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コラム-1.エホバの証人は自身への批判的な資料について読むべきか

 初めに掲げるお題として悩みましたが、
”エホバの証人は自身への批判的な資料について読むべきか” 
にしました。おそらくエホバの証人でない方が見られたら「いやいや賛否の両方を聞いてから判断すべきだから批判的な内容も知るべき、何を当たり前のことを言っているんだ」と考えると思いますがエホバの証人であれば自身への批判的な内容を含んだものであれば悪影響となるため推奨されていないのです。
とりわけ2世であればさらに批判的な内容は知識としてありません。1世の方であれば入信する前にある程度批判的な内容のものも目を通しているかもしれません。

 であればこの記事にたどり着くこともないのでは?と思いますが興味本位で調べた方やちょっとだけ見てみるかと思われた方で、「やっぱり教義で批判的なものを見てはいけないと言われていたしな」と引き返す可能性を感じこのお題を1番にしました。

1.エホバの証人で教えられていること


「ものみの塔」(研究用)2022年10月


上記の通り背教者の言うこと(批判的な)を聞いたり書いたものを読むことを推奨していません。"エホバや組織からの指示に疑いを持つようになる"からとしています。

ここで注目したいのは
疑問1.指示に疑いを持つことをエホバはどう感じているのか
疑問2.指示に疑いを持つことを組織(ものみの塔協会)はどう感じているのか
です。

2.聖書に書かれていること+私の考察

(考察は私の一意見であり正しい解釈がこれだという意図はありません)


引用されている聖句

さきほどの記事で引用されている詩編1:1では悪人の意見に従って歩まない人は何と幸せなのだろうと述べています。格言3:34でエホバはあざける事を良くないことと認識していることがわかります。

 どちらの聖句も全くその通りだと考えますが、ただこの二つの聖句では先ほどの疑問1の "指示に疑いを持つことをエホバはどう感じているのか" を説明することはできません。そこでアダムとエバが創造された後に楽園でサタンから誘惑され、善悪の知識の実を食べて罪を犯してしまった時の創世記の聖句を考えてみましょう。


創世記3:4-5

有名な聖句ですが蛇(サタン)がエバをそそのかし罪を犯させるシーンですね。食べてはいけないと指示していたにもかかわらず、背教者であり批判的な事をいうサタンをなぜエホバは止めないのでしょうか。さきほどの組織(ものみの塔協会)の考え方から言えば指示に疑いを持つことを抑制したいならばエホバはサタンがエバに話しかける前に口封じしたことでしょう。
それをされなかったということは批判的な事を言われ指示に疑いを持つ機会があったとしてもエホバは人間の自由意思を尊重し選択の余地を残されていると考察します。

 なので疑問1.指示に疑いを持つことをエホバはどう感じているのかについて、
エホバの指示に疑いを持つことは自由意思の中で最終的に決定することであり、疑いをもつ機会を排除されていません。なのでエホバは批判的な内容のものを聞いたり見たりすることを許されていると考えます。

 疑問2.の指示に疑いを持つことを組織(ものみの塔協会)はどう感じているのかについてはどうでしょうか。明らかに疑いを持たせたくない意思を感じます。昨今のネットに情報があふれる中でエホバの証人へのフェイクニュースや明らかに的外れな批判も散見されますし、揚げ足取りのようなあら探しもありますので、批判的な内容のものに触れさせたくないことはよくわかります。だとしても最終的にどのような生き方を選択するのはその人個人です。組織が情報規制を推奨するものではありません。

3.考察まとめ

(考察は私の一意見であり正しい解釈がこれだという意図はありません)

疑問1.指示に疑いを持つことをエホバはどう感じているのか
→指示に疑いを持つ機会があったとしてもエホバは人間の自由意思を尊重 し批判的なものを見ることを推奨も非推奨もされない。


疑問2.指示に疑いを持つことを組織(ものみの塔協会)はどう感じているのか
→非推奨。組織からの指示に疑いを持たせたくないため見せたくない。

お題:エホバの証人は自身への批判的な資料について読むべきか

結論:読むべき。エホバは推奨も非推奨もされていないが、自由意思を尊重されるため片方の意見に偏らせるようなことは望んでいない

4. 2世の子供を持つエホバの証人1世へのお願い

 批判的な資料について、読むことに口出しすべきでないと書きましたが、現在においてネットも発達していますし、おそらくがちがちに情報規制などしていない家庭がほとんどと思います。おそらく2世の子供がエホバの証人の教義に反するシーンに立ち会った時(国歌斉唱、柔道、騎馬戦、etc.)にその批判的な内容に対して回答を準備させていることと思いますが聖書解釈への批判的な書物といったものには触れさせないようにしていませんか?

 1世の親は今一度下記を自問自答願います。その上で子供に教義をどのように教えるか考えてみてください。

  • 組織(ものみの塔協会)が出す指示はあなたの意思決定と心から合致していますか。盲目的に従っていませんか。

  • 組織からの指示は聖書に則っていますか

  • 子供に教義を教えた時、子供の自由意思を本当に尊重できていますか。

3つ目に関しては私も2世だったため教義を教えられたときは疑うことなく聞き従っていました。従っていれば周りの大人たちは喜んでくれるし、自分の自由意思そっちのけで親が望む答えは何か、組織に喜ばれる選択を選ばなければいけない気持ちに追いやられ、段々と自分の本当の気持ちがわからなくなりアイデンティティを失っていきました。

 子供は親の信じるものを信じる生き物です。成長に従って考え方がころころ変わる中で子供の自由意思を尊重できているかどうかを確認することは難しいことだと思いますが、エホバがサタンに対してエバをそそのかすことを許されたように自身の子供がどこかの段階で批判的な資料を読むことができるタイミングを設けてください。その上で子供に選択させてください。
エホバの証人の教義、価値観だけで偏った状態にさせないことを願います。

以上長文でしたが読んでくださりありがとうございました。


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