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北海道大学大学院 教育学研究院 附属子ども発達臨床研究センター 川田学准教授インタビュー・7 (2016)

     日本人はひきこもりマインドを持つ?

■いまのお話でいくと、同じ島国でもイギリスは逆ですね。

川田:イギリスは真逆なんですよね。

■というのは、あれですかね?自然の土地柄が悪いからですかね?

川田:あれはまあ、宗教とかそういうのもあるんでしょうけれども、やっぱり何でしょう?基本的にはイギリスも含めてヨーロッパは人間の流動性も高いですよね。で、日本くらいじゃないですか?このひとつの国の中で日本語、まあかつてはそれぞれの藩の中で言葉があったと思いますし、アイヌなどの先住民や琉球もあるわけですが、少なくとも今の時代でこれだけ言語的な同質性をもって、国境の線と言語の線が明確な国ってないんじゃないでしょうか。ほかはもう、それこそスペイン、フランス、ドイツもそうですけど国境あたりはグラデーションになっていますよね。だから国境と言語がきれいに切れている国って日本以外はそうそうないんじゃないかな。中国だって50くらい少数言語があるらしいですからね。だから日本はすごく特殊な歴史を持ってる国だなとは思うんですけどね。

■うん。そんな西洋の方法は大いに真似て。で、それが上手く行って、でも、いままた。もちろん戦争をやったというのも欧米のまねをしてちょっと行き詰まりをした結果というのがあるでしょうけど。いまは帝国主義じゃないですから。経済的な行き詰まり感なんだと思うんですけど。

川田:うん。日本って日本列島にだいたい1万5千年前から、最近は3万年からその前くらいまで辿れるみたいなんですけど。日本列島に人が定住したのは割と長くて。それから、けっこう長い時間かけて醸成されたものかもしれません、何かひきこもりのマインドみたいなものが。

 縄文時代のような時代区分って、ほかの地域にはないらしいんですね。ちょっと特殊なものらしくて。ふつう狩猟採集から農耕へいくところ、縄文というのはかなり早い段階から、「簡易な農耕」のようなものを取り入れていて。かなり土地が豊かだったと思うんですね。災害も多かったと思うんですけれども、それだけ土地が定期的に耕かされて、狩猟にだけ頼らなくてもその場に定住してその場で多少の作物を育てて、それで暮らすということができたようなんですね。だからまあ、土器とかも出来るんですけれども。

 僕は最近『幼児の教育』っていう雑誌で文章を書いたんですけど、「秋の実り」がもつ子どもにとっての意味について。秋にどんぐりなんかの実りが得られるんですけども、縄文研究ではどんぐりが日本文化の原型を育てたんじゃないかみたいな話があるんです。豊富な木の実。木の実の季節に実が沢山出来てきてくれることによって、ちょっと余裕ができるというか、多少余裕ができる。狩猟に出なくてもどんぐりがポンポン落ちてきて、それを集める。それでもしかしたら太古の秋の季節になにか思索をしたり、こつこつと何か道具のようなものを作ったり。木彫りのようなものもそうだし、こつこつと物を作ったり、少し内省的に、内側に向かうような作業の時間というものを太古の人間に、縄文人に与えたってことはないかな、と妄想したりする。割と好きで、縄文の文献を読んだり、博物館で道南の縄文の*中空土偶の所とかに行ったりしていろいろ考えたりするんですけど。秋のどんぐりと、日本人の精神というのはすごく何か深いところで繋がっているような気がするという妄想を。どんぐりのおかげで、何か思索をしたり、物を作ることを許される環境がかなり早い段階で日本列島の人間にもたらされたことはないかな。それに比べると圧倒的にヨーロッパとかは過酷だったんじゃないかな、自然が。

              ひきこもる「心」

川田:妄想をたくましくいろいろ考えてみると、「ひきこもる「心」」というのは、秋に何か、何もしなくてもいいようなところの中で黙々と何かを作ったり、考えたりするということなのかな、と(笑)。あの、縄文時代の家族の大きさというのはだいたい20人とかなんです。けっこう大きいんですけど。そういった人間の世帯ボリュームもあるような中で、そこで何か得られた感覚があるとか。実際、分かりませんけれども、そういうようなことも考えると面白いかなと。

■面白いですよ。そういうことを考えたほうが楽しいなあ。

川田:(笑)そういうことを考えたほうがね(笑)。

■太古の系譜をぼくら持ってるんだよ、という。ねえ。

川田:(笑)そういうことを考えるほうが何か楽しいですよね。

■いや、本当に楽しいですよね。

川田:純粋に日本人が狩猟だけでやってきたというのはすごくわずかだと思うんですよ。

■そうなんでしょうね。ですから大陸の過酷な狩猟民族の人たちっていうのは思索傾向というのは弱いんですかねえ?

