たった今いじめられてる人へ

※※基本的に苦痛に耐え忍ぶ必要ってマジでないと思う、って話を下でずっとしますね。そして今回も取り留めがなくまとまりのない文章です。※※

俺はいじめ問題を解決できないし、まるで友であるかのように悩んでる当事者を救えない。なので、俺の頭の中のモヤモヤをそのまま長文として吐き出そうと思う。すいません。最後まで読んでも何かが根本的に解決する答えを書いてはないですが、伝えたいこと書いてるので、悩んでる人は読んでみて欲しい。

なんか「イジメ経験者は普通に脳構造が変化するし、よりナイーブで傷つきやすく脆くなるよ~」みたいな論文がツイートでバズってた。

https://x.com/yunomi_123/status/1851803508116504704

『まぁそりゃそうだよなー、過去受けた虐待的経験が脳に影響与えないわけないよな』と思いつつも、毒親虐待サバイバーでも学校で凄惨なイジメを経験しても、結局その後の人生は続いていくから「私は不幸だから一生引きずって寝込んでいます」とはいかないのがマジで難しいよな~~~。まあ勿論みんなある程度辛いのが人生だけども。でも結局、心の足を折ったことある人も、わりと健全に動くよー、って人も同じ土俵で戦わなきゃならないのって人生ってシビアだなとは単純に思う。

うちの中学校普通に荒れまくってて俺もいじめの対象にされた。自分は当時からパソコンで音楽作ってて放送委員会で自分の曲かけたりレクレーションで企画したりとか、成績は超良いけど体育は苦手すぎるみたいな感じでクラスで大分目立ってたのでしゃしゃってんな的に目をつけられた。まあでもうちの中学はもう全員明日は我が身って感じで、俺みたいな目立つタイプのアスペADHDのみならず、もやしっ子や部活動で何故か浮いたやつ、クラスカースト高いほうの明るいみんなに愛されてるバスケ部の女の子とかまで、ローテーションで目をつけられてイジメられたし、男子が女子を虐めてる現場も平気で見かけた。音ゲーとパソコンにしか興味なかった俺は普通に攻撃性高すぎる狂気的な空間が怖かったので、二年連続で放送委員に入った。部室は防音の重い扉があって、そこに入ると外の喧騒は聞こえない。ガラス割るやつとかもいたから。だから、そこだけが楽園、っつーか防空壕だった。鍵を閉めてみんなで好きな曲を聴かせあってるときだけ”平和な中学校生活”がそこにあったし、震えながら狭い箱庭で俺らは俺らなりの青春をしてたと思う。

学校でのエグいイジメのみならず、幼少期~思春期も、非常に肉体的に性的に精神的に虐待的価値観を持つ家庭を経て、一回めっちゃズタボロになった心と身体を引きずって、良い友人や心理士に恵まれて、どうにか現在ギリギリ社会活動してるけど、一部の周囲に「傷つきやすくて弱い人だね」って言われることあるとやっぱ正直傷つきはする。一応自分なりに戦っている……とは言いたいけど、実際迷惑を何度もかけたしさ、あとまあこれ周りの人に君は強いって言ってもらってもしょうがないんだよね。俺の残存するトラウマの世話を友達なり恋人にこれ以上してもらうわけにはいかんし。どんなにハードゲーだったとしても自分の人生のツケは自分で払わんといけないのが大人の辛いところで、というか、「俺は頑張ってきた強い人間だ」というのは自分自身が自分に言わなくちゃいけない。百万人が言ってくれたとしても自分で思えない限り意味無いよ。でもじゃーどうすれば良いんだろうな~ってのはなかなか結論が出ないままで居る。

