持たざる獣が人間(エンジニア)になるまで

どれだけ僕がヤバかったのか知ってもらうために(だいぶ長い)自己紹介をします。

27歳です。

去年の今頃に G's アカデミーという、「プログラミングを学んでそれを武器にしてアントレプレナーになって行こうぜ!!」っていうノリの、すごい尖ったスクールを卒業し、今はデータベースエンジニアをやっています。

それ以前は、必要のない借金を作って首が回らなくなり、いろいろな人に迷惑をかけて個室ビデオ鑑賞店で働いていました。社会の底辺を這いずって、なんとか生きながらえるだけのどうしようもない人生を送ってきました。

それでも、こんな僕でもエンジニアになることができました。そして、アントレプレナーになるための野望を抱くことができました。

これからエンジニアになろうと思っている人や、底辺から這い上がってやろうという野心を持っている人の助けになればと思ってこの文章を書きます。


僕は診断書をもらってるガチのADHDです。

思えば学生の頃から色々やらかしてきました。宿題とかまともにやった試しがないし、受験勉強もロクにやらなかったです。よく考えずに、とりあえずお金がかからない地方の公立大学に行きました。ここで出会った友人や恩師などには本当に感謝しているので、その選択が完全に間違いだった訳ではないですが、今考えるともっと学びたいことややりたいことにフォーカスして意思決定をするべきだったとは思っています。もちろん、大学も留年すれすれの低空飛行で、なんとか単位をとって卒業しました。しかも、就活とか何をどうやれば良いか全くわからなかったので、1人だったら本当にそのままニートになってたと思います。この時は友人が無理やりヤングハローワークに連れていってくれて、僕の意識を就活に向けてくれたので、滑り込みで生保の電話営業をする代理店に入社できました。ニートをやることに比べたら就職できたことそのものだけでもまあ儲け物かもしれないですが、ここでの選択も完全にミスってます。実力なんてないのに実力主義という字面に魅了されて、保険業界という超絶レッドオーシャンに裸一貫で突っ込んで行きました。オフィスにすし詰めなのとか、終始他人の声が聞こえ続ける環境とか、メモリが足りない自分が超パフォーマンスを発揮しにくい環境ですし、自己認識と比べて思うようにならない営業成績に劣等感が募るばかりで結構キツかったです。で、当時付き合っていた彼女に振られたことが引き金になって、糸が切れてしまって出社拒否して家に引き篭るようになりました。会社からの連絡はガン無視してたので実家に連絡が入り、両親に引き取られるようにして退社をして故郷に逃げ帰りました。

ありがたいことに次の仕事は父親の紹介でわりとすぐに見つかりましたが、まったく考えずにまた保険の営業を選んだので、自分の適性や特性を考えた意思決定ではありませんでした。ここでの仕事は、数字が未達成になったらクビというドライな世界だったので、プレッシャーが非常に大きかったです。もちろん新卒と変わらないペーペーで、営業力なんて全然皆無なので、思うような成績は全然出せませんでした。この辺りから、「あれ?自分の人生って何か間違えてるな」という感覚を漠然と覚えていました。また、この頃ちょうど世間ではフリーランスというワードが流行り始め、YouTuberや様々なインフルエンサーが自分の好きなことを仕事にして生きるのが当たり前になり始めた時期でした。僕はすごく単純な人間だったので、そういう生き方の良い側面だけを見て自分に都合良く解釈し、憧れを募らせていきました。今結婚している妻に出会ったのはそういう時でした。当時妻は19歳の大学1年生で、それはそれは若くて幼く、当時の僕よりも更に危うかったです。出会った当時は僕が24歳でしたが、いつ仕事をクビになるかもわからなく、貯金も将来性もまったくないダメ男でした。人の将来ばかりか今の自分すら思うようにならない存在でしたが、そんなダメ男に自分の人生を賭けてしまう妻もやっぱり色々欠落していたのだと思います。僕と妻はお互いに自分を無条件に受け入れてくれる存在を求めていたので、とにかくお互いに甘かったです。2人だけの世界に生きており、とにかくお互いのことを無条件に受け入れることを至上のものとしました。僕も無知だったし、妻も無知でした。そういう中で、僕のフリーランスやノマドなどの自由な生き方への憧れが純粋培養されていき、僕は仕事を辞めて、それと同時に結婚しました。(その少し前に妻に大学を辞めさせましたが、それだけは今振り返っても良いことでした)