川田:どうなんでしょうねえ?とにかく大陸はどんどん続いてますから、獲物がいなくなれば移動していきますよね。だけど日本ってやっぱりとっちゃったらすぐいなくなっちゃうので、獲物を取りつくすというのもたぶんあまりしなかったとも思うし、まあそれで絶滅した動物もいたようですけど。ナウマンゾウみたいのとか。でもやっぱり一方でどんぐりとか、食性が豊かで多様だったので。時々得られる肉みたいなものに依存しなくても。

■じゃあ、あまり移動はしなかった?

川田:やっぱりヨーロッパ人とかのああいった大移動というのはあまりしていなくて、けっこう住み着いていて、あの、魚も豊富だったし、山のものも豊富で、「海の幸、山の幸」がやっぱり豊富だったんじゃないのかな。水も多いし。水がいいというのはやっぱりすごく寿命には影響しますしね。

■たまたま僕、個人インタビューで発生生物学専門で、最近は人文にも関心がある人にも話を聞いたんですけれども、縄文時代を高く評価されていたんです。だから弥生時代以降から戦争がはじまったんだよね、と強調していて。縄文時代には大きな戦争がなかったと。確かにそうだなと。

川田:富の備蓄がされてくることによってそれを強奪しようとしたり、そういうことが生まれてきますし。実は稲作に依存するようになってから飢餓というのが生まれてくるんですよね。それはやっぱりそれに頼りますからね稲作に。収穫に頼るようになって野山から恵みをいただくという生活から自分たちで食糧を管理するようになるとうまく行っているときはいいけど、うまく行かなかったときに大負けするので、ハイリスク・ハイリターンになって。で、弥生時代以降、いろいろ自然と付き合うやり方というのは下手になっていったんじゃないかと思うんですよね。だから縄文時代のほうが、ひとは柔軟だったかもしれません。「古人骨」と言って、古い人骨を調べる研究分野があるんですけど、やっぱり縄文時代には飢餓で大量死するとか、疫病で大量死するというのはほとんどなくて、弥生以降、飢餓で大量死した、餓死したと思われる人骨とか、疫病で大量死したと思われる人骨とかが出てくるようなんですよ。

■そう考えると「プランテーション」なんてね。近代社会で始めちゃったりするんでしょうけど。そういう、単一作物に頼るなんていうことを大々的に人間集団が始めちゃうと、丸々まさにハイリスクな状態が生まれてしまう可能性があるということもあるでしょうか。そうするとやっぱり人間って。あの~、現代ではまず無理ですけど、自然な環境の中に生まれて小集団で点々と、何か点在してるほうが(笑)。

川田:(笑)本当はまばらに。

杉本・川田:(笑)。

■あまりにもネットが中心。まあ僕もインターネット族にすでになっちゃってますけど、もしかしたらないほうが。本当の意味で多様性ってもしかしたらそっちのほうにあったりするのかしら?とか。なんかね。思います。

でも本当に先ほど多様性を大事にしなくちゃいけないという方向へ発達のいまの問題もなっているはずなんですけど、同時に日本人の中には何か非常に単一性みたいなものへの強さみたいなものが何となく無意識のうちに両方共存していて、うまく整理がついていないんじゃないかな、という気がしたんですけど。これは僕の中にもあるかもしれませんし。

川田:そうですね、うん。

■言葉ではいろいろと。言ってますけど。ダイバーシティとか、多様性とか。

川田:ええ、ええ。そうですね。だから今日もお話ありましたけど、まあ僕なんかは割とアメリカ、イギリスのというか、なんというんでしょう。そういう大国、西洋大国から輸入されてくる概念みたいなものはまず警戒するんですよね。なぜかといえばもうこんにちであれば必ずそこには経済的背景があって、何かそこにはその言葉なり、何か理論なりをはやらせることによって儲ける人間がいるような構造になっているわけですよ。だから新しい流行物のキャッチフレーズとか概念はまず警戒して、それがなぜいま出てくるかということをむしろ考える方なんですけれども。一方で日本の、「ひきこもり」というのもまあ、翻訳できない言葉というか。