少年漫画やドラマのツイッターでバズる名言集(俺的には戯言だ)のように「傷ついた経験が人を強くする」「傷ついた人は人に優しくなれる」なんて正直無いと思う。だって脳構造が変わるんだぞ?傷ついた人はより傷つきやすくなるし、世界に怯えるだろう、普通に。もし、このnoteを読んでいる中高生(いや大学生や社会人もだ)で現在もしかして自分がイジメられてるかも……って思ってる人がいたら今すぐに引っ越せ転校しろと言いたい。仮に親に反対されてもそれは親がおかしいからばあちゃんやじいちゃんに言って強行してほしい。勉強さえちゃんとしてれば登校拒否したって良いよ。ってか先生は頼りにならないから、弁護士や警察を巻き込んで大事にしろ。証拠集めたら被害届普通に出せるらしいぞ。アイツには手を出すなみたいな不文律ができるらしい。ヤられてる側が世間に気を使う必要などない。世間体なんかより君の心のが大事だ。仲良い友達がいたらLINEで連絡を取れば良い。人間の脳はどんな現状にも慣れるように出来てる。自分が当たり前に人権侵害されてる状況にも恐ろしいことに人は慣れてしまう、しかし、そうやって歪ませた自意識と圧倒的に鬱屈した抑圧は大人になってから病として顔を出すし、長引くと思う。いじめは乗り越えるべき試練などではない。人間社会に連綿と連なる搾取と殺し合いの病的な輪廻からは一刻も早く距離を置いて逃げたほうが良い、頭がおかしくなる前に。

ただこう一定期間以上いじめられたり、もしくは配偶者のモラハラに耐え忍んだ人ってもう、そこから逃げたり自分を守る機能もブッ壊れるな~~~と肌感として思う。家で虐待を受けてた子ほど学校でいじめの対象になりやすいのは、家庭内で生き延びるために自分から卑屈でマゾヒスティックに「僕は軽く扱っていい人ですよ!」ってツッコミ待ちみたいな道化として振る舞う癖がついてしまうからだと思う。俺がそうだった。一定期間以上いじめられ続けると、いじめてくる相手に怒るのではなく、何故か(自分と同じように)我慢し続けないいじめられっ子に対して怒りを感じるようになっていく。酷い目に遭ってる人ほどその場所を逆に離れたがらなくなるらしい。他の場所でもっと酷い目にあったら絶望的だし、今いる場所が良い場所だって自分に暗示かけないとやってられなくなるのだろうな……。

うちの家庭はボロボロだったと俺は思うけど、それについて当人同士で話せる内容は今後も一切無さそう。一定期間以上、明らかにおかしい嘲笑/憤怒/理不尽に曝されてきた一族なので、それに対して「これっておかしいんじゃないの?」と抗議する力はまるで失われてしまっていて、「まともな家庭だったし、あんなのはどの家でもよくあることだ」と否認/抑圧することに終始してしまっている。で、それは別にうちの一族に限らずよくある話らしい。そういう環境の中にいると被害者は全員マゾヒスティックになるというか、お互いがお互いの人権を殺していくような皮肉をギャグとして言い合うような習性を覚えていく。その空間の中にずっと居る限り、自分は永遠に一人の人間として自立した自尊心を得られないのが火を見るより明らかだったので、凄く時間はかかったが結果的に家族と距離を置くことになった。というか、自分は大人になって様々な外の世界の見識、見解と触れた結果、小さい頃と比べて親が喜ぶように、好む文脈で立ち振る舞うことが生理的に困難になってしまった。最初は親に対しても「気付けようちの一族おかしかったし俺の扱いもヤバかっただろ」ってめっちゃ声高に訴えてたけど、そういう精神分析の本も実家送ったけど「終活で処分した」言われたし。まあでも今思うとこれは俺が間違ってた。冷静に考えて残りの人生のほうが短い人達だ。これは皮肉や当てつけでも何でもなく、幼き日の可愛くて無垢だった俺の記憶と戯れているほうが、今現在リアルの俺と対面するよりも圧倒的に幸せだと思うし、だからこそ、正直今後一生顔を見せないのが俺に残された、そして俺にできる唯一最大の親孝行だという気がしている。だし、俺自身が別に盆正月に家族に会いに行くみたいなルーチンに対してダルいな~しか思わない性格だし。これは恨みとか関係無く。なんでもかんでも刮目することばかりが良い選択肢では無い。人権意識は非常に低い環境だったけど、金銭的に自分が音楽の才能を育めるようにめっちゃ組み立ててくれたし、教養をくれた家そのものには本当に感謝している。だからこそ俺は母にも他の家族にも余生を幸せに過ごしてほしい。結局分かり合えない人っているし、現実の世界で関わるのではなく記憶で関わるってのは家族に限らず、誰相手でもわりとアリな選択肢だなとも思う。まぁ俺は記憶から完全にデリートしたいけど。妹と従妹以外は。

