によっては自発的な意図に付随するとは限らない。
つまり、気がついたら自らを取り囲んでいた壁が、ひとりでに瓦解している、なんてことが起きて、旧来はあれほど越え難いと感じていた枠の外へ否応なしに出ていることに、ある時気付くかもしれないのだ。
それは映画“ショーシャンクの空に”で、50年服役の後、仮釈放された人物が、外の世界の自由に耐えられず自ら死を選んだことに喩えてみると判りやすいかもしれない。
現代の我々は、まさか自分が囚えられているとは思っていないが、先述したような社会や思想、信条、世界観の内に安住しているわけで、それはショーシャンク刑務所の囚人と、そう大きく変わることはないはずだ。
であればこそ、我々は有意識的に壁の外へ向かうことで、望みとともに生きることが出来る、と考えられないか。
脱獄を企てるか、釈放の日を待つかはともかくとして、今ある壁の中の生活が早晩無くなって、晴れてシャバの空気を吸う日は近いのだから、せめて自分が自由の身になったときの思考実験は、しておくべきではないか?
そしてそのためには、自らの狭い了見の中で暗中摸索するより、他者との対話を通じて、つまり他者という光が浴びることで、自らを照らすことを試みた方が、余程建設的だろう。
破壊と再生、スクラップ&ビルド 、再構築-Reconstructionといった遣り方で、旧い壁を壊して自分の新しいHOMEを作る。
家は三軒ほど建てないと思い通りの家にならない、と昔の人は言ったものだけれど、思索の上での建築なら三十軒でも三百軒でも、満足ゆくまで(あるいは命が尽きるまで)し続けることが出来る。
それはとても面白い試みではあるまいか。
後書き
つい数日前、yujiさんが“今日の星しらべ”にて下記のように書かれていたおかげで、人生初のタロットカードを入手した私。
思い立って0時に開封し、大アルカナだけをシャッフルして出たのが、“THE EMPRESS Ⅲ”。
カードの注釈は後にして、まずは私の感じたままにノートへ書き起こしてみた。
カードに歓迎されているなぁ、と思い胸を撫で下ろしたところで、改めて解説書を開くと、“破壊と再生”を初めとして、私が書いてきたようなことが書かれていた。
なるほど、全く異なるところから同じメッセージが届くのは吉兆として、続けてみようか。
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