北海道大学大学院 教育学研究院 附属子ども発達臨床研究センター 川田学准教授インタビュー・5 (2016)
定型か非定型かのグラデーション
■ある意味で研究のありようみたいなこともその時代の影響を受けてしまっているということもあるということですね。で、そこでやっぱり微妙と思われる部分で言うと、いわゆる最近の発達のスペクトラム。つまり「定型か非定型か」みたいなグラデーションといいますか。スペクトラムみたいなことですが。まあ端的に言ってしまうと、発達障がいといわれる言葉の流通がひとり歩きしてしまっているように思うんですよ。僕たちの中でも聞きます。「発達障がい」みたいな診断が軽度でつきました、みたいな形で。やっぱりそれは社会の状況もあって、障がい者雇用枠をいままでは大企業だけだったのが全企業に適用しなくてはならないとなるとやはり障がい者のなかで採用したい人の中にはIQとかに問題の無い、いわゆる発達障がいといわれる人を企業としては雇用したいと。で、こちら側としては非常に就職が難しい時代の中でさまざま理由があって働くことができない人が発達障がいという診断がつくことで特別な求人枠の中で就職することができる。ちょっとお互いのメリットを同時に感じながらみたいなことが徐々にあったりして。先生の論文にも書かれていたと思うのですけれども、いろいろな現場で発達障がいの疑いみたいなものがいままで意識しなかった人たちの間でも意識が芽生え始めてるみたいなことが書かれてましたよね。そこら辺の問題をどう考えるのかな、ということを思うわけなんです。
川田:うん、これは何とも。難しい問題ですね。私が心理学を勉強し始めた頃は定型とか非定型という言葉はなかったと思います。むしろ心理学の中では割と正面切って、「正常」と「異常」という言葉が使われていて。で、「異常心理学」、「アブノーマル・サイコロジー」という言葉はあったし、本も出てた。90年代の前半までは異常心理学ってまだ使われていて、90年代の半ば以降急激にそういうものがなくなった気がします。で、定型・非定型という言葉が、少なくとも日本の中で割と学会の中でも使われるようになったのはたぶん2000年代に入ってくらいじゃないのかなあ?と思うんですね。だからごく新しいと思います。もう少しアメリカの文献なんかだと80年代くらいの文献から「atypical」。典型が「typical」で、それに対して「atypical」(非定型)というのが使われだしているんですけれども、それでもそれがワッと広がったのは90年代の終わり、後半くらいじゃないかなあと思うんですね。
■うん。けっこう社会条件、2000年代からいろいろなものがこう、厳しくなってきて。その反映があるんじゃないかという気もするんですけれども。
川田:ああ~。そうですね。そんな社会条件や制度とかいろんなそういうものとの関係でやっぱりある「対象の捉え」があるのがクローズアップされるというのがおそらくあるんだと思うんですけれども。大きくいえばさっき言ったようなある種の二項的に「正常」と「異常」という区別があったと。で、異常というのはいわゆる「異常」なので、そこは本当、人による願望があるんだと思いますけれども、全体から見たときに異常というのはあまり沢山あったらおかしいと。異常というのはもうごくごく少数なのであって。
■(苦笑)そっか。
川田:うん。そこに99%くらいは正常で、で、ある種彼岸という感じにして、「異常」を置く。この間に明確な太い線を引いて。で、このへんをウロウロしている人は何か極端に環境条件が悪いか、何かなんだろうというような。
■ボーダーライン、というやつですか?
川田:ボーダーラインなんだけど(笑)。ボーダーラインという考えも比較的心理学全体で言えば新しいわけですね。
■ああ~。そうなんですね。
川田:新しいといっても、定型とか非定型とかのもっと前ですけれども。たぶん心理学全体の歴史からいえばボーダーラインというのもやっぱり比較的最近の「ボーダーレス社会」みたいになってきた社会の。
■ああ~。そうか。
川田:高度成長期移行のひとつの現象だと思うんですけど。だからだんだんそうやって異常ということで、これは異常だからあっち、という風にやってたものが、だんだんこの線の前後にあるものが浸みだしてこざるを得なくて、そのうちもう線を引くことそのものが有効性がなくなってきて、「全部スペクトラムです」という風になったのがこの15年くらいかな、と思うのですけれども。で、何というのか、全体からみるとたぶんそういう風になっていくんだろうなという風に予測されるところがあって。例えば男性と女性の境界というものが非常に弱くなりましたよね。
■ああ~。最近はそうですね。
川田:それから人種的な、かつて人種差別的ないまでもそういうことがありますけども。公民権運動の時代とかを境にして、いままでだったら「これ白人用」「これ黒人用」となっていたのが、少なくとも制度上ではそういうものがなくなったりとか。大人と子どもの間、まさにモラトリアムの問題ですけれども、大人と子どもの間の境界もかつては「大人」と「子ども」の間も明確な線が引かれていた。その線を明確にするためにイニシエーション(通過儀礼)というものがありましたよね。それは非常に暴力的なものでもあったり。で、女性の場合はイニシエーションをあまり必要でなかったところもあって、まあ日本髪を結ったりとかはあったんですけれども。やっぱりそれは初潮とかあって、はっきり子どもを産める身体か、産めない身体か、というのがあって、ここでひとつ線を引く。男性の場合はそういうものがないので、だからある種キモ試し的にいろんなそういうものを入れて。
■男性性とか、「男らしさ」みたいなものですね?