この本わりと面白かった。定型発達の人の持つマジョリティの習性って病的だよねみたいな。まあ簡単に言うと、健常者にとって「表で素敵な事を言いつつ裏の本音で相手とカードバトルをし、かつ蹴落としてでもカーストの上のほうにいくことこそが人生の本懐であり、それが無い世界は色褪せたつまらん世界なんですよ」みたいなことをエピソード交じりで医師が紹介している本。この方の主観が大分強めではあるのだが、一つの興味深い観点を得れる作品であった。

俺にとってこの世界はカービィと音ゲーと、あと作曲っていうお金もらえるゲームをして、あとは好きな友達と過ごすみたいな小学生レベルの解像度だからな。で、大人になった今も根本的な趣味がマジで変わってないし、少し哲学をする立場(リスナーの人生をどのように支えたら良いか……)に変わっただけで、精神年齢は大体中学1年生くらいだ笑。ほとんどの健常者にとってこの世界はそういう風に出来ていないらしく、人生はミミズの動きに興味を持って丸一日見るために存在するのではなく、あくまで相手を蹴落として勝ち上がるためにあるとか。いやでもなんかそういや大学時代に、中学の友人に「部活のバディの友達の彼女と彼氏の家で寝た」って話を自慢げにされてすげードン引きしたことあるな。いや勿論俺にも色んな可愛い女の子とそういうことをしたいって願望は人一倍ある(曲にもエロさは投影される)が、その話は相手の女がどんな人かは関係なく「親友の女」っていうコンポジションにしか興味無いのが相手を人として見てない感じがして引いた。あと、俺は欲は強いが浮気は出来ん(ごめんなさい。人生で二回だけしたことあるがどちらも5秒でバレました。ここに白状します)。本当に嘘が苦手で秒でバレるのと、罪悪感やモヤモヤを抱えるのが死ぬほど苦手だからだ。

でも進化論として正しいのは親友の彼女寝取る人間だよな。全員が俺みたいに興味あることにしか興味無かったら、人類はとっくの昔にライオンや虎に食い殺されて絶滅してたんじゃないか?仕事の先輩に「ケンカイくんは生物学的に弱くてマウントを取られてしまうとこがある」と言われたことがあるんだけど、これは特に傷付かず、非常に的を射てる慧眼と思った。2024年にパソコンに向かっていられる環境が確立された世界だからギリギリ生きてけてるというか……でも実際、本当に蹴落とし合いとかしんどすぎる。だから今は生物学的に少しは強くなる努力もしてるんだけど。運動したり自信持つことによって……。

「いじめが今のお前の原体験になってるんだな」と同様の友人に言われたとき殺意に近い憎しみを覚えた。まあというかそいつにも俺は精神的いじめと目される酷い発言受けてたし、当人が言うの?みたいな。これは彼に対してだけではなく「俺達を何か心地良い物語の中でまとめようとしないでくれ」とめっちゃ思う。どいつもこいつもアーティストといじめを結び付けて綺麗な物語を紡ごうとする。美談にするなよ。いや、綺麗っていうよりまとまりの良い物語。結局人間の脳ってモヤモヤしたものや結論が出ないことが嫌いだし、「辛い目にあったけどだから今のケンカイさんがあるんですね!」って物語は分かりやすくて良いんだと思う。でも別に、学生時代よりは他人との対話も慣れたし、当時できなかったこともできるようになったし、手が届かなかったものもある程度届くようになったけど、俺は今でも当時のことを思い出して悲しいし嫌な気持ちになったりすることある。たびたび。いじめの経験が何か自分の音楽の役に立ったか?と聞かれたら「分からん」としか言えん。大体自分が人生で受けてきたどんな経験がどういう風に寄与して今自分はこうなりました……なんて大方のところ俺は妄想としか思えん。そんなもの自分でも分からないだろうし、俺は今選んだこの人生のこと以外何も責任を持てない。だから当然「いじめ被害者はこういう風にすればいいんだ、俺はそれを乗り越えたサバイバーだ、俺のように生きればいいよみんな!」なんてとてもじゃないけど烏滸がましいことだから言えないし、あと、俺は俺の痛みしか分からないから他の辛い目に遭ってる人達の痛みを結局は分かれないので、何か偉そうなことを言うのは非常に失礼なことなので。できない。あと、公平を期して言うと俺は悲劇のヒーローでは断じて無く、高1の後半〜高3までの俺の他人をイジる言動は普通にいじめに値するものだったと思う。前半でからかいの標的にしてきた奴らに防御としてやり返していた、という理由はある。けれど、だとしてもエスカレートしていたし、俺も全然イジメの加害者側だった。それも、コミカルでポップにネタ化して皮肉的に嘲笑する、その、最も死にたくなるけど場の空気的に言い返しづらい、笑いにしなくてはならない、そういった言葉の暴力の引き出しはゾッとするくらい俺の実父と実母のやり方にそっくりだった。贖罪の気持ちはある。だが、彼らも彼らで当然今俺に会いたくないだろうから謝罪にもいけない。いかない。もし彼らが謝罪を望むなら、今の自分が尽くせる言葉は尽くすが、一方的にそれを押し付けても罪悪感から逃れたいだけな気がする。

