栗原康さん(政治学者、アナキズム研究)後編・5
捨ててこそ
――なるほどね。でも、いくら中世といっても、凄すぎですね。日本でそんなことやってる人がいた。で、それに付き従う人も沢山いたというのが。
栗原:それこそ、踊る前から一遍というのはすごくて。すべて「捨ててこそ」でいくんだと決めてから30代後半で旅に出るんですけど、最初は何も持たない。自分で稼いで食い物とかをゲットしたらもう自力になっちゃうんで、全部施しで行くと言って。たぶんほとんど「すっ裸」ですよ。下ははいていたかどうかわかんないですけど。で、放浪の旅とかずっとしていて風邪をひいて死にそうになったりとか。
――へえ~。
栗原:そういう意味ではすごいですよ。
――あの~、南紀の熊野は一遍ゆかりのいわば時宗の聖地だとも言えますよね?僕もいちおう熊野に行ったことあるんですよ。98年と2012年。その時はこの本にも書いてありますけど、いわゆる熊野詣での一番最初の場所がありますね?富田川(とんだがわ)。その近辺に住んでいる人とたまたまネットで知り合って。僕、98年に初めて熊野古道で中辺路(なかへち)を歩いて、そのときすごく自分にとっていい印象があったんで、2011年の暮れ頃に自分はそのあたりに住んでいるので来ませんか?と誘いがあってぜひ行きますと。で、まず連れて行ってくれたのが、「ここが一番最初の*王子です」と。で、*湯の峰温泉も行きました。
栗原:いいっすね。
――夜でした。あそこは秘境ですよねえ。
栗原:秘境ですね。
――「何か出そうだな」という感じで(笑)。山中にワア~っと入っていくわけで。地元の人に連れて行ってくれて本当にそれは良かったと思います。で、見ましたよ。一遍さんの。
栗原:爪痕の「南無阿弥陀仏」。
――ええ。良く覚えてないんですけど(苦笑)。一緒に行ってくれた人の案内で。湯の峰温泉は秘境も秘境。
栗原:僕は湯の峰しか行けてないんですけど。
――*小栗判官の話がまた。一応、小栗の話も読んだんですが。「ああ、これは中世の話だ。わかんないわ意味、さっぱり」「なにこれ?」みたいな感じだったんです。これ解読できるのはやっぱり中世の人じゃないと無理かな、と思ってたんですけど。栗原さんの本の中での小栗判官の読み解き方がすごくわかりやすくって。なるほど、こういうことだったんだと。
栗原:そうですね。
――難しい話じゃなかったんだなあ、と。
栗原:うん。本当に再生の話ですよね。一遍的にいえば、何度でもゼロになる。
――これ、「絵解き」とかやってたんですよね?時宗の尼さんたちが。
栗原:ああ、そうです。室町時代から。
――奇妙な話だなあと思ってたんですけど。
栗原:そうです。一遍上人と一緒にハンセン病の人たちがずっといたというのもすごい話です。
――でも、ハンセン病はうつらなかったりしなかったんですかね?
栗原:そうですね。だからうつると言われてて、家からも追い出されて、路上とかにたむろしてるのを一遍上人が。
――たしかそれこそ「聖絵」でしたっけ。その中にも。
栗原:出てきます。包帯などを巻いている人たちが。だからある種一遍上人にとっては踊り念仏の精神というのは「圧倒的に間違える」ですからね。農民として生きてなきゃいけない、武士として生きなきゃならないという、いわゆる人間の標準みたいなのが決まっていて、そうしなきゃいけない。それがおかしいんだというのが一遍上人の根っこにはあったと思うので、そこから排除されている人たちというのはたぶん一緒に行くぞという人たちだったと思うんですね。
――そういう人たちこそ、という感じでしょうね。
栗原:はい。非人とか乞食とか言われてた人たちでしょうね。
――ええ。「逸脱上等」ですか(笑)。
栗原:はい。そうですね。
――「よし」という(笑)。
栗原:よし、です。
――いやでも、栗原さんの文体ね。「淫乱上等、不倫よし」とか。これ、面白いですね。何か講談調でねぇ。
栗原:ははは(笑)
――凄くもうピッタリ感が最近の本ではなかなかね。まあ僕もややこしい本ばかり読むキャラなもんですから、響くんですよ。こういうので。昔の講談調で。上等だ!みたいな。
栗原:ちょっと昭和ノリが好きなんで(笑)。
――ははははは(笑)。なにかで影響を受けてるんですか、文体?