川田:男らしさみたいなものを何かで獲得させてこの日をもって、この日を境に大人だと。そういうものがありましたけど、それがなくなって。いつ大人になったか、いつどれが子どもか。だんだんそうなっていきますよね。たぶんそういうものと同じように、正常と異常というものも線引きができなくなって来て、ボーダレス化するという形になって。その意味では最後のほうにそうなってきたという感じかな、という印象を持っているんです。だから時代はそのように。つまり「線を引く」というのはすごく特権的な行為ですよね。
■(笑)そうですよね。
川田:線を引くということは。あなた異常、あなた正常とか。こっち男、こっち女、みたいな。今日からお前大人だ、みたいなことって、ものすごく権力的な行為なわけですけれども。やっぱり社会が民主化するとそのナタは誰が振るえるのか?と。
■そうですね。神様がいないのに。
川田:もはや首相でも引けない。首相、大統領でも線が引けないということになってくると、それはもう客観的な証拠に頼まざるを得ないとなりますね。そうすると客観的な証拠はさっきお話したみたいに、けっこう幅があるものなので(笑)。で、データでピシっと。「はい、こっから向こうはこうです」とは実は言えないですよね。常にその線引きというのは臨床経験とかで。だいたいこの、鬱病なんかでのスケールとかでも7点以上は臨床群とかで、じゃあその7点とかは誰が決めたんだ?というと医者たちが経験的にだいたいこの辺だ、という感じで。
■DSMとか、ああいう世界ですか?
川田:ええ。DSMも行動診断ベースですからね。いろんなスケール(尺度)ってそうなっていて、やっぱり自然科学というか、物理科学の領域のように線を引けるほど明確なデータが得られるわけではないと。人間に関していえば。特に行動診断は、人が人を見て決めるわけですから。リトマス試験紙のように赤になった、青になったという話ではないわけで。だから権力でも線を引けない。で、科学でも線を引けないということになったときに、「線を引く」ということそのものが有効でなくなってきて、人びとに信じられなくなってきてしまうとそれは出来なくなってしまう。そこはもう、線引きをある種放棄してグラデーションとして捉えて、あとはそれぞれの生活をしている個人個人、あるいはその家族とか。身近にいる人たちからの「しんどいよ」とか、「つらいよ」とか、「この辺は頑張れるよ」とかという訴えに耳を傾けて、個別に調整していくしかないという。そういうことにならざるを得ないんだと思います。
ただその結果、例えば私だったら保育園とか幼稚園が現場なんですけど、この15年20年で起こってきたことというのは、先生たちはそれまでは障がい児保育として積み重ねがあって、そのような子どもにどのような保育が必要かなどの蓄積があって、一方ではそうではない障がいをもっていない子どもたちについてもそれなりの蓄積が当然あって。で、その上でいろんな子どもたちは乳幼児期だし、発達期で個性があるから早い遅いもあるし、得手不得手もあるし、乳幼児だから長い目で温かく見守っていきましょうよ、というのがそれまでだったとすると、やっぱり発達障がいとかスペクトラムとか、気になる子とか、そういうのが出てきちゃうと、「この子は特別な問題はないといわれているけど、もしかしたら発達障がいかもしれない」とか、「もしかしたら○○かもしれない」というように先生たちの気持ちの中にいつもそういう不安がつきまとうようになっちゃったんですよ。グラデーションになってしまった結果として。
そうすると、「もしかするとちゃんとした診断にかかるとこの子は白か黒かの判定をしてもらえるかもしれない」と。そうすると私たちが関わるときにもっとキチンとした関わり方が出来るかもしれないとか、要は保育園だけじゃなくてもっと専門機関にかかって専門的な指導とか、訓練とか受けたほうがこの子の将来のためにはいいのかもしれないとか。いつもそういう不安が先生たち、親たちの中にもくすぶるようになってしまって。その結果、先生たちの中にもなかなか自信を持って、長い、少し幅のある形で子どもたちに向き合うということが難しくなってしまったというのはあると思います。
カテゴライズに弱い日本人