今の自分を幸せとも不幸とも思わない。幸せに感じることもあるし、未だに悩み貫いてることもめっちゃあるし、かつ、まだ俺の心の奥には抑圧された蓋があって、その蓋の奥がどう思ってるかは知る由もない。これ本当に思うんだけど、人は、特にクリエイターは、自分がどのような人間であるかを決め付けた瞬間から感性が死んでいくと思う。本当に今の自分は自分を幸せに思っているのか?俺は常に疑問に思っていたいし、そうでなくてもこの世界ってのは「今の貴方は!恵まれていて!幸せなんですよ!」と言い聞かせるような暗示、またはその逆(「今の貴方は!不幸だから!お金払って改善したほうが良いですよ!」)がテレビ、雑誌、町中の広告にめーーーーっちゃ溢れていると思わんか。どんな状態の人間の脳内にも苦悶と葛藤は生まれ、そして(素人の俺が色々な精神分析書、主にアリス・ミラーと佐藤紀子のを読んで得た考えとして)それを抑圧/否認するように出来ている。そうなったとき、人は自我を目の前にある苦しみから逃れるように出来ているというか、誰もが自分は幸せだって思い、そして自分を賢者だと思い、世界を真っ向から味わう側ではなく見下して観察する側として振る舞いたがるのが自然の摂理だろう。そうやって蓋をした人間の言葉はだんだんと人の心を打たなくなっていくと思う。殊更表現の世界において自分の身を隠して防御しながら誰かの心にリーチするのは(俺は)不可能だと思うからだ。まずは心のパンツを脱ぐことから始めないといけない。

……なんの話だったか。そういじめの話。でもなんか俺がこんな悠長なことを言えてるのは今俺が防空壕の中に居れてる(今俺は在宅で仕事のほとんどを進められる作曲家という稼業についてる)からってのもあって、たった今酷い目、キツい目に遭っている人に何ができるのか……そういうのはわりと毎日のように悩んでいる。冒頭で言った通り「逃げろ、今すぐ逃げろ」ってのが、もう本当俺の心の叫びって感じだけど。俺は逃げなかったから精神疾患が後引いたし本当に長い間大変だったから。でもそうだな、あくまで主観だけど、いじめという凄惨な事実と向き合うメンタリティの話はしておく価値があるかもしれない。ここだけは年上面してみようかな。

まず第一に貴方がイジメられたのは貴方に人間的価値が無かったり、貴方が不細工だったりするからでは決して無いというのは誰かが言ってあげなきゃならないことだと思う。一応大人としてそれなりの年月を生きてきて……いや、全然まだ未熟だけど。イジメの対象になる人ってのは、とにかく、周囲の顔色を伺ってたり、怯えてたり、感情がすぐ顔に出てコントロールしやすかったり、凹んでるのがバレやすかったり、とそういう人達だったな、と。もうほんとそれだけなんだよね。あと何よりも大きいのは相手に言われたことをめっちゃ真に受ける人だな。人間の中にある暴力の因子ってのがあって、精神や肉体を殺されて惨めな思いをした人は、自分よりも弱そうな人がいたときに、少しでもいじめ側に立たなくてはならない、みたいな強迫観念がある気がする。そして、虐められる側はマインドコントロールされやすい。どんな人の言うことも素直に聞いてしまう。でも、相手の意図の中にあるのは「こいつをコントロールして支配の快感を見出して、少しでもこの辛い人生の苦痛を和らげたい」しか無かったりするので、真に受けると本当に地獄が待っている。

