自己紹介(若狹謙治)
はじめまして。若狹 謙治(わかさ けんじ)と申します。
本業の傍ら(株式会社山崎文栄堂)自分の会社(サットサンガ合同会社)を経営し、中小企業経営者のコミュニティ・ヒーローズクラブの事務局長や日本中小企業経営審議会の理事をしています。はじめての方に向けて、まずは簡単に自己紹介をさせていただきます。
■幼少期~青年期
1976年 大阪府堺市で生まれる
両親公務員で父親は市役所、母親は保健師、年子の姉が一人 。
父は福岡県出身。祖父はお米農家でした。
いまは叔父が継いでいます。
福岡に帰省すると
祖父と祖母は朝から晩まで田んぼや畑で作業をしていました。
祖母に「いつ寝てるの?大丈夫?」と聞いたことがあります。
「大丈夫よ!心配してくれてありがとう」って笑われたのを覚えています。
母は鳥取県出身。祖父は建具屋を経営していました。
両祖父母みんな働き者で愚痴・泣き言・陰口など言わない人でした。
小学校3年生の頃、キャプテン翼の影響で友達がサッカーを始めたことをきっかけにサッカー人生がスタート。両親共働きだったので鍵っこで、やることがなかったのでサッカーばかりしていました。
中学で堺市のトレセンの選抜チームに選ばれて中学3年生まで続け
全国大会を目指し大阪清風高校にサッカースポーツ推薦で入学。
ところが1年生で紅白戦で大怪我(骨折)をして2年生の一年間は入院生活になりました。
人生初めての手術と挫折を経験しました。
入院中に尊敬している監督がお見舞いに来てくださり
帰り際に「しっかり準備をして3年生で全国に一緒に行こう」と言ってもらい、その日の夜は大泣きしました。気持ちを強く持って期待に応えていきたいと決心しました。
その一言を信じリハビリも頑張って2年生途中に選手復帰。
3年生の時にレギュラーで試合に出ることができ、インターハイ・選手権は大阪予選ベスト8で負けてサッカー人生が終わりました。
■大学~社会人 山崎文栄堂との出会い
大学はスポーツ&指定校推薦で大谷大学文学部仏教学科に入学しました。
クラスの95%がお寺の息子・娘という環境で仏教学を専攻。
日中は授業、部活、バイトで充実した4年間でした。
関西学生サッカーリーグ2部で思う存分サッカーを楽しみました。
卒業論文では般若心経など中国語に翻訳した偉人「鳩摩羅什(くまらじゅう)」を研究しました。
就職活動は適当にしていて、一番最初に内定をいただいた外資系の人材派遣会社に入社。3年間東京本社の立ち上げメンバーに抜擢され上京。しかしある事件をきっかけに会社を辞めて転職活動をスタート。25歳でした。
そろそろ将来起業しようかなという思いもあり、中小企業で経験を積みたいと思い山崎文栄堂に入社を決意しました。
■売上至上主義から志経営へのシフト
当時副社長だった現社長の山崎さんと新規事業の立ち上げやアスクルアリーナの法人営業を立ち上げ。
社長と関係性に苦しんだり、売上を追い求める経営で社員が疲弊し離職率80%の会社になってしまったり、、、。八方塞がりになった私たちがどのように乗り越えてきたのか!?
10年間実話が本になっていますので詳しくは本をお読みください(^-^)
経営という冒険を楽しもう4 山崎文栄堂の奇跡 前編
■そして現在、人の役に立つ人生へ
2018年 自分の会社が良くなってきた一方で成長しない自分に飽きているのだと気づいた頃、生きる次のステージがある事を学びました。
自分の会社だけが良くなれば良いステージから、次のステージへ。
”現職を辞めずに起業する”第三の道を選んで社会貢献の道を歩むことになりました。詳しくはこちら↓
現在は本業の傍ら自分の会社を経営し、中小企業経営者のコミュニティ・ヒーローズクラブの事務局長、日本中小企業経営審議会理事として、農業や教育、経済の復興に取り組んでいます。
人生を振り返ってみると、ターニングポイントで人生を左右する出会いによって道が開いてきたように思います。
本当にありがたいです。
いまは、農家さんのお話を聞いたり、各分野の専門家の先生に相談したり、
もう何屋さんかわからない状況になっています。
ちなみに、自分の会社のサットサンガという名前ですが
サンンスクリット語で「善き人々との交わり、高尚な方々との仕事」を意味します。
いままさにそんな仕事になっていることに感謝です。
自分の事や自分の会社のことを超えて、世の中や人の役に立つ人生へ。
これからもまだまだ挑戦していきます。
最後までお読みいただきありがとうございました!
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