栗原:水滸伝からかなあ?それがすごい好きでした。
――ああ~。なるほど。
栗原:完全に講談の。
――やっぱり漢文調かぁ。四文字熟語系ですね?
栗原:そうですね。
――なるほど、そうかあ。で、一遍上人50代で亡くなってるんですね?
栗原:51歳ですかね。
生きとし生けるもの、みな南無阿弥陀仏
――すごいですね。このかたも。やっぱりエネルギーというか。やっぱ修行した上で漂泊の旅に出ちゃうんですけど、やはりそれだけ念仏を唱えて歩く基礎体力が半端なかった。そうすると弟子もおそらく体力が半端ない人たちでしょうか?
栗原:半端ない人たちが来ますね。
――でも、病気の人も踊ったりするんですかね?
栗原:あんまり病気で辛そうなときは「もうここでいいよ」ということで置いていったりします。その場所のお寺とかにですね。これ以上連れて行くと死んじゃいますから。でも、ついてくる人はたぶんついてきて、踊って死んでしまう人もいたと思います。
――うん。それはまた「よし」ですか。
栗原:それはただ、自分から自殺するのはダメで。それでは自力ですから。
――はい。それは書いてありましたね。それは自力の行為。
栗原:その辺は法然なども同じことを言うんです。
――なるほど。その意味ではハッキリいって近代的じゃないというか。「我思う故に我あり」の世界じゃない、というか。
栗原:ないですね。
――存在そのものが。何だろう?生きとし生けるものが本にも書いてありましたが…。
栗原:そう。「南無阿弥陀仏」だということ。
――「南無阿弥陀仏」で、踊って死んでよし、死ななくてもよし、みたいな。
栗原:いちおう、死んでからが勝負だ、みたいな感じでしょうか。
――でもこれもパワフルな一冊ですね。これは何か受賞されてるんでしたか?
栗原:これはこれだけで取ってないんですけど、ちょうど発表の時に池田晶子賞を。
――ええ。「私、Nobody賞」ですね。これは一冊の本に対してではなくて、されてきたお仕事に対して受賞されたんですよね。
栗原:そうですね。でも『一遍上人伝』はまだ出ていなかった時なので、たぶん『伊藤野枝伝』が読まれたんだと思います。
――栗原さんの恋愛の話も染みたんだと思うんですよね。で、近代の煩悶、大正アナキズムを超えてとうとう中世の…。
栗原:アナキズムが掴み取ろうとしているものも、何かこの野蛮さみたいなものの気がしますけどね。
――そうですね。だからこそ、アナキストは権力に怖がられたんでしょうね。やっぱり近代って、個人個人に「自分中心です」と教え込んでおいて、自己責任へもっていっちゃうんで、「自分が悪かったんです」と言わせちゃうっていう。つまり上から「お前は奴隷だ」ってやるんじゃなくて、大杉栄の奴隷根性論の話じゃないですけど、自分で自分に「自分が悪かった」と思わせちゃうような近代人。それだけに、そういう野蛮な、何というか、人工物や人工世界にあらがっていくみたいなのが、権力にとっては一番嫌でしょうね。
逃散し、遊行した中世人
――そういう意味ではまだ中世のほうが自由だったんですかねえ…。
栗原:自由ですね。で、実際に農民から逃散、田んぼから、囲いから逃げ出して山とか川とか海で生活する人もばんばん出てきているし、あるいは一遍みたいに全国を旅するお坊さんみたいに自分で出家してしまうというのもひとつの逃げる手段のはずです。
――つまり頭丸めちゃえばOKということですね。
栗原:もちろん武士をやめて同じようにする人もいたでしょうし。たぶんそれで生活するのもある種普通だという感覚がまだあったと思うんですよ。