それからはフリーランスで何かをやろうと一念発起しましたが、実態は失業手当となけなしの貯金を切り崩しながらの消耗戦でした。フリーランスと言っても、なんの経験もスキルもあるわけではないので全然お金にはならなかったです。せどりの真似事をやってみたりしながら、じりじりと貯金という名のライフポイントを減らしなが生きていました。そういう中で、家族を含めた周りからの干渉がとにかく煩わしかったので、2人だけで暮らせる誰もいないところに引っ越そうという話になり、今の居住地である神奈川と東京の間の辺りに引っ越して来ました。これがだいたい一昨年の夏くらいですね。

貯金なんてもちろんないので、引越し費用はリボ払いで払いました。またもやよく考えずにした意思決定でしたが、この時から借金生活が始まる訳です。家計を管理するのは僕でしたが、さすがに妻もお金がないことを察して、強く不安を感じるようになっていき、元々あった家族との間の確執も相まって鬱になってしまいました。それでも僕は他に足をつけた生活をするという発想ができず、普通の仕事をしようとは思いませんでした。当座の生活資金を工面するためにちょろちょろとイベントの設営などの派遣バイトをやりながら、根拠のない大成功を夢見て、あいも変わらず妻と2人だけの世界に生きていました。そうして、いよいよ明日の生活も立ち行かないというフェーズに至って、ようやくヤバいと思い始めました。事ここに至っても甘え切った感覚はなくならず、ベンチャーならきっと自分も活躍できるはずだと希望的観測でちょっと就活じみたことをしてみたところ、面接をしてくれたベンチャーの社長にクリティカルな痛いところをいっぱい突かれて、大きな挫折感を感じました。それがきっかけで自分はどこにも居場所のない社会不適合者なんじゃないかなあと思い、更なる逃げ道を求めてADHDの診断を受けました。診断を受けたこと自体は悪いことではなく、自分の適性を冷静に考えた上で意思決定をすることが必要なのだということが理解できました。少なくとも、自分には社会生活を送る上で大きな欠陥があって、それをカバーできる立ち回りをしないと大変なことになるのだとわかりました。その時の自分は、自分がまともに生きることはできないのだと悟ったので、できることと言えば単純作業なのかと思って、とりあえず工場のライン工みたいな単純作業をやって口を糊していました。それでも現実は非常なもので、マイナスをプラスには変えるほどの収入にはならず、状況は悪化の一途を辿りました。まあ有り体に言えば、お金が底をつきました。

そこで僕は自分の判断能力にはいい加減自信がなくなっていたので、友人やその時頼れる人に片っ端から連絡を取り、相談しました。その中の1人の友人が結構現実的なアドバイスをくれて、「今はノーリスクでお金を稼いで、生活を立て直すことが大切だ。そのためには多少の犠牲は仕方ない。」という旨の話をしてくれて、他に足をつけた生活をしなきゃならんなあと感じました。その上で、彼が提案してくれた具体策が個室ビデオ鑑賞店で仕事をするということでした。〇〇太郎とかそういうやつです。まあ、僕の名前も健太郎なんですけどね笑

実際条件自体は想像するほど悪いものではなく、まず反社会的な組織と関わることなく合法的に仕事ができること。時給が普通のアルバイトよりはちょっといいこと。僕のように即日お金が必要な人向けに、給料の前借りが(一部だが)できること。週6勤務で労働時間が多い代わりに、手取りが30万くらいになることなどメリットとして挙げられます。そんなんこんなで、両親に生活の安定のために支援を受けることなどもありましたが、なんとか妻を飢えさせることはなく、職を手にすることができました。

とはいえ職場環境は劣悪で、甘ちゃんだった僕には中々衝撃的な経験が待ち受けていました。個室ビデオ鑑賞店って、一発抜いてそれで終わりの客だけならいいんですが、とんでもない客がいっぱいいるんですよね。部屋の中になぜか大便が落ちていることとか、ローション塗れになっていることとか、浮浪者のおっさんがセーフハウスとして使っていてめっちゃ臭かったりとか…。同僚はみんなパチンコの話しかしないし、閉鎖的な環境なのでパワハラ野郎とかがのさばっていることもままありました。何より、みんな未来のことなんて考えていなくて、自分の保身のこと以外には興味がないようでした。


僕はそれが許せなかったです。

現状に甘んじて、ただ生きられればいいみたいな風潮がぶっ殺したいほど嫌でした。

俺はここから這い上がってやるって毎日思っていました。なんなら、こいつらをぶっ殺してでも這い上がりたいって思いました。俺はこんなことがしたいんじゃないって毎日思い続けました。

