
『Sailor』★★★★★(4.5)-音楽購入履歴#14
Title: Sailor(1968)
Artist: Steve Miller Band
Day: 2024/4/8
Shop: disk union osaka
Rating:★★★★★(4.5)
サンフランシスコの引力

67年夏、サマーオブラブ、サンフランシスコをビッグバンとしてフラワームーブメントは世界中に広がった。
サマーオブラブやフラワームーブメントなんていうと、ヒッピーの世界の出来事なんでしょ、と思う人もいると思うが、
そうではなくて若者のほぼ全てがヒッピーと化し、ある種の文化革命が起こったのがこの60年代末なのです。
映画や文学、ファッション、音楽、全てがフラワームーブメント色に染まり、67年から2,3年の命だったけど、70年代にもこのビッグバンの余波みたいなものは間違いなく残っていて。
まぁとにかくカルチャー史を遡る上でかなり重要な数年であることは間違いなくて、僕はこの時代にとてつもなく惹かれていて。
サンフランシスコのヘイトアシュベリーがフラワームーブメントの中心地、聖地、メッカとされていて、67年にアメリカ全土、いや世界中から若者が集まることになる。
この時代のサンフランシスコの音楽をサンフランシスコ・サウンドやシスコサイケなんて言うけど、その辺のミュージシャンの出身地を見てみると、本当に各地から集まってきているのがわかる。
彼らはフラワームーブメントを起こした側とも言えるので、67年より数年早く移り住んでたりする。そんな彼らに倣って大移動がおこったのが67年ということでしょうか。
やっぱり中心となるグレイトフル・デッド、ジェファーソンエアプレイン、クイックシルバーメッセンジャーサービス辺りはサンフランシスコに深く根付いていて。
ジェリーガルシアとポールカントナーとデヴィッドフライバーグ、あとデヴィッドクロスビー、この辺がサンフランシスコのフォーク界隈にいたところに64年ブリティッシュインヴェイジョンがきて、サンフランシスコロックは生まれているわけで。
それでも各バンドメンバーは結構各地から集まっていて、グレーススリックもディノヴァレンティも。
他にもフラワームーブメントの象徴といえるジャニスジョプリンはテキサス州から
マイクブルームフィールドとエレクトリックフラッグがシカゴから
エリックバートン&アニマルズはイギリスから再出発
サンタナは言わずもがなメキシコから(家族でだけど)
そしてスティーブミラーとボズスキャッグスはテキサスから
だからサンフランシスコサウンドは、例えばリバプールサウンドとは意味合いが違っていて。
多種多様なルーツを持った若者が互いに影響しあってフラワームーブメントを背景に混ぜ合わせていった、
そんなごった煮でカオスでサイケでヒッピーな魅力がサンフランシスコサウンドにはあるわけです。
シスコサイケについての過去ブログ↓
スティーブ・ミラーと
ボズ・スキャッグス

スティーブ・ミラー・バンド、ボス・スキャッグスといえば一般的にどちらも70年代後半に大きく成功をおさめたミュージシャンで。
互いに76年に『鷹の爪』、『シルク・ディグリーズ』でそれぞれトップアーティストに登り詰めた。
70年代後半、全盛期のスティーブミラーバンドはブルースを軸にファンキーでダンサブルな要素も持ち、アダルトコンテンポラリー/AORの界隈にも片足突っ込んでるスタジアムロックバンドというイメージ。
個人的にはTotoやアメリカ時代のフリートウッドマックなんかと同じカテゴリに分類している。
ボズスキャッグスは言わずもがなAORの代表格。70年代後半やAORをほとんど聴かない僕でも『シルクディグリーズ』は避けて生きてこれなかった。
スティーブミラーとボズスキャッグス、2人ともブルースを基軸にジャズやソウルをクロスオーバーさせて歌ったギターボーカリストだけど、
そんな2人の2枚看板で活動していたのが初期スティーブミラーバンド、シスコサイケ時代のスティーブミラーバンドで。
2人は12歳の少年時代にテキサス州で出会っているそうで。スティーブミラーがボズにギターを教えたとか。
同じ大学に進学した後、60年代前半ボズは当時白人ブルース、R&Bが盛んだったイギリスへ。スティーブミラーはブルースマンになるべくブルースの聖地シカゴへ。