――うんうん。だからいまでいうと「怪しい人物」にみんななっちゃう。現代だときわめて怪しい連中だぞとなっちゃうんだけど。この時代は本当に自由に…。
栗原:そうです。もちろん鎌倉幕府的にはそういう連中が増えちゃうと収入がなくなっちゃうわけだから、その中でも海とか山とかでつるんでいる人たちをいちおう「悪党」と呼びました。
――それを悪党と呼ぶわけですか。
栗原:たぶん全部ひっくるめてそう呼び習わします。
――じゃあ暴力をふるわない人たち、逃げちゃった人たちも悪党と名指されちゃうわけですか。
栗原:そうです。けっこう山賊と呼ばれている人たちも、僕らの山賊のイメージってただ人を襲うイメージですよね。そうじゃない人たちもたぶん多かったと思うんです。山で自分たちで生きる生活をするわけですから。
――おそらくいろんな人がいたわけですね。そうすると平家の落人みたいに山中に部落を作ったり、漁師なんかをやったりするかと思えば、山岳修行で入っていく人もあったり。行き倒れもあり、何でもありで人間も動物も、もう区別つかないみたいな。いや、すべてがそういう世界で生きろ、といったらとてもおっかなくて出来ないなと現代人の僕は思うんですけど。どういう線で結んでいけばいいかな?という感じですよね。「さすがにそれは」というのはやっぱりあるわけで。野性をとりもどすには現代、どうしたらいいんだろう?と思うんですね。私なども。
栗原:ただ、別に同じことをする必要はないですからね。もちろんできる人はやったらいいと思うんです。いまでも地方に行って山とかで生活しようと思えばやろうと思えばできるでしょうし。結局はでも、大杉栄とかも同じことかもしれません。どこまでできるかというのは人によって全然別ですからね。何によって自分の解放感が得られるのか。いまでも文字通り「踊り」にだってそういう可能性はあると思いますし。
――じゃあこうでしょうか。たとえば仮にひきこもりとしてともかく一生行きますよ、と思うとします。親の遺産で一生、と。そんなの非常識だという話ですけど、まあここでは公言するとしましょう。でも、さっきも同じようなことは言ったかもしれませんけど、世間の圧力に負けてどうも自分の筋は通せそうもねえなあって。「もう死にたい」みたいに思いこむ可能性もあるじゃないですか。それもありなのか。どう捉えたらいいかなぁ?あるいは結局デモもね。暴動に引っ張られていいじゃん、自由だ、政府を本当にビビらせるのはこれだなという人が出てきてもいいんだけど。つまり何かこう、大事なものを失っているんだけど、とりもどす縁(よすが)をどうやって作っていくか。本当に一人一人が探すことで、きっとね。節を曲げてしまわざるを得ず、曲げたとしてもそれをよしといえる自由を自分の中に持っておくべきなのかな?というか。「生きること、よし」みたいな感じで(笑)。
栗原:そうですね。あと、たとえば不道徳と呼ばれても「よし」という感覚だと思いますね。
*王子―京都から和歌山県熊野神社への参詣の途中、所々に若王子(にゃくおうじ)に勧請(かんじょうー神仏の仏霊を迎え祀ること)して、祀ってある土地。(広辞苑より)
*湯の峰温泉―和歌山県田辺市本宮町にある温泉。古くから熊野詣での湯ごり場(身を清める温泉)として有名。(広辞苑より)
*小栗判官―伝説上の人物。常陸(ひたちー今の茨城県の大部分)の人。父が鎌倉公方足利持氏に責められたとき、照手姫のために市を逃れ、遊行上人の藤沢の道場に投じた。説経節(せっきょうぶし)や浄瑠璃に脚色された。(広辞苑より)
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