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例の件で思う事の話。改め、内側側副靭帯を損傷するとやってくる様々な感情の話。

こんにちは。私、けんじゅーです。
なにかと便利なコドモオジサンです。
一日一回は世界平和と自分を含むすべての人たちのダイエットの成功を祈りつつ、ご飯をいっぱい食べる日々です。
前回のno+eには長々と自己紹介的所信表明を投稿しました。今に至るけんじゅー少年の原体験の一節をダイジェスト的にご紹介させて頂きました。

要約すると『テレビっ子少年は当時のテレビ編成から成るムーブメントでヒーローっ子少年となってスクスクと育ち、いつしかヒーローに関わるお仕事をするおじさんとなりました。めでたしめでたし』な感じで。ちょっとしたドキュメント番組だったらちょっとした良い感じの回想映像を作って貰えそうなちょっとしたエピソード。
構成的にも『私が何者であるか』を仕事遍歴なんかを箇条書きせずに駄話の流れで過去のエピソードなんかを引っ張り出して良い具合にまとめちゃう。
目標に掲げた文字数を若干超えちゃいましたが本人的にはコラムっぽい良い着地をしたと思っています。no+eにたまに見かける[目次]作って[箇条書き]して最後に[まとめ]にする書き方が好みではないだけなのでアレを否定してる訳でもあの書き方をしている人を嫌悪している訳はないので誤解の無いようお願いします。
まあ、このno+eは何処ぞの連載でも無ければ締め切りも無い自分語り。どんな書き方をしようが自由な訳です。逆にコンプライアンスチェックも誤字脱字・表現方法の校閲も編集も、担当は自分で責任も自分。クライアント様の顔色も伺わないで済みますし無理難題を押し付ける人も要望を聞く相手すらいない。前回の記事だけでno+eをやった感が満足なら(若しくは手応えが無ければ)あの一回こっきりで終わりにもしちゃえる。no+eの規約に沿った上で言いたい事をやりたい様に出来ちゃう素敵な世界な訳です。
嗚呼、素晴らしきかな It's a wonderful Internet World !!
さあ、皆さんもご一緒にこの素敵ワールドを謳歌しようじゃあありませんか!!


と話は逸れますが、とある信頼筋の方から日常の全てを倍速で生活するZ世代には大凡5,000文字は最初から読まない、とご教授頂きました。
なるほど!映画ですら倍速で観る忙しい皆さんには5,000文字はダラダラと無駄な寄り道ばかりする記事なのかもしれませんね。
私だって興味無い他人の長々した自分語りなど聞きたくはありません。そんな人程、長々とダラダラと、同じ内容をツマラ無いエピソードと自慢の武勇伝を添えて愚痴グチと繰り返すのです。
「そんな大人になんかなりたく無いヤイ!」と、あの日のけんじゅー少年も力強く思っていました。然し、その想いは歳を重ねるごとに儚くも無残に砕けた様です。長く生きている分、自ずと語りは、文章は長くなるものです。諦めてください、貴方もきっとそうなります。

・・・という、この冒頭からガチャガチャ言ってる部分が無駄文では無いか?と、別の信頼筋の方からご指摘頂きました。
クドいんですよ、仕方ないんです。諦めてください、コレが私の芸風なんです。楽しいんですよ、この文章の構築が。
でもこのクドさはきっとあと数回で無くなります、多分。私がno+eに慣れ、もっと定期的に更新されていけばno+eでの芸風が構築されるはずです。
なのでそれまではご辛抱。Let's be SHIN-bow together ‼︎
さあ、皆さんもご一緒に手と手を取って仲良く一緒に辛抱致しましょう!


ほら、どうですか?[区切り選]
目次や箇条書きの機能について自分的には苦手と言ったばかりなのに区切り線を導入しました。
私、区切り線の機能を覚えた事でとても読み易くなったのでは無いか?と自画自賛し絶賛ニコニコしています。毎日こんな些細な事でもニコニコ出来ると良いですね。私はそんな人間でありたいと常々思っています。
『ポジティブに生き続け、愉快に生き残りたい』
そんな事を常々考えてるんですよ、本当に。
ここでそれを太字にしてまでも強調しておくのは、とある界隈の一部の方々にはそんな風に見られていないのを私は知っているからです。あ、それについては別にどうでもいいんです。人の感情は人それぞれ。その日その時のお互いの立場、お互いの前後の件、コミュニケーションの内容や体調、気持ち的なコンディションなどで人は印象付けをするのですから。


