【ライヴ・レポ】一皮向けたシクフォニ、増幅される「CHAOS」に視るアートの摂理

皆さんこんばんはケンカイです。最近はヤマモリのタイカレーに死ぬほどハマっています。皆さん「ヤマモリ タイカレー 全種セット」で検索して購入すると良いですよ。急に家がタイ料理屋になります。

さて
SIXFONIA One Man Live【Six-tuation】vol.Ⅰ -CHAOS-
遊びに行ってきました!9月は夏休みで心身ともに大人しく暮らしていたのですが、シクフォニに関しては相当な曲数を担当させてもらってるし、流石にワンマン・ライヴは行くぞ!ということで10月27日、同じくシクフォニの楽曲を共に担当した友を二人引き連れて参戦してまいりました。


※これ以降感想を書くのですが、セトリなどのネタバレも含むので、まだ知りたくない方はここでブラウザバック(死語)してネ!m(_ _)m※


シクフォニはリリース・ペースが早いことでも有名で、1stワンマンの時点でライヴではやりきれない数のオリジナル曲を有していたので『最高だったけど、あれもこれも聴きたかったよね~』みたいな気持ちが当時もふわふわ残ったりしてたんだが。ちょうどその!痒いところに手が届くというか、まさに『これが!こういうパフォーマンスが!見たかった!』という気持ちを満たしてくれる、とても素晴らしいライヴでした。

思いのほか(歴代の歌い手史のみならず、日本に存在するボーイズ・バンド史としても)有り得ん、物凄い速度で売れて。立場としてシクフォニは「大メジャー級の」歌い手グループに名実ともに成り上がってきた。で、これは歌い手に限らず様々なアーティストが抱えるジレンマだと思うのだけど、お茶の間に存在が知れ渡ると、だんだんと(多方面の需要に応えるために)ポップで棘の無い作風に寄っていって、結果として当人達の個性も少し薄れてしまう……という現象は古今東西どこでも多い。そんな中、シクフォニはむしろ1stライヴよりも攻め攻めで、人を選ぶ、先鋭的なパフォーマンスや演出をむしろ洗練させていたのが個人的に一番嬉しかったのね。

何よりもしっくす~MeDi信の流れ!!!自分自身(大ヒットしたJ-POPや洋楽と同じくらい)前衛音楽や実験アートをこよなく愛する身としても、幕張メッセという規模であんなに挑戦したパフォーマンスが出来る、というのは(ファンの皆が喜ぶだけではなく)日本の音楽の面白さ自体を底上げする、という意義があるんじゃないだろうか。(幕張メッセで#家出少女と絶叫させる歌い手グループが他に存在するだろうか笑笑)楽曲のみならずCHAOSゾーンの演出自体が凄く面白かった。特に72くんのパフォーマンスは、鶯谷キネマ倶楽部にアングラ演劇を見に来たのではないか?と錯覚してしまった。

一音楽ファン、リスナーとしても、ここ10年で日本の音楽は非常に先鋭的で、面白くなってきている。かつてJ-POPとしてメジャー・リリースが有り得た曲調以外のヒットが沢山出るようになった(主にネット・ミュージック、ボカロにおける、検閲されないミュージシャンシップの発露を通じて)だけでなく、そこからの揺り戻しで予算をかけたメジャー・アーティストも、かつてなら有り得ないくらい音像的に攻めたり変わったことをすることが許される土壌ができた。(星野源さんの「創造」など、役者も兼ねてるお茶の間のスターが、あんな尖った曲を自ら編曲も手掛けて世に出すなんて、10年前に想像できただろうか?)そんな中、シクフォニがあくまで歌手やボカロ界の存在ではなく"歌い手として"これだけ攻めたパフォーマンスをして、かつ、幕張メッセイベントホールを満員にし、これから自らの感性を磨いていく若い世代の子達を触発する……というのは、文化的に素晴らしいことだと思う。

……まあ、別に音楽は所詮娯楽だし、文化的に何かを推進する、触発するという影響力を別に持とうとする義務があるわけでは無い。まあそうなんだけど、俺自身が一リスナーとして尖った表現、過去、そのシーンでは存在し得なかった斬新な何かに心惹かれるので、まあ、シンプルに様々な文化が水面衝突して0.1秒単位で変化し続ける流動体のような……そういう在り方の音楽を作りたいし、自分が担当するアーティストにも、そういう役割を担って欲しい……みたいなことを勝手に妄想し、想像の中で押し付けている(?)

