フリースクールのこのこ山 火曜日 わのもり木曜日
のこのこ山の由来
永遠にかれない泉
古山明男
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=pfbid037wqg7RqXG3ANDhp33SCuYCt47K2rdcZBjsLk7XXD78ZNWG9YSazU4UFnGfrHWZkzl&id=100001859068579&sfnsn=mo
「お母さん、どうして学校では自分で自由に選べないの?」
その一言が、娘が学校に行かないことを決めた理由でした。
小学校4年生の時に、娘はいわゆる不登校になりました。
娘の理由はすごくちゃんとあって、それに対して大人は、大抵は「決まっていることだから」「そうしないと、将来大変だから」としか答えることが出来ませんでした。
「ほんとにそうだろうか?」
大人たちの回答から出た娘の言葉はこうでした。
そこから、実は私も凄く考えるようになりました。
わたしの探究のテーマは、どんな環境が、人を自然に成長させてゆくのか、です。
この、「自然に」がとても肝です。
ある側面では、今の学校も人を成長させる仕組みがたくさんあります。競争させたり、褒めたり、罰を与えたり、点数をつけて優劣がわかるようにしたり…
わたしはそれが、当たり前として育ってきました。その結果として、わたし自身、人からどう思われているか、自分は出来る人か、役に立てるのか、有能なのか。
無意識のうちに、それらを氣にして生きていることに、氣づきました。そして、その生き方はとても疲弊することも氣づきました。
自分のなりを観て、果たして「自然」なのか?を問うたら、わたしの答えは、自然じゃなかった、無理があった、そう確かに思ったのです。
「自然に」成長させるには、どんな環境がいいのか?
その問いの答えのひとつは、大地や空や森や川や海、大自然の中にありました。
競争したりせず、自分のペースで花を咲かせたり、実がなったり。
雨もあるし、その他の影響によって、良くも悪くも、そのままある。圧倒的な自然界の在り方は、わたしの教育の原点にあります。
もう一つの答えは、人との関係性の質です。
人が、自然に成長するのには、ダメだと劣等感を与えたり、または、優越感を与えたり。決めつけて相手の像を固定したりしない。ありのままの存在を、今の状態を、いいね!として、促したり、促されたり、呼応したり、共鳴したりする関係性の質が必要です。
こうして字面で語ると、その通りだ!となりますが、実際の現場で出来ないのは、他ならぬ、私たち多くの大人が、そうした関係性の質を体験していないからです。
体験したことしか、想像しうることしか、アウトプット出来ません。だから、こうして字面では最もなことが言えますが、実際が伴わないですし、何かのメソッドを使って、そうしている風になりがちなのです。
ゆうきのもり、そして、その場を創っているシャンティクティは、「自然」を大切にしている場所です。
土地の自然を殺さず、生かして創られた庭や、自然を生かした形で森を創造する。
その場にいる人たちが、環境に助けられて、ありのままでいることが出来る場所です。
加えて、関係性の質について、常にそこにいる人びとが、自分を省みること、相手を思いやることを、やろうと努力しています。
だからこそ、人が自然に成長する場に、なりつつあるのです。
子どもたちは、そんな大人を観て、学びます。生きることや、幸せとは何かを。そして、必ず心が満ち足りると、知りたいという好奇心や、もっと良くなりたいという、自己向上心が生まれます。それは自然界にはない、人間特有のものですが、素晴らしい創造性の力です。
この世の中の諸問題に対して、迎合したり諦めたりするのではなく、解決するために、よりよくしようとする創造力になっていきます。
ゆうきのもりで、やっている事は、新しい何かではなくて、もともとある自分たちの力を掘りおこしていくことだと思います。
そして、それを楽しむ場、なのです。