と、ここまで2024年2月5日の雪の降る中、スマートフォンのテキストアプリで途中まで書きました。
その場、その時の感情を勢いのまま書き殴り、下書き保存もせずに公開ボタンをポチっと押しちゃう書き方ならいいんですが、私は一回下書きし、何度も読み直したり修正したりしちゃうタイプなので、感情のまま書き殴れない。初めに書き始める「話のきっかけ]となる感情の熱が行を書き進んだ先まで温かく残るタイプでもありません。なので、一旦別のテキストアプリで本文の書き出しからある程度の流れをメモしましょう!というスタイルです。偉い人に送るメール本文や謝罪のLINEメッセージから商業的コラムや脚本まで一貫してそのスタイル。そうすれば移動中や電波の無い場所でもオフラインで進行出来るでしょ?


と、この一文を添えた下書きを2024年2月7日にこのno+eに記したのです。
で、現在は2月20日。実に13日間、約二週間も放置ですよ奥さん!マジでビックリですし、本当に驚いちゃいますね。
予定では、no+eを1回やってみた上での感想からの区切り線はえらい!からの軽い自虐を混ぜて感情の話、から自分的な経験を交えた【例の件】をしたかったんですけどね。なので、その2月7日当時の仮タイトルは【例の件から思う1/3の純情な感情】だった訳です。しかし、それを書く気力も体力も削がれる事件、というか事故が2月8日に降り掛かったのでした。

左脚内側側副靭帯の部分断裂及び損傷、肋骨骨折(右第十一、十二肋骨)
まあ、簡単に言えば左足の膝の靱帯と右の下から2本の肋骨を事故った訳ですね。


 それは仕事先に向かう朝。
前々日の雪は僅かだが路地の脇にひっそりと残る程度に溶けて消えていた。あれだけドカンと降ったはずなのに東京の雪なんてそんなものだ、と私はいつもより少しだけ厚着をしてお気に入りのバックパックを背負い仕事先に意気揚々と出掛けていた。出掛ける前に急いで詰め込んだ自作のお弁当の熱がパックパックの背中のパット越しに少し感じ背中を温めている。出し巻き玉子焼きが思いのほか上手に出来た事でお昼の時間が楽しみだ。ワイヤレスイヤホンから流れる洋楽ロックのリズムで心なしか少しだけ足早に歩いていた。半年前から建設中の高層ビルはタワーマンションになるらしい。見上げたの空は青空。でもこのマンションが完成したら、この青空ももう少し小さくなるのだろうな、そんな事を思いながら大通りを曲がり先を急いだ。石神井川沿いの細い道。最近覚えた近道だ。高層ビルの影と川沿いなので裏路地に入った途端にゾワっと体が冷えた。体感では5度くらい気温は違うだろうか。私はそんな冷たい風も冬の朝っぽいから嫌いではない。今日のタスクを考えながらさらに路地を曲がろうとした、その時だった。見通しの悪い裏路地から1台の黒い軽自動車が飛び出してきたのだった。
 軽自動車は凍結したアスファルトにタイヤを切り付ける事が出来ず、運転していた母親らしい女性はパニックを起こしていた。助手席では小学生らしき男子が慄いていた。この親子は先を急いでいたのであろうか。一時停止の標識の無い裏路地だが、見通しは悪いので一時停止または徐行をするべき場所だった。徐行をしたのつもりだったのだろうか、母親の運転技術が覚束なかったのか、雪が溶けて川に流れていっているのを安堵したのか・・・。兎に角、黒の軽自動車は私に向かって文字通り滑り向かってきたのだった。咄嗟に踏んだ急ブレーキでタイヤはロックをし、さらに軽自動車はスーっと迫りくる。こちらも避けた所でどう考えても巻き添え食う距離感だ。咄嗟に私は滑り止めのある手袋のままボンネットを押さえた。タイヤではなくバスケットシューズをアスファルトに切り付けた。お陰で軽自動車はガードレールにキスする事なく危機一髪で停止をした。ただその反動なのか、踏ん張っていた左足が別の凍結に滑らせ背中から転倒した。背負っていたバックパックと長年培った受け身練習のお陰で後頭部を打ち付ける事も無かった。ただ転倒する際に滑った左足を捻っていた。青ざめた母親らしい女性は軽自動車から降りる事も無く車体と自分たち、そして窓の外の私が「いてて」的に立ち上がった事を見届け、会釈だけで立ち去っていった。その一連を見ていた周囲の人たちは「事故は無かった」と確信した様に各々の往路を急いだ。誰から声も掛けられることも無く痛みで立ち尽くす私を残して・・・。


