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長期的視点がなかった私は「自称」平和主義者だったって話

私は、世間でよく言われる「いい人」なんだろう。
周りの人たちに「〜君いい人だね」と言われることも多いからね。客観的に見ると、今の自分はそんなふうに思われているのだと勝手に思っている。

さて、ここで一つ疑問に思うことがある。
「いい人ってどんな人やねん?」
優しい人?
なんでも受け入れてくれる人?
楽しませてくれる人?
親身になって考えてくれる人?
叱ってくれる人?
お金をくれる人?
マッサージしてくれる人?
見返りを求めず助けてくれる人?
いつもニコニコしてる人?
真面目な人?

「いい人」の基準は人それぞれである。
私が周りからいい人と言われるのは、私が周りに合わせるのが得意で、人を助けることが苦じゃないから、結果的に周りに「いい人」に見られているのではないだろうか。そして、この行動の裏には、僕自身の心の中に、人と人との対立(喧嘩)を避けたい、出来るだけ気持ちの変化を少なくし、平和に過ごしたいという思いがあることも確かだ。

状況に応じてカメレオンのように表情や意志を変えることのできる、ある意味素晴らしい能力の持ち主なのかもしれない。(なーに言ってんだーい)

しかし、平和を求め他の人に合わせる行為は、本当に平和と言えるのだろうか。

確かに、その場においては平和な空間が成立する。争いも起こるはずがない。
しかし、長期的視点で考えた時、これは平和につながらない事もあるのではないだろうか。

例えば、会社の人間関係。会社において上司との会話は必須である。だが、上司に対して自分の意思を伝えないままカメレオン(また出てきたか)のようにペコペコ振る舞うことがあったとする。そうした場合、実際その会話中やその前後の短期間においては、上司から可愛がられるだろう。しかし、これを長期的視点で捉えるとどうだろう。会社は上司の思い通りに進められ、自分の思っていること、会社で成し遂げたかったことが実現できなくなる恐れだってある。(雇われているから、しょうがないと言われればそれまでだが、、)

政治に関してもそうだ。
現代社会では、若者の政治離れが問題として取り上げられている。政治離れの原因に関してはいろんな議論が進められている。
私は、その原因の一つとして、

長期的視野を持っていない「自称」平和主義者の増加

があげられると考えている。長期的視野の持ちにくさには理由がある。現代ではインターネットが使われるようになり、検索すればすぐに回答が出てくる。そのため、長期的視野でみることがめんどうだという人が増えたのではないだろうか。
自称平和主義者とはなんぞや、ということだが、私の言う自称平和主義者とは、「自分の意思表明をしないことが平和だと考える人たち」のことである。

ここで、長期的視野を持って政治を考えてみることにしよう。
今後において、戦争が起こる確率は0%と言えるだろうか?
私は、必ずしもそうとは言い切れないのではないかと考える。むしろ、このままいくとどこかで起きてしまうのではないかとも思っている。私自身が生きている間でなかろうとも。

そう考えると、戦争を起こさないためにどうするべきかを考えなければならない。
戦争を止めるためには、どうすれば良いのかと考えた時、政治の果たす役割というは大きいのではないだろうか。戦争だけでなく他の問題についてもそう言った視点で考えてみると、他人事ではなく自分事として捉えられるようになると思う。

こういった長期的視野を持った時、今その時の関係を保つために必死になってカメレオン化(また出た)していた人たちも、長期的視野を持った上で、今この状況で相手に合わせる事は必要かと考えるようになるのではないだろうか。

今は平和でも、長期的視野で見ると平和じゃないかもしれない。
今は多少の争いになったとしても、長期的視野で見ると平和になるかもしれない。

今は仲良くても、将来は仲が悪くなっているかもしれない。
今は仲悪くても、結果的に長い付き合いをしているかもしれない。

人間関係って不思議で、面白いんですね。

選ぶのはあなた次第です。(ん、なんか聞いたことあるぞ?)

             自称ポエマーより

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