■ああ、そうですね。この前のドイツのテロ(2016)だといわれた個人を「ヒキコモリ」という言葉で友人が表現してたらしいですね。

川田:ええ。フランスの辞書にも「ヒキコモリ」と書いているらしくて。でもHはフランス人発音しないから、「イキコモリ」になるらしいんですけど(笑)。

■ああ、そうなんだ。「イキコモリ」(笑)。

川田:ええ、ジャーパニーズ・イキコモリ。まあ、カロウシ(過労死)とか、そういうものと並んで。「アマエ」(甘え)とか。やっぱり良くも悪くも日本語でしか表現できなさそうなものがあるとすればですね。もっとそれにこだわって。

■(笑)ははは。逆にね。

川田:こだわって。あの~、何かやったほうが。少なくとも自分たちの身の回りの人間理解には意味が出てくるものがあるんじゃないか。保育とかの世界もそうなんですけど、すぐ海外の新しい何とかっていう理論とかプログラムとかみんな「ワ~」と飛びついてやるんですよ。まだみんなそういうことをやってるんですけど。でもけっこう日本の中にも良いものがいっぱいあって、簡単に翻訳できない、むしろ簡単に翻訳できないような言葉を掴まえて。それをカンカンガクガク議論して、洗練させてちゃんと自分たちのものにするという。そういうことをやっていったほうが脈があるかなと。むしろそれを輸出するくらいの気持ちでやったほうがいいかな、という風に思ったりしています。

■ありがとうございます。何かすごくポジティヴな、やっぱりそちらの方に関心のある領域の人たちの世界になるとどうしてもある必然かもしれませんが、話が重々しくなってしまいがちなんですけど、ちょっとまた違う領域からそういう発言をいただけると良いですね。まさに「ひきこもり」という言葉をポジティヴな単語に転換させなきゃいけないんだろうなと思います。それはやっぱり日本の長い歴史とか文化とかの中で生まれている表現なのかもしれないということで。どこまでいってもね。あの~、「自己防衛的な理論を作っているかな」という気もしないではないですが(苦笑)。でも本当にたくさんそのことで過剰に悩んでいる人もいらっしゃるので。ぜひポジティヴな表現にしていく。言葉の扱いも本当、移り変わりますもんねえ。

川田:やっぱり歴史的にも地域的にも広い視野で見て、さっきの縄文じゃないですけど、何か少しこういう世界の外側に飛び出て行って、考えているとワクワクしてくるとか。やっぱりそういうものがいまの時代には大事かなという感じがしますね。何でも一個言葉を決めてさらにそれを細分化して細かくして、ラベリングして排除する、みたいな。そういうことばっかり起きていて。それはそれでやっていればいいけれども、一方ではもっと言葉によって伸び伸びしていくみたいな。ですから、自分もこの「さっぽろ子ども若者白書」、こういうもので書くときには読み手は研究者じゃなくてやはり実践のかたたちだったりするので、研究者としては言葉によって子どもの見方を固めるではなく、言葉によって子どもを見る目が自由になるというか。やっぱりそういう言葉を探しているというか。そういうところがあります。そういうものが書きたいと思いますね。でもでたらめを書いてるわけではなくて、やっぱりいろいろな研究事実というものがあるんですけれども、そこから現場に言葉を届けるときにはどういう言葉だったらそこからさらにもう一歩、「ああ子どもに会いたいな」とか、またあした子どもに会ったらどんな遊びしようかな、とか。やっぱりそういう風にポジティヴになれるような言葉。それは研究からそのまま導き出されるのではなくて、やはり相手に何か思いとか、私なりの思想とか、そういうものが入ってるんだと思うんですけれども。白書はそんな感じで書きました。

■本当ですね。そういう意味では川田先生の最初の志だったジャーナリズム的な視点というものがきっと。どうやって言葉をポジティヴに届けていけるのか、ということとして出てきているんだなと。いまのお話を伺って非常にいい結論をしていただいたと思います。本当にありがとうございました。

                        (2016.8.8)

北海道大学大学院 教育学研究院 附属子ども発達臨床研究センターにて

※中空土偶―1975年、北海道の旧南茅部町(現在の函館市尾札部町)でジャガイモ畑から発見された縄文土偶。内部が空洞なことから、中空土偶と呼ばれる。現在、中空土偶「茅空」は北海道内初の国宝に指定され、「茅空」を常設展示する博物館「函館市縄文文化交流センター」が函館市臼尻町にオープンした。


※写真協力:吉川修司氏
(川田学先生プロフィール)
2005年03月
東京都立大学 大学院人文科学研究科 心理学専攻 博士課程 単位取得満期退学
2005年04月- 2007年03月
香川大学(講師)
2007年04月- 2010年03月
香川大学(准教授)
2010年04月- 現在
北海道大学(准教授)

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