ほらね、13日間放置されちゃう内容でしょ?
まあ、これは私視点の物語(一部脚色あり)なのでこんな内容になりましたが、その運転していた母親や一連を見ていた人たちにはまた別の感情や物語があるのですが、それはそれで私が知ったこっちゃあないし、それはお互い様。
血の気の多かった20代頃の私だったら、その軽自動車の母親に速効に怒鳴り散らしていたはずです。勢い余って軽自動車を持ち上げていたかも知れません。でも今回、というか今もですがそんな感情が生まれなかったのです。
(自分は怪我をしたけれど)大事件や大事故にならなくて良かったぁー!
転倒強打し立ち上がった時も、今も同じ感情なのです。太字にしちゃうくらいその感情は揺るがないのです。確かに対自動車の事故ですので警察を呼ぶくらいはするべきでしたが、別にいいじゃないですか。当事者本人が「それで良し」と思っているので。


約二週間経過し、怪我の具合ですが初手の処置(アイシングとテーピング&医療用サポーターでガッチガチに固定)が良かったお陰で、膝の方は順調に回復しつつあります。信頼しているスポーツ系整体師曰く、膝は60%回復らしいです。知り合いの元プロレスラーの方にもその点だけは褒められましたし、なんだか少しだけ嬉しい感情です。
でもですよ、膝に比べて大した事ないって思っていた肋骨が痛い。ずーっと痛い。これは仕方なし。だって肋骨だもん。立ってても座ってても横になるのも辛い。事故ってから数日経って膝の痛みも消え経過が良くなり始めてやっとやって来た痛み。2,3日は息するのも辛かった。マジどうにかしてくれって言う感情。仄かに長い人生で何回か肋骨をヤッた中でも断トツで辛い一位の感情です。こればっかりは鎮痛剤多用の日々。
まあ本来は靱帯と肋骨のどちらも自然治癒でくっ付くまで動かさず安静にしなきゃいけない訳ですから。でもね、ご飯を食べるためには働かなきゃならないんです。これに関しては『警察を呼ばなかったので事故としてのアレコレが出来ず保険が使えなかった』という事に少しだけ後悔です。ちょっとだけガッカリの感情。
仕事先にも身内にも伝えて褒められる訳もなく、無駄な心配をさせてしまって申し訳ないなと、伝える度に湧き上がる感情。
予定していた事を断念したり延期したり諦めたり放り投げたりな感情。
暫くは徒歩も不便で困難な状態ですので移動は電車やバスを多用してるのですが、左足が動かないってこんなにも不便なのかと思い知らされましたし、歩行補助杖とか松葉杖なんか使ってる訳でもないので乗り換えとか階段で足引き摺ってる歩行困難おじさんですが、パっと見は普通のおじさん。
満員電車で顔を歪め、運よく座れたとしてもガチガチに固められた膝はある程度以上曲がらないので、故意的に邪魔だと蹴られたり故意的でなくても誰かの足や荷物に引っ掛かってしまい顔を歪める始末。だからと言ってイチイチ説明するのも面倒ですし、グっと堪えて我慢しちゃう。悔しさと痛みと切なさと痛みが交互に押し寄せる。どんなに顔を歪めても、額から脂汗を流しても、言葉に出さない限りこの感情は1/3も伝わらないのです。

あ。繋がった。

当初は予定してタイトルまで付けてた【例の件】で感じてた1/3の純情な感情なんか、もうどうでもいい程なバットコンディションからくる鬱々な感情をまさに近況報告する事で昇華させる事に成功したようです。
この感情になるまで13日掛かったという事です。13日間壊れるほど愛してみたのです。13・・・1と3の間にスラッシュ入れたら1/3。偶然にも奇跡的!なんかめっちゃ嬉しい感情!結果、最後はニコニコです。
この気持ちが少しでも伝わったのであれば、純情な感情は空回りせずにアイラブユーが言えるのですね、マイハート。

【例の件】で思う感情の話は、また機会があればその時に。

この記事の本文:5,178文字
この記事のBGM:Buono!/1/3の純情な感情(カヴァー/ライブバージョン)

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