■あの~、私のその本(『ひきこもる心のケア』)でいえば、特定の名前を挙げるのも何なんですけれども、札幌市の障がい者支援相談センターで働いていた山本先生と種々話した中で、やっぱり両面性と言いますか。発達障がいということで報われる部分、就労とかあるいは困っている部分に関して気をかけてもらえる、昔であればほったらかしにされて苦しい思いをしてきたような人たちが特性を理解をされるようになると同時に、逆にスペクトラムという中で非定型性のほうにやはりひっぱられてしまうというのですかね。あるいは僕らの側ですよね。僕らの感覚の中に発達障がいという言葉が本当に理解されているわけではなくて、言葉が上から降りてくる。そういう形の意識として残るので、その状態像から割と単純な理由で「彼は発達の障がいの傾向があるんじゃないか」とか、極端に言ってしまうと排除的な論理で他者を見るみたいなことが起きてしまうようなことがあるんじゃないかと。そういうレッテルというんですかね?悪く言ってしまえば。そういう風になってしまうと、そこには集団の中で優劣みたいなものが出てきてしまったりしないかな、とぼく自身は思ったりもするんですよね。
川田:うん、そうですね。何かこれは本当に雑談みたいな話ですけど、日本人って割とカテゴライズとか、カテゴリーに弱い文化なんだと思うんですよ。例えばこの人は社長さんですとか、大学の先生ですとか、この人は発達障がいですとか、そういう風になると「その人」ではなくて、やっぱりカテゴリー色眼鏡で人を見るというのがどうしても強くて。自分の知り合いなんかでカナダとかアメリカなどで子どもを子育てしてる知り合いがいるんですけどね。向こうはカテゴリーに対してもう少し「強い」んですよね。やっぱり「個人」という感覚が強い。自分にはよく分からない、ヨーロッパ人のあの個人というものに対する絶対的な信念というものはあるんだろうと思うんですけれども。
私の知り合いのたまたま娘さんなんて言うのは、まあたぶんすごくIQが高いんですよ。だけどもし診断とかをつけてくださいといえば、何かつくかもしれない。だけど先生は入学してきて最初いろいろ入学するにあたっていろんな検診とかをしたときに、「娘さんは選択ができます」と。ひとつは普通の学級に普通に行くということ。これも大丈夫と思います、と。ただもうひとつ、「スペシャル・ニーズ」の、特別支援を受けることもできます、と。だけどその特別支援というのは才能開発ですね。
■才能開発?ああ~、そうか。
川田:日本だとスペシャルニーズというと、いわゆる特別支援教育。ハンディのある子のサポートをするような。
■そうですね。適応を(笑)。
川田:適応を促すような。で、アメリカとかカナダだとそうではなくて、やっぱりすごく人付き合いという意味では得意ではないかもしれないけれども。天才肌みたいな感じの子にはその子の持っている強いところをちゃんと伸ばす。そういうプログラムをちゃんと提供することができます、と。で、いろいろ相談して選んでいくというような形で。やっぱり日本人なので最初はすごく戸惑ったらしいんですけど、基本的に向こうは何ていうんでしょう。その子の持っている特性を最大限生かすにはどうしたらいいか。それによって国力全体が上がるという発想があるのでしょうね。とにかくその子の持っている強みを伸ばすというのが最初にあるようなんですよ。その意味では日本の場合は何というか、まだ「施し文化」というか。あるカテゴリー、どちらかというとネガティヴなカテゴリーに入れられてしまうと、あとは施しの態度みたいになってきてしまう。
まあ、何となく思うのはすごくカテゴリーに弱いということです。日本はやっぱりすごく形式主義で、型を示されると型を通してしか個人が見えなくなってしまう。で、その子どもにちゃんと向き合うということが余計な型を知らなければもっと違う向き合い方ができたのに、あいだに型が入ってしまうとその型からしか物が見えなくなってしまう。割とそういう傾向が高いかなあと。
■そうですね。やっぱり個人。仰られたように個人というものの持つ力というものが強いのですかね。向こうのほうでは。カテゴリーをも越えていく。やっぱり自分たちはカテゴリーに弱いですよね。スティグマとか何とかともいいますけれど。
川田:そうですね。人間自体を何かカテゴライズしないと、というような。
