ゲッティンゲン留学の大先輩たち
今はゲッティンゲンと書くのが普通だろうが、かつてはゲッチンゲンと書かれていたようだ。漢字だと月沈源。悪くない当て字だと思う。
ところで、ゲッティンゲン大学には多くの日本人科学者が滞在・研究してきた、100年を超える歴史がある。その中の一人、数学者の高木貞治氏が当地で数学者のヒルベルト教授の家を訪問した時の短いエッセイが青空文庫にアップロードされていた。ちなみに写真は高木氏が学生時代に滞在していたゲッティンゲン市内の家屋。ゲッティンゲン市内には、このように著名な研究者の住まいだった場所が看板で表記されている。簡単にあちこちで見かけることができる。
旧かなづかいで読みづらさはあるのだが、話の筋そのものは今でもあるのかも、と思わせる内容。浮世ばなれした老数学者の様子がうまく描かれている。ちなみにこのエッセイに出てくる通りはもちろんいまでも存在している。旧植物園の北東。僕はその一本北の通りを歩くことがよくあるのだが、その昔高木先生も歩いていたに違いないと思うと、なんだか面白い。
僕はこういう浮世離れした大学の先生になにかを直接習った経験がない。ただ、数学科にいた先輩の浮世離れした様子は見ていたので、なんとなく想像はつく。幸いといっていいのか、残念ながらといっていいのか、今教わっている先生方はみなスマート。中には普通に会社のマネージャーが勤まりそうな如才ない若手教授もいる。森林学や農業経済学といった分野では、ポストを得るために論文の質以外の、人脈とか研究資金調達能力とかも求められるだろうから、そういう感じになるのかもしれない。
オリジナル記事公開日:2012年3月19日