60年代半ばにスティーブミラーはサンフランシスコに移りバンドを結成。帰国したボズに手紙を書いてサンフランシスコに呼び寄せたとな。
それでスティーブミラーとボズスキャッグスのダブルギターボーカル体制でスティーブミラーバンドは始動。
67年夏、サマーオブラブの象徴であるモンタレーポップフェスティバルに出演。野外フェスの原点とも言われるフェスである。
シスコサイケの主要バンドのほとんどがこのモンタレーポップフェスに出演し、ここでのパフォーマンスが評価されレーベルと契約してデビューを勝ち取っていった。
スティーブミラーバンドもキャピトルレコードとの契約に成功し、68年に1st『未来の子供達』でデビューすることになる。
ボズスキャッグスがダブルギターボーカルの片割れとして参加してるのは68年の1stと2ndだけであり、そのあとはなんやかんや活動したあとご存知のソロシンガーとして成功にいたるようで。
特にこの2ndはボズの作曲が3曲あったり、多くのメインボーカルをボズが取っていたり、シスコサイケ時代のボズスキャッグスを聴ける重要アイテムとして扱われてる様子。
ただ僕はこの『Sailor』を買って聴いて、ボズがどうのこうのよりも、とにかくスティーブミラーのサイケデリアに魅せられた。
スティーブミラーとボズは少年時代に出会って、共にブルースマンを志して進んできたわけだけど、この時期のスティーブミラーはかなりフラワームーブメントにどっぷり浸かっていて。
ボズはイギリスで白人ブルースを体験してきたこともあってかなりストーンズ的なブルースロック/R&Bをやっていて。
結構2人の方向性は違っていて、実際方向性の違いでボズは脱退するみたいで、
そのまざわりも面白いんだけど、個人的にはボズいらねーんじゃねー?もっとスティーブミラーのサイケデリアを聴きたい、ってくらいスティーブミラーが素晴らしいのよね。
2人のブルース道は最終的にクロスオーバーしたAOR的なポップロックという似たようなところに着地するんだけど、
フラワームーブメントの最中で違う道を進む2人の姿がこの初期スティーブミラーバンドに残されているわけです。
ピンクフロイドの影響元?

1st『未来の子供達』でも思っていたことだけど、この頃のスティーブミラーバンドはブルースを基軸にしながらもスペーシーなサイケデリアを纏っていて。
その感じがかなりピンクフロイド的なんですよね、70年付近の。
それでこの『Sailor』のオープニング、〝Song for Our Ancestors(先祖の歌)〟を聴いて確信しました。
シドバレットを失ったピンクフロイドは(おそらくギルモアは)、間違いなくスティーブミラーバンドから影響を受けています。
もうピンクフロイドそのものなんです。イントロのSEから鍵盤の音色からタム多用したドラムからコード運びから。
この68年はピンクフロイドがシドを失ったあともがきながら『神秘』を出したころで、このあと70年ごろにかけて徐々に新体制のフロイドスタイルを確立していくことになる。そのスペーシーなブルースロックというスタイルを作り上げるヒントとして、このスティーブミラーバンドの『Sailor』が一役買っていることは間違いないかと。
『Sailor』は米ビルボード200で24位と、少なからずヒットしているのでピンクフロイドが聴いていても全く不思議ではないわけで。
それで「スティーブミラー ピンクフロイド」で検索かけてみたんだけど、75年のネブワースフェスティバルの特別ゲストとしてフロイドからスティーブミラーバンドにオファーがあったとか。
このネブワースフェスはフロイドが『炎(Wish Yor Were Here)』をリリースする直前に開催されたフェスなんだけど、まさに〝クレイジーダイヤモンド〟が〝Song for Our Ancestors〟風だったりもするので、そんな意味も込めての特別オファーだったりしたのかもしれない。
ピンクフロイドってのはまぁ言わずもがな唯一無二の世界観を持ったバンドで、ブルースロックの新しい形を発明したバンドでもあると思うんだけど、まさか初期スティーブミラーバンドが影響を与えていたとは(たぶんだけど)!