■基本的にはそうだと思うんですけど。う~ん。そうは言いつつも日本って、西洋の輸入文化ですよね?(笑)。こういう定型・非定型にしても。その前の異常・正常の論にしても。だから不思議だなと思うのはそこも個人が弱いのか、そういう強い文化が入ってくるとすっとその流れの中に入ると。あの、研究者の方も。先生を前にしてこんなことを言うのも何なんですけど、研究のかたもす~っとそちらの流れの中に入っていくといいますか。対抗する、例えば「いや、異常だよ。異常心理学はあるんだよ」って頑張る学者さんがいれば、それはそれで面白いことだと思うんですけども(笑)。そういう風にはならないというか(笑)。その論理、確かに筋が通っているな、となるとすっと入っていく、というのがあるのかなあ?と。
僕、面白いなあと思うのは、僕は10代のとき対人恐怖症で当初、被害妄想がひどかったときは一番最初精神科のお医者さんも見立てのひとつとして、「境界例」(ボーダーライン)かもしれないと言われたらしいんですよね。でも、しばらくして落ち着いてからまあ対人恐怖症ですね、というようなね。つまり変わりますよね。年齢とともに。自分自身で成長とは特に思っていませんけど。まあ思春期固有のある部分の毒が出ただけかもしれません。それはそれでいいんですけど、いま「神経症」って言わないですよね。
川田:そうですね。聞かなくなりましたね。
■(笑)あの~、アメリカ流の何でしょう?「回避性人格障害」みたいな(笑)。そんな言葉が出てきたりとか。そうすると臨床の専門家の方もそういう言葉で語りだしたり。対抗勢力みたいなものが何で出てこないのかしら?と思っちゃう(笑)。
川田:ふふふふふ(笑)。そうですねえ。やっぱりDSMとか変わっちゃうからでしょうね。医者は特に。診断基準変えられちゃうともうほかの言葉で語れなくなっちゃうのかなあ。
■でも、森田療法とか。
川田:ああ~!そういうのもありますね。
■「森田神経質」とか(笑)。あそこら辺で頑張ったりとかあんまりないんですかね?
川田:そうですね。少数派でしょうね。いまは臨床心理も北大の臨床心理はちょっと変わってますけど、全国的に見たら圧倒的に認知行動療法が盛んですしね。
■そうらしいですねえ。
川田:まあひと頃に比べたら精神分析系なんていうのは本当に斜陽というか。分析やっている人も何か自然科学の後ろ盾がないとアカデミズムの中にポジションがなくなるというのはあるような気がしますね。
■なるほどね。やっぱり近代社会は別に日本が独自に作ったわけではないし、ヨーロッパが作り上げた、まあフランス革命などの、いろいろ絶対的な神や王権との対決を経て近代というものを作ってきたヨーロッパの、いまはアメリカが主流ですけど、そういうものの影響の波にずっと日本という国は呑まれてやってきたと思うので、その延長線上のなかにぼくらは生きているわけで。それは否定できないですけど、ただやっぱり僕も相応に年齢を重ねると。時代の中でいろいろとこういう心理学的な問題というのも表現が変わっていくもんだな、ということは非常に感じますね。
川田:うん、そうですね。だから先ほどのワロンに戻ると、ワロンみたいなある種人間観とか発達観は日本の割と土着的な感覚にはすごく合うものだと思うんですよね。だからアメリカでは全然受容されなかったけれども、何かフランス本国以外でこれだけワロンが読まれている国って日本しかないんですよ。
■あ、そうなんですか。
川田:翻訳をこんな熱心にしたのも日本しかないし。日本はとにかく西洋の新しいものを取り入れるのに積極的だったにしても、ワロンにまで手を伸ばして、じゃないけれど。こぞって特に教育学とか発達研究者はワロンをずいぶん翻訳して、ってなるとやっぱりそこには何かいわゆる英米系の、イギリスアメリカ的な、ピューリタン的な、「新大陸」思考的なものとはまたちょっと違う。もう少し大陸的なというか。もうすこし「家族」とか、「コミュニティ」の中で自分に課された状況を生きざるを得ないという中で人間を考える、というような。まあ、「島は出られない」というか(笑)。何かそういう人間観のほうが日本にはたぶんフイットしてたんだろうと思いますけれども。
■ある意味古風な日本人観を。まあ家族観とかを。まあ僕もノスタルジックに感じている人間かもしれませんけど(笑)。そういう人にとってみると違和感のないフイットするようなものが確かにあるのかもしれないですね。
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