子どもたちは大なり小なり、疲弊していたり、傷ついていたりしています。いろんな心の段階の子どもたち、親御さんたちがいるということです。今まさに辛い、という子にとっては、ただいるだけでいいという場所は貴重ですし、回復期の子にとっては、自由にいろんな挑戦をしていい場所として、環境を整える必要があります。現状は、その環境整備はまだ不十分ですが、自然が働いている場所では、「そうしたい」という心が、ほかの人の心も動かして、自然と創られていくのだろうと思います。
こうした、ゆうきのもりの取り組みが全国的に広がっていくこと、すでに実践している方たちとつながり、網の目のようになること。
人が1人育つためには、村がひとつ必要と、アフリカの諺にあるように、子どもたちを、全体の中で育めるように、していきます。
「他地域連携のフリースクール」
自然な成長もありとする場が、たくさんできること。
多くの人に知られていくようにすること。
その選択が、自由にできるようにすること。
掲げたい願いはたくさんあります。一粒の種が実になるのに、長い年月がかかるように、願いを形にするための、日々の一歩一歩を、踏みしめているところです。
どうぞ、その一歩を一緒に歩む人を募集しています。環境に必要な物資のご提供、資本のご協力も、お願いいたします。
ゆうきのもりの、日々の活動の根幹にあるもの。ぜひ、現地にも足を運んで、体験して、感じとってください。
https://note.com/kenjiusui/n/n2eedfbee8838
フリービレッジの様子
フリースクール山の学校環境整備|shanthi-usui #note
こんなかまどになります
3連登り窯カマド完成|shanthi-usui #note
ピザ焼きフリースクールわのもり|shanthi-usui #note
https://note.com/kenjiusui/n/n871e8c3da63c
学校以外の子どもの居場所と学び場
池田町の山麓でゲストハウスシャンティクティを営みながら毎週木曜日に学校に行かない子どもたちや学校には行ってるけれど息苦しく感じてる子どもたちとの野外活動としてわのもりという学びの場をはじめて2年が経ちました。
持続可能な農的暮らしの学びの場、パーマカルチャーの実践の場であるシャンティクティのフィールドで子どもたちとも共に学べたらいいなと思い、学校が合わなくて新しい子どもたちの居場所を求めているお母さんたちとの繋がりから生まれました。
以下わのもりの案内として掲げている事です。
「自然とともにある暮らしのなかで衣食住を作り出す過程で本当の学びが生まれます。異年齢の関わりの中で教えたり教わったり、真似たりする中でそれぞれの役割ができ、人として生きていく力を育んでいきます。
子どもたちの居場所としてスタッフと保護者、ボランティアの大人たちがサポートしながら作っています。
赤ちゃん連れのお母さんからお年寄りまで誰でも来れる場です。普段は学校に行っててもちょっと疲れた時、遊びに来ることもできます。
基本的に毎週木曜日10時から15時まで野外で活動しています。
かまどに火をくべ、お味噌汁やご飯を作ることをベースに季節の仕事をしながら遊んでいます。
シャンティクティの森や畑が主な活動の場ですが、田植え、稲刈り、脱穀といった田んぼの仕事も一緒にやります。
学校ではない学びを求めている方、サポートしたい方、これから子どもの居場所を作って行きたい方、ぜひ遊びに来てください。」
この活動を始めようとした1番の原動力は我が子の不登校です。学校という場での一斉教育、みんなが同じことをしなければならない、先生のいうことをじっと座って聞いている事が中心の学びのあり方には若い頃から疑問を持っていていました。子どもが生まれてからシュタイナー教育の勉強会を開き、そのつながりから宮澤賢治のものがたりを身体表現する活動に子どもと参加し、森のようちえんに出会い、親子のお散歩会をはじめ、野外保育森の子を立ち上げました。そして3人目の子は幼年期を毎日を野外で過ごし、大人たちにありのままを認められながら自由に遊ぶんできました。そこでは火を焚いたり木に登ったり野山を走り回り、雨の日はどろんこになりながら川を作ったりして遊んでいました。そして小学校に上がると最初の数日はがんばって通ってましたが、そのうちいきたくないというのを毎朝大泣きしながら送り出す日々。一緒について行って授業を受けたりしていて本当に行かせるせべきか疑問も感じてはいましたが、先生はとにかく連れてくるようにと言うし、周りの人は皆行かせるべきだという中で私自身も葛藤し、辛い思いをたくさんしました。子どもの中ではどうして行きたくないのか言葉にする事ができませんでしたが、思うに自分は叱られなくても先生がゆっくりしか準備できない子どもを叱りつけたりする空気感に耐えられなかったのだと思います。