少し冷静になってみてみると、別によく見ると凄く顔立ちが整ってる男の子なり女の子が、クラスのボス猿みたいな人に容姿をめっちゃ叩かれたり貶されたりしていて、で、ボス猿はよく見ると別に全然カッコ良くも可愛くもない、ってケースは色んな中学校や高校で散見される。特に男子の場合「イジメっ子は優しいやつよりモテるケースが多い、なんでだ!」ってのはSNSでも現実でもよく聞かれる声ではあるけれども、別に「この人はイジメてるなんて素敵!」って言ってモテるわけじゃないと思うよ。別に大多数から見てイジメは別にしてることそのものがプラスのプロモーションにはならない。ただ、早くからイジメのボス猿になるようなやつは、この学校という箱庭が真実ではなく、カースト上位という椅子を取ったものには全てが与えられる理不尽な空間であることを早々に認識している。そういう認識が出来るやつは、自分を"モテる、強い、カッコいい"かのように演出する大切さを幼い頃から知っているので、まあ、結果的に早い段階で彼女ができたりするんだと思う。

イジメられて可哀想だ、君は何も悪くない、そういう風に怒ってあげる読者の親友の立場には俺はなってあげられない。何故なら、俺は圧倒的他人だから、それをやると欺瞞になるから。その役割は、君がネットで見つけた友達や、もしくは俺ではなく俺が描いてきた歌が代わりに担ってくれると思う。そして、当然俺がしている音楽稼業も別に慈善事業ではない。俺は俺が幸せに生きるためにこの仕事をやっているし、俺自身の中に居る小さな子供を救うために音楽を作っている。それでも、せっかく作るからには俺の大切な人を救いたいって気持ちがあるから、いつだって第三者に対する想いは込めながら歌詞書いてるけど。ただ、このnoteっていう俺の圧倒的趣味の文章アウトプットの場所で今最も辛い目に遭っている人の心のモルヒネとして機能する優しいポエムを書くのは、なんかこう、俺の中で不誠実な言動だなと思うのでしない。すまん。本当に辛い思いをしていると思うが、君の親身になれない。

ただ、この世界は圧倒的に広い。そして、俺含め、ほとんどの人が良い意味で君に関心を持っていない。場所を移して態度を変えれば世間の目線や評価なんて180度変わる。学校は地獄だったけど塾では人気者、あとネットで同じ趣味の同い年の友達できたら親友なった、そういうことがめっちゃある。だから、一部の心無いヤな奴に酷いことを言われたからと言ってマジで真に受けるな。アイツらは誰でも良いから支配する獲物を探していて、君はたまたまそれにロックオンされただけなんだ。そんな奴らはバカだと一笑に伏せ、で、相手したり試練だと思って立ち向かう必要も一切ない。馬鹿は、ゴミは、相手にしないでスルーして逃げるのだ。逃げるが勝ち。今すぐ逃げろ、その環境に慣れたら君は自尊心を犠牲にして心をマヒさせて、自分はゴミで当たり前っていうとても面倒な自意識を今後長い間抱えることになる気がする。とにかく世界は広い。でも、いじめというのは恐ろしい洗脳で、大の大人だろうと東大生だろうと世界の広さに気付かなくなって一生そこから抜け出せなくなる恐ろしいメカニズムだ。人生は短い、そんな奴らに心惑わされてる暇があったら、全然君と楽しい会話ができるやつが世界中に沢山転がっている。

あと、俺は君の親友になれないし、君のことを支えられないし、君のために涙を流してあげることも出来ない。だが、俺の曲は、いつだって君の傍にいる。俺が提供する曲の中で、ある程度首尾一貫した主張をしている部分もあるが、180度違う主張をしている曲も存在している。その中で、今の君に一番しっくりくる曲を、君の友達として選ぶんだ。俺の代わりに、そいつが君のことを今後も支えてくれると思う。