自分はボカロPのふぁるすてぃさんのことは詳しく存じ上げないのだが、「アンダーリズムサーカス」は本当に完成度の高い曲だなと。メロディと起承転結、コーラスアレンジまで非常に洗練されてるなと。口ずさみたくなるチャーミングなサビが最高で、ライヴで聴くとより魅力が伝わった。

ソロの楽曲群。俺はメンバーのソロ曲には一切関与してないのだけど、グループ全体曲で歌い手界の前衛を自負し、よりキワキワの表現を突き詰めているからこそ、そんなメンバー達を手堅い王道曲で地に足の着いた現実の存在として描く、という重要な役割を果たしているように感じた。シクフォニは作品によりメンバー達がそれぞれ作詞やラップ詩も担当するSelf-containedなユニット。そんな彼らが発する「君達が推し、愛している彼は、痛み、苦しみ、悩みもする一人の人間なんだよ」という粗削りなメッセージは、ギリギリのキワキワで常識を破壊していく六人のメンバー達に、より立体的な像を与え、かつリスナーに勇気を差し出している気がする。特に俺は作詞家としてのこさめくんが好きだな。プロの商業作家とか、そういう種類の語彙ではないんだけど、シンプルで素直な表現の中に自分らしい実直な愛や誠実さを込めている感じがして、「Rainy Journey」は凄く好きな曲。

まあ、細かい、あのメンバーとこのメンバーが、振りが、って話は俺よりもファンの皆様のほうが絶対解像度高いから此処では触れない。何より素晴らしいと思ったのは、彼らが体験をクリエイトしていることだ。シクフォニはファンの年齢層が広い。ライヴも中学生くらいの子から俺より年上の社会人の方まで、とても多く賑わっていた。(なんでも、俺の従妹の友人に70代のシクファミの方もいるらしい)歌い手グループにハマる前は、尖った音楽や前衛的表現に触れたことが無かった人も多いだろうし、そもそもライヴというものを初めて体験したのがシクフォニだった、とか、シクフォニのライヴに行くために今まで着なかった種類のコスチュームに挑戦した人もいるだろう。"攻める"の本質は俺はそういうことだと思っている。当人達だけがぶっ飛んだことをしているのでは意味が無くて、そこで為されている個性的/前衛的/先駆的な表現に触発された、リスナーが、消費者が、ファン自身の人生に攻勢が生まれてくる、ということこそがアートの醍醐味。それは(部屋に引き籠って面白いアートを突き詰めてるただのヲタクである)俺一人では絶対に為し得ないことだし、シクフォニ、シクファミの皆様に「俺のアートを俺だけじゃ届かない場所まで届けてくれてありがとう」と心から言いたい。そういう、なんでもないエモーションの積み重ねに俺は活かされ、生かされている。

一緒に仕事しててシクフォニの一番の魅力だなーと思うのは「裏方から本気を引き出すのが上手い」ということだ。それは彼らが常に全身全霊本気でパフォーマンスをしている……だけではなく、それぞれの作曲家、イラストレーター、動画師の魅力を十二分に理解した上で、最も面白そうな御題で発注してくれるからだと思う。長年続くアーティストはファンだけでなくスタッフに愛されて、味方される。「シクフォニの案件だけは採算度外視で頑張りすぎちゃうんだよな~」と言わせたら勝ちで、かつ、世間大衆を先導していく"アーティスト"足るには、それが必須要綱でもあると思う。

まあそんなこんなでシクフォニのライヴは非常に楽しいです。
シクファミの方も、それ以外の方も、ひょんとふらっと足を運んでみてはいかがでしょうか。 ~終~

【追伸】
ファーストライヴのときにめっちゃエモい長文書いたんだけど、ツイッターのツールの操作ミスで消しちゃってマジで悔しかった笑
んだけど、TikTokに転載されてるファンの方がいました。気になる方はTikTokでケンカイヨシで検索してみてください。

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