最終的に我が子は時々休みながらもいい先生や友達のおかげでなんとか通いましたが、中学2年の途中からまた行けなくなりました。そこで自由の森学園という点数評価、テストがなく、子どもたちの個性、感性を大切にしている学校へ編入する事で楽しい学校生活を送るようになりました。
こうした中で学んだ事を活かして、不登校で悩む子どもや親と共に居場所作りをしたいと思うようになりました。
シャンティクティではかまど、コンポストトイレ、小屋などをワークショップで手作りしてきたり、田んぼや畑もワークショップでやってきたのでそうしたことを子どもと共にやることで学びの場にして行きたいと思っています。しかしながら、個性豊かで学校の枠の中で傷ついてる子たちはわのもりの中では自由が許されるので本当に私たちが伝えたい事をやりたいと思ってくれるまでに時間と工夫がかなり必要でこちらも日々学ばされています。
この2年の間にメンバーも変わったりしながらですがよもぎ団子作り、野草天ぷら、朴葉餅作り、たけのこ掘り、桑の実集めなど季節の食べ物を楽しみ、田植え、稲刈り、餅つき、米の販売もみんなでやり、クリスマス会では戦争をやめた人たちというた第一次世界大戦をテーマにしたお話を劇で表現する事で戦争についても考えました。大人も一緒に料理したりする中で子どもや教育について語る時間となっています。
そんな中で共感してくれる大人も増え、新たに今年の春からゆうきのもりという団体が立ちあがり、シャンティクティの前の土地でフリースクールの準備がはじまりました。
新たに子どもの遊び場としての場所の整備が始まり、山羊とチャボが仲間に入り、毎週火曜日にのこのこ山フリースクールという名で3人の大人達を中心に活動がはじまりました。
先日、夢みる校長先生というドキュメンタリー映画を観ました。その中でコロナ渦にあってマスクは感染抑制効果がない事、そしてそのマスクの弊害について調べて校長の判断でマスクを強制せずに修学旅行含め学校行事をすべて行った先生を紹介していました。学校が戦争へ向かう強制力を持っているのではないかという事、18歳からの選挙権は徴兵制をするための準備だろうという先生の声なども入っていて上映後の監督トークでも戦争のことを伝えたかったと話されてました。
昔から運動会が競技がまるで戦争の訓練みたいだとずっと思ってました。一列に綺麗に並んで歩いてきて、笛の合図で突撃するみたいなのが嫌でした。
みんな同じ事をしなくてはならない、点数で競い合わせる、先生の指示に逆らえない、そんな中で本当に健やかに子ども達が育っていくのか?
不登校が大きく増え続けている中で今新たな教育への動きも急速に起きてきています。
感受性の豊かな子どもほど学校に行けなくなっています。一緒に考えてくれる大人、サポートしてくれる人を求めています。
臼井朋子
山口愛さんwrite
最近の公立校への違和感は募るばかり。。多様性、自己肯定感を第一に持ってくる割には左脳人間量産型プログラム。暗記、詰め込み、画一的、マスクの自由すら無い。本来重要な働きをする右脳の発達するチャンスが少ない。教師こそ、野外活動やフリースクールで遊んだら良いのに。とても能力の高い教師はたくさん居ますが、視野が狭く偏ってます。子と教師共に教育の犠牲者にはしたくない!本来学びとは、もっと楽しいはず。そう思います♥
臼井朋子
安曇野フリービレッジわのもりピザパーティー|shanthi-usui #note https://note.com/kenjiusui/n/n258b00ac9c70
子供の遊び場作りの天才
夢みる用務員
フリースクールわのもり概要
木曜日
赤ちゃんからお年寄りまで共に学べるフリービレッジ わのもり
シャンティクティフリービレッジ
わのもり
シャンティクティとは
田舎で素朴なパーマカルチャーの生活をして40年。
幸福の秘訣とは?
地球にやさしい暮らし方のヒント。
@YouTubeから