自分は世の中を変えられる人間だって思っていたので、こいつらとは違うんだって必死に思い続けました。

こんなところでタダでくたばるものか。

刺し違えてでも、自分に足りないものをぶん取ってやる。

そういう思いが日々の屈辱的な環境の中で醸成されていきました。それが、僕の中で現状から抜け出したい、活路を見出さなければならないという思いになって積み重なりました。そういう時に、G'sアカデミーのことを偶然にも目にしたんです。

誰も自分の人生に責任を取ってはくれません。足りないものは自分でぶん取りにいくしかないんですよ。

誰かは何もしてくれないし、責任も取ってくれないんですよ。

自分が何をしたいかなんですよ。

どういう自分でありたいかなんですよ。

これを読んで刺さる人は、たぶん飢えていると思います。僕にはわかります。あなたには何もないはずです。少なくとも僕には何もなかったです。

たとえ他の何かを失うことになろうとも、手に入れたいものがありますよね?

どんな手段を使ってでもぶんどりたいものがありますよね?


だとしたらプログラミングを勉強することは無駄にならないです。

僕がG's Academy で学んだことはそれでした。

何も持っていない僕たちが、この世界に風穴をぶちあけるためのゼロイチの武器ってことです。

金も人脈もスキルも何もかもが足りないです。

でもなんかをやりたいです。何者かになりたいです。

そのための武器なんですよ。何もなくてもいいんですよ。何も持ってなくても、プログラミングのスキルが身についたおかげで僕はいま、人として真っ当に生きることができています。

僕はなんにもなかったです。なんにもない虚空に向かって吠えるだけの空っぽな人間でした。

でも、そういう人間でもプログラミングを学ぶことでとりあえず食うに困ることがなくなったんですよ。

ほんとは俺もG'sの先輩たちのような、世界を変えられるプロダクトを作りたいです。現状そうできてないんだけど、少なくともあなたが今いる環境とは違うところに身を置くことができました。

AIがどうとか、機械学習がどうとか、データ分析だとか、いろいろやってますよ。ほんとうになんにもない、持たざるものが曲がりなりにもこうやって今までは想像できなかった高みを目指せてるんですよ。

たぶん、僕にできるんだから、あなたにもできると思います。

借金があって、日々の暮らしにも困窮していて、ただただ自分の中の何かを犠牲にしながらいまを生きてるような人間がそんな上等な世界に手が届きそうになってるんですよ。

だから、あなたにも一発チャレンジしてみて欲しいです。これは僕のマジな感情です。僕が言いたいのはそういうことなんですよ。

このまま世の中を恨むだけで、一生を終えますか?

たとえ惨めに足掻くとしても、何かをやって死にたくないですか?

たとえすべてを犠牲にしてでも、這い上がりたくないですか?

もしこの思いに共感してくれたのなら、G's Academy は最高な環境を提供してくれると思います。あなたのバックグラウンドとかなんにも関係ないです。あなたが何をするかだけで評価してもらえます。

今の環境って、あなたが現状を良くしたいって思って何かを考えても、そんなのなんの価値もないですよね?誰もそんなの認めないですよね?みんな自分のことしか考えてないですよね?

そうじゃない世界がここにはあります。やりたいと思ったら、その背中を押してくれる仲間ができます。実は、こうやってこの文章を書いているのも、G'sの仲間がやった方がいいって言ってくれたからなんですよ。

俺みたいな社会の底辺から這い上がってきた人間の言葉が、これを見てくれているあなたのような人に届いて、きっとその人生を良くするための希望になれるって言ってくれたんですよ。それだけでも僕は生きてて良かったって思いました。クソみたいな人生を歩んできたけど、そんなに俺という人間を見てくれて、一緒に頑張る仲間として認めてくれる人がいるなんて思わなかったです。完全に主観が入りまくりですけど、そういう仲間に出会えたのはG'sのコミュニティがあったからです。


ちょっと一歩引いた見方をすると、G'sはそういうブランディングをめっちゃしてます。何かをやりたいっていう人を集めて、そこにプログラミングという武器を配って、それで好きなようにぶちかませっていうコミュニティです。合わない人は合わないと思います。

でも、なんにもない俺やあなたみたいな人が、何者かになるための武器をくれます。

なので、心の底からおすすめします。


僕は、G's Academy に入って人生が変わりました。


https://gsacademy.jp/



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