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行く年来る年

備忘録的に、そして書きたかったけど書けなかった追憶のかわりに。
美談にする気もないし、もちろんハッピーエンドで終わるはずのない感情と現実の吐きだめ。

2019年最後の4ヶ月は真っ暗闇の中で前も後ろも分からずもがき苦しんでいた。
理想と現実のギャップを埋めきれず、夢現の境を彷徨っていた。

本当は秋大会に出て、七帝に出て、ゴール決めて、勝利をみんなで味わって、敗北をみんなで悔しがって、そんな生を実感するような4ヶ月間になるはずだった。
我慢し続けた3年間がこの4ヶ月で報われるはずだった。

自分の人生プランの中にこんな4ヶ月が生まれると想定してなかった。
どんなに目標をたててそれに向かって努力を続けていたところで、その目標の前提となるものが目の前で崩れ去るなんてそんなバカなことが起こるわけないと思っていた。

突然生まれたなんの目標もない4ヶ月。
なにかで埋めなきゃいけない。このままだと自分の存在意義が消滅してしまう。
そんな焦りに苛まれながら、何もできない布団の中で塞ぎ込むような日々を過ごしていた。

もはや正解の選択肢は消え去っていて、どれを選んでも間違いとは分かっているけど選ばざるを得ないクイズのような人生を生きているんじゃないか。

この4ヶ月を無駄にしたくない、無意味なオワコンに使う労力をちゃんと別のことに注ぎ込んで自分を正当化しないと自分が死んでしまう。
多分そんな風に考えて新しく何ができるか必死に考えてみた結果がフロアボールだったりカメラだったりするんだろうけど、全然アイスホッケーから離れられなかったな。

ほんとはアイスホッケーに裏切られたら、アイスホッケーから身を引いて完全にやめた方がいっそ良かったのかもしれないけど、好きなものをそう簡単に手放すことができなかった。

結局空白の4ヶ月は何も埋まらなかったけど、もしアイスホッケーを捨ててたらその埋まらない現状維持すら困難だったんじゃないのかななんて思ったりもする。
何もかも失ってそのまま深い闇から抜け出せない人生を送ってたかもしれない。

もしこのエンディングを知っていたとしたら、という仮定を立てると、自分の価値観が浮き彫りになる。
よくある変な設定で愛の大切さを伝える映画と同じ発想。アバウトタイムとかせか猫とか。

多分、このエンディングを知っていたら2年生くらいからポーラーとか同好会に移籍してアイスホッケーやってたと思う。
アイスホッケーがしたくて、それが全てで別に大学リーグにこだわることもなかったと思う。
もちろんできるなら大学リーグでやりたかったけど。まあもう叶わないから。

そういえばこの4年間何回も部活を辞めたいと思ってた。

入って2ヶ月くらいで、重い防具を引きずってリンクに行くまでの道のりがあまりにも苦痛すぎて、全然思うようにスケートできなくてもう辞めたいと思った。
でもなんかこんなすぐ辞めてもあんなやついたなあとかすら思い出されないレベルでなかったことにされるのはなんか癪だなあと思ってもうちょっと我慢してみた。

入部して一年経った春頃、試合に出れるって聞いて入ってみたけど自分の成長を鑑みるとこのままだと四年生まで試合に出るのは難しいんじゃないかと悟った時。
上の代が11人とかプレイヤーいて経験者複数人いて、上の代が卒業するまで出れる見込みがなかった。初心者スタートで一年の差は相当大きかった。
このタイミングで辞めとけばまだまだ違う未来が見えてたかもしれないけど、なぜか自分は頑張る道を選んでしまった。
ビジター行きまくって上手くなれば3セット目くらいには食い込めるだろうとちょっと希望があったからなのかもしれない。

3回目は3年生が終わる頃、2年生3年生はビジター行きまくってちょっとは上手くなって、少しずつ起用されるようになったけど、秋大会の大事な試合ではほとんど出場機会はなくって、3年生の秋大会は1ゴール決めたけどロークオリティゲームの試合だったしあんまり喜べなかった。その時は確かに嬉しかったけど。
3年間まともに秋大会出れずに終わって、個人的には4年生の最後の秋大会で頑張ればいいやって割り切って考えてたけど、同期内のミーティングとかでもやもやしたまま新体制迎えて、この時期が1番部活に行く足取り重くて真剣に辞めることを考えていた。
このまま続けても何も楽しくなさそうだなーって思いながらも、コンコルド効果なのかもはや辞めれない呪縛のような、辞めたら負けなんじゃないかという謎の心理戦で辞めれなかった。

辞める、っていう決断が自分は苦手で、いろんなメリットデメリット考えて、変化のメリットが大きい場合であっても、無駄なこだわりだとか小さなワンポイントメリットに騙されて現状維持の選択肢を選んでしまう。なんだかんだ現状維持が無思考でいれて楽だし。

でも、多分このままじゃだめで、どうやったら辞める、変わるという選択肢を選べるのかという話をしないと2020年以降さらに無駄な人生を繰り返してしまいそう。

辞める勇気ってすごい大切だし、日本人ってどんなに自分にとってデメリットしかないようなことでも誰かのためにだとか、自分がいないとだめだみたいな使命感でぐだぐだ辞めずに続けてる人多いし、なんなら辞めることは悪いみたいな価値観まである。

辞めなくて良かった!って言ってる人だいたい生存者バイアスだし、辞めて幸せになった人は辞めたことじゃなくて新しく始めたことに幸せの原因を見出してるし。

自分のリソースは限られていて、何かをすれば何かはできなくて、今後の人生辞める捨てるという行為が左右していくのは間違いなくて、自分の評価軸を一本しっかり持つことで、それと照らし合わせて取捨選択していく必要がある。

2020年はそんな自分のぶれぶれな軸を決めなきゃいけない年だと思ってるし、たくさんの取捨選択の中で何かを突き抜けさせないといけない年にしなきゃいけない。

まだ何もかも構想段階だけど、2020年はオリンピックの年、だけじゃなくて、自分の勝負の年になる予定。

今年の抱負は考え中です。

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