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エッセイー5. 推奨(提案)という名の強制(指示)

今日はJWにおける推奨(提案)という名の強制(指示)について考察したいと思う。

しばし、X(旧Twitter)で

脱JW 「過去にものみの塔協会からの虐待指示で被害が出ている!」
現JW 「ものみの塔協会はそんな指示していない!家庭(親)の問題だ!」

というような論争を目にするが、ものみの塔協会が発している情報はどちらにも共有されているのになぜこのような推奨(提案)なのか強制(指示)なのか論争が起こるのだろうか。その内容を考察したいと思う。

私の考察の結論から先に書くが、

推奨(提案)は罰と報酬によって強制(指示)に変えることができる


ということだ。
つまり最初に記した脱JWと現JWは状況次第でどちらも正しい事をいっているし、どちらも間違ったことを言っていると考えられる。

字義通りに判断するならものみの塔協会は提案(推奨)と判断できる文章を作成し、通達しているケースがほとんどである。(聖書にはっきりと指示として書かれている文言には指示と判断できる通達しているケースあり。)

ある会社の例え話で考えてみたい。
会社員Aさんの上司の打診が提案か強制か考えながら読んで頂きたい。


ある会社でAさんに上司から打診がくる。

上司「海外支店へ出向を考えてくれないか。環境的に厳しい所で家族との折り合いもあるだろうから受けるか受けないかは自由だ。しっかり考えて1週間後に希望を教えて欲しい。」

Aさんには小さい持病のある子供がいて、連れていけないことやそばにいたいことから出向は断ろうと考えていた矢先、同僚からある情報を聞く。

同僚「海外支店の出向を断ったBが窓際部署に異動になったらしい。そのため給料も上がらないどころか減給もくらってるみたいだ。それに比べこの間、海外出向から帰ってきたCは出世コースに乗って花形部署で順風満帆みたいだよ。」

Aさんは現在の給料で子供の治療費も含め一杯一杯の状況だ。今の状態から減給されてたら生活もままならない。
転職できたらいいが今の会社は親のコネで入ったため急にやめたら親の顔に泥を塗ることになり、最悪勘当されるだろう。

Aは泣く泣く海外出向を希望して赴任した。

ーー上司から打診が来る前の話ーー

役員「うちの会社をもっと大きくするために海外展開を進めたいが社員は海外赴任したがらない。。。なにか策を打たないとな。。
なら海外赴任を受けた人と受けなかった人の地位の落差を大きくしよう。そしてそれがうわさで回るようにキャンペーンして恐怖心を煽ろう。
さらに社員の弱みを洗い出そう、断ることができない事情を持った社員を優先的に選出しよう。社員Aがちょうどいいかな。Aの上司にはただ海外赴任にAが仕事内容的にふさわしいからとだけ伝えて推薦させよう。」


さあここまで読んでくださった方は上司が出した海外赴任の打診は提案だったと感じただろうか、それとも強制だったと感じただろうか。
どちらに感じたかは人によって分かれるだろうが、読み進むにつれて提案から強制に変化した人もいるのではないでしょうか。

ではここで提案に強制力働かせる仕組みについてポイントをあげたいと思う。

  • 提案を受け入れた時と受け入れなかった時の応酬を認識させる。

  • 社会的地位(周囲の目)の低下を認識させる。

この2つのポイントが重要になる。
逆説的に考えれば法治国家における指示である法律はこの2つのポイントがあるから強制力を維持できている。刑罰という「応酬」と前科がつくという「社会的地位の低下」を制定することで強制力を働かせている。

では「推奨(提案)という名の強制(指示)」と「法律といったその名の通りの強制(指示)」では何が違うのか。それは”認識のさせ方”だ。

ここに問題の難しさや醜悪さが隠れている。

法律では上位(国)から直接行った行為に対しての「応酬」が明記されているが、先ほど例に出した会社員の話では会社から直接「応酬」について伝えられてはいない。つまり会社員が自分で応酬と認識し、自分で海外赴任を決めたことになる。つまるところ大小あるが自己責任の部分が出てきてしまうのだ。

ではエホバの証人の話に戻ろう。
エホバの証人はこの「応酬」と「社会的地位の低下」をどのように用いているだろうか。

まず「応酬」については恐怖心を煽って受け手にイメージさせることが最も効果的だ。そこでものみの塔協会は指示を聖書と結び付けて、守るか守らないかの違いから、ハルマゲドンで滅びる姿と楽園で幸せに暮らす姿を対照的に明示する。時には残酷な挿絵を用いて恐怖心を煽る。
先ほどの会社の例では同僚の言葉がそれにあたる。

次に「社会的地位の低下」について、エホバの証人は忌避を用いる。ものみの塔協会は指示を聖書と結び付けて、その人が属するコミュニティをエホバの証人のみになるように追いやり、提案を守るか守らないかで忌避という村八分を用いることで社会的地位の低下という恐怖心を煽る。
先ほどの会社の例では親からの勘当がそれにあたる。

次に「認識のさせ方」だ。
さっき記載したエホバの証人が用いる「応酬」と「社会的地位の低下」について認識させるとき、「ものみの塔協会が出す提案は神からのものでを守らないならその報いが来るよ」なんて直接的には言わない。日々の聖書研究の名のもとに信者に報いがあると自分で認識させ、自分でイメージさせるからだ。

そのイメージの膨らみ方は人によって千差万別だ。
ここが人によって状況が違うため最初の論争がおこる原因だと考えている。
ある人には恐怖心からとてつもない強制力を働かせるが、強制力を感じない人もいる。または強制力が働いて、他人にまで圧力をかける信者も出てくる。そこで被害があっても、ものみの塔協会は提案しただけであって強制力をもって指示したわけではないと主張できる余地があるわけだ。それはある意味正しい部分もある。信者の暴走に対しすべて責任を負うのは違うが、それでも全く責任がないわけではないのでケースバイケースだろう。

以上、推奨(提案)は罰と報酬で強制(指示)に変えることができるという考察でした。


あとがき

なんかおぞましい手法のように書きましたが、人をコントロールするにあたってこの手の手法は小さなスケールでよく見られます。
「提案したことを破ったら叱る姿を見せる」といった例です。わざと叱責する姿を第3者に見せることで、第3者に「そういうことをすれば怒られる(応酬がある)のか。。自分はやらないようにしよう」と反面教師として強制力を働かせる、といった形です。

最後にエホバの証人の事として書きましたが、宗教と全く関係ない人たちもこの手法を巧みに用いてきます。特に「無価値なものを押し付ける為に恐怖心を煽る」という行程は人を騙す際によく使われるため気を付けたいものです。

以上読んで下さりありがとうございました。





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