〝Dear Mary 〟という超名曲

そんな〝Song for Our Ancestors(先祖の歌)〟で幕を開けた後の2曲目〝Dear Mary〟。ちょっとやられましたね。
生涯聴くだろう名曲と出会いました。
オンコードで下りていくクリシェはプロコルハルム67年〝青い影〟へのオマージュ(つまりG線上のアリア)でしょうか。アウトロでそれっぽいフレーズのギターも聴こえます。
ディレイの効いたサイケデリックなオンコードアルペジオと8分のピアノバッキングと暖かい管楽器の音色、そしてスティーブミラーの消え入りそうな儚さを纏った声。
Dear Mary
Thank you for the day
We shared together
Deep in my heart I am waiting
I'm waiting for you
愛しのメアリーに共に過ごした時間に対する感謝を歌うラブソング。心の深いところで待っている、と失恋ソングともとれるけど、とにかく透明で心地よい。ある種悲しみの果てみたいな清々しさなのかもしれない。
スティーブミラーの消え入りそうな裏声はロバートワイアットの儚さと憂鬱に通ずるところがある声。
そしてトランペットソロとギターソロが完璧に混ざり合うエンディング。奇跡です。美しすぎる。
ブルース味ゼロのバロックポップなのでスティーブミラーバンドっぽくはないのかもしれないけど、これで一気にスティーブミラーという人が好きになりましたです。
3曲目〝My Friend〟はボズ作曲のブリティッシュさ溢れるビートソング。
〝Dear Mary〟のバロックポップも含めて、全体的にめっちゃブリティッシュなんです。そこら辺も後の2人を考えると意外ですよね。
この『Sailor』は70年代に『Living In the USA』とタイトルを変更して再発されていたようで、つまりはこのアルバムの代表曲とみなされていたのが4曲目〝Living In the USA〟。
ダンサブルなブルース曲、ってことで後のスティーブミラーを思わせる一曲。冒頭のブルースハープがいかしてますね。
でもこういう曲は個人的にはあんまり。僕は踊らないんです。
B面はかなりブルース色が強いけど、初っ端はアシッドな〝Quicksilver Girl〟。
いい感じのアシッドソング。これもこの時期ならではのスティーブミラー。
クイックシルバーは水銀の意味で、他にも水星(マーキュリー)の別名だったり、「気まぐれ」って意味だったりするみたいだけど、
同じサンフランシスコのバンドで、スティーブミラーバンドと同じくモンタレーポップフェスティバルで認められ、キャピトルから同時期にデビューしたクイックシルバーメッセンジャーサービスが関係してるんじゃないかしら。
知らんけど。
B面ラスト2曲はボズの曲だけど、これがめっちゃ60'sストーンズっぽい。
初期スティーブミラーバンドのプロデュースを手がけたのはグリンジョンズ。
グリンジョンズは主にストーンズのレコーディングエンジニアとして知られる人物で、最終的にフィルスペクターに手柄を取られるがビートルズのゲッドバックセッションにも起用された男である。
そんなエンジニアのグリンジョンズは70年代にはイーグルス等のプロデューサーとしても活躍するわけだけど、そのプロデューサー道の出発点となったのがスティーブミラーバンドの68年1st『未来の子供達』である。
グリンジョンズの自伝を読んだが、そんなこともあってかスティーブミラーバンドはかなり思い入れのある仕事だったようで。
そんな初プロデュースバンドに、ボズというストーンズスタイルの曲を歌うシンガーがいたんだからそりゃ張り切っただろうなー、とか思ったり。
しかしイーグルスにしてもスティーブミラーバンド及びボズスキャッグスにしても、グリンジョンズが離れてからバカ売れしてるのは複雑なところだろうな笑
まぁとにかく冒頭2曲、恐らくピンクフロイドサウンドの元ネタであろう〝Song for Our Ancestors(先祖の歌)〟と、最高のバロックポップ〝Dear Mary〟、これだけでこのアルバムは名盤でございます。
まさかこんなクリティカルヒットするとは思いませんでした。らっきーーーー