そして、死について。本当に本当に最悪の場合、たった今死を考えている人もいるかもしれない。俺は死ななかった。マジで死にたい瞬間クソ多かったし別に今もたまにあるけど死ななかった。それは、俺に根性があったとか俺が強いからではなく、逆に弱いし決心できないタイプだから踏み切れなかった。シンプルに死ぬことに対して痛そうで怖そうだしその先に何が待ってるか分からな過ぎて怖すぎるなー、って感情で踏みとどまり続けてきた。でも、今だってたまに死にたい。だから君の死にたさを取り除く術も知らない。そして俺は心配だ、何故なら、君は恐らく俺よりも真面目で強いからだ。そういう人のほうが、ふとした決心で飛びたててしまう勇気を持っている、俺の経験がそう言っている。俺も5人くらい友人を自殺で亡くしている、みんな、とても強い人達だった。芯がある人達だった。

これに関しては本当にどうすればいいのか分からん!!!!!!!!!たかが30そこらしか生きてない俺が偉そうに言える内容も無いし。でも、それが誰であれ自分と一瞬でも触れてくれた人が死ぬのはなんか絶対に嫌!!!!!!!!仕事的にあんまりリスナーと距離が近付きすぎるのはNGだよなーと思いつつ、仮にDMで死にたいって言われたら必死に止めちゃうだろうなーとも思うし。。。すいません。分からん。とりあえず俺には解決できることじゃないから精神科でカウンセリングは受けて欲しいってのと、あと、俺はこれからも続々新曲を出すので、そして、常に進化して貴方に幸せをもたらすために努力をするので、ケンカイヨシの曲が好きだから今後も聴くために生きる……みたいな選択肢を取ってもらえたりしないだろうか。。。。。頼む。生きててくれ。マジで。

ああ、達観した素敵な賢者になれたらどれだけ良いだろう。俺は今だって思うように動かない自分の身体や心を呪っている。俺人間力だいぶ低い。弱いとかナイーブとか根性無いとか言われたら普通にムカつきまくるし。逆ギレしたくなる時あるし(なるべく必死でこらえてる)意地悪する人許せないし、死ねまで思わなくても全然全治3ヶ月の怪我とかして欲しいし。人恨むし、そいつがちょっと嫌な目に遭ってるの見たらざまぁwって思うし。でも俺は自我をセレブリティや立ち回り、または洗練されたキャラクター構築でコーティングしてプロデュースするなんて一生出来ん。俺は俺だもの。愛されたかったしもっと心と身体が元気なら良かったし身長も後10cm高ければ良かったなーとフワッと自分と周囲を恨む反面、音楽創れるスキルあって良かったなーとか大人になってから公私ともに出会いに恵まれたなぁ、心と身体がそんなに元気じゃなくても音楽は量産できる仕事だから良かったねとも思う。今でも愛されたかったし愛したかった。でも俺は家族愛を知らんし、あの空間で起きてたことを愛と定義してしまったら未来の子供にDVしそうだから一族を捨てる道を選んだ。知らん。でもなんかこう別に毎日ちょっとだけ死にたくはある。でも永遠に死なない。死ぬつもりない。とりあえず言えるのは大人ってSNSとかで自分の素敵なものしか見せない傾向あるけど、アラサーのそれなりに実績を持って売れた音楽人の俺も一ミリも悟ってないし幸せになってないって伝えたい。幸せになんてなってたまるか。俺は一生怒って悩んでいたいんだ。ヌルいこと言ってヘニョいアウトプットするくらいなら俺は中指立てながら老衰で自殺する。達観したフリする人生なんて死んでも選んでやらない。まぁだから、大人も死ぬほど苦悶してるから安心してくれ、一緒に地獄を生き延びような。は〜〜〜

……以上、本当に取り留めのない長文駄文だが、ここ最近自分がイジメについて思うことについてつらつらと書き連ねました。

とにかく、逃げろ!洗脳されるな!惰性で良いから生きてくれ!俺からは以上である。(終)


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