『ストリング図で学ぶ圏論の基礎』:圏論本を書こうと思った動機など
今回の記事では,拙著『ストリング図で学ぶ圏論の基礎』の裏話として,本書を執筆した動機と,ほかの方からのフィードバック,さらに読者へのメッセージについてお話ししたいと思います。
本書を執筆した動機
私の専門は,信号処理や量子論です。信号処理アルゴリズムを開発する際には,そのデータの流れを図示することがよくあります。また,量子論においても,視覚的な理解を助けるために一連のプロセスをしばしば図で表します。これらの図が圏論のストリング図に相当するものであることを後で知り,圏論に興味を持ちました。量子論では,その対称性を記述するために群論がよく使われるのですが,圏論が群論をある意味で一般化した理論であるということも,圏論を学びたいと思った理由の一つです。また,圏論と関連がある関数型プログラミングに興味をもっていたことも理由として挙げられます。
このため,圏論の基礎をしっかりと学ぶことにしました。そこで,圏論の有名な書籍と思われる『圏論の基礎』や『Category theory in context』などを読み始めたのですが,私には難しすぎました。より入門的な書籍である『ベーシック圏論』も読んだのですが,この本も後半で挫折しました。正確には,これらの本の内容を論理的に追うことはできたのですが,その本質を直観的に理解できた気にはとてもなれませんでした。この意味で,難しすぎたのです。
そこで,直観的に理解することをめざして,これらの本の内容を個人的に馴染みのあるストリング図で表現し直してみることにしました。主要な命題も,できるだけストリング図を用いて証明してみました。その結果,多くの場合により視覚的に理解できることに気が付いたのです。ストリング図を用いることで,本質に少しは近づけたような気がしました(気のせいかもしれませんが)。このときに得られた知見をほかの人にも伝えたいと考えて執筆したのが,今回の書籍です。
私が圏論の基礎をある程度理解できたと思えるようになったのは,比較的最近のことです。圏論の専門家にとっては,私の持っている圏論の知識などは微々たるものでしょう。そのような者が圏論の基礎に関する書籍を執筆してもよいものだろうかと悩みましたが,ストリング図については複数の分野をまたいで活用してきたことや,圏論初学者だった頃の記憶が鮮明に残っていることは書籍執筆におけるメリットになるかもしれないと思い,執筆を決意しました。
ほかの方からのフィードバック
本書は,arXivに投稿した次の原稿を,圏論初学者向けにていねいに説明したものです。
K. Nakahira, "Diagrammatic category theory", arXiv:2307.08891
まだ少数ではありますが,国内外の読者の方から「米田の補題やカン拡張などを初めて直観的に理解できた」といったコメントをいただいています。なお,この原稿は,圏論の豊富な情報が提供されているサイト「nLab」の「string diagram」の項目で紹介されています。
本書に対して,初学者から圏論に詳しい人までの幅広い複数の方にレビューをしていただきました。レビュー前にはごく初歩的なミスも多数ありましたが,数多くの建設的なコメントをくださり,そのおかげで本書の質を大きく向上できたと思っています。難解な箇所については何度も修正することで,とてもわかりやすくなったと言っていただけるようになりました。
読者へのメッセージ
本書では,圏論の基礎をしっかりと学べることをめざし,ストリング図をそのための手段として用いています。私自身が圏論初学者だったときにつまづいた箇所を思い出しながら,初学者向けにわかりやすい説明を心がけました。とくに,初学者に向けて重要な概念については繰り返し述べることにしました(そのため,圏論の知識がある人にとっては冗長だと思える箇所が少なからずあると思います)。
線形代数が機械学習や物理学をはじめとする多くの分野の基盤となっているように,圏論も多くの分野の基盤となっていると思います。数学を専門としない人でも,線形代数について学んだことがある人は多いと思います。線形代数と同様に,将来的にはより多くの人が圏論を学ぶことになってもおかしくないのではないかと考えています。
私自身は,圏論のユーザの一人にすぎません。しかし,できるだけ多くの読者に「圏論の基礎を学ぶために適した本の一つ」を提供したいという思いで,渾身の力を注いで執筆しました。ストリング図の魅力が伝わるように,ストリング図の描き方も工夫しました。
本書を通じて,多くの読者に圏論の基礎的な概念を直観的に理解していただき,さらにストリング図の有用性や魅力を存分に感じていただければ,これ以上の喜びはありません。本書にご興味をお持ちいただけましたら,ぜひお手に取ってご覧ください。
よろしければ,こちらの紹介記事もお読みくださると幸いです。