「placebo効果がもたらす異常気性」【エッセイのような何か】
今日の自分は、どこか変だった。
なにか、嫌な予感するほど、今日はいつもと違う行動をしてしまう。
今日は会社を出るのが少し遅くなってしまった。だが、今日ばかりは、座って電車に乗りたいという欲求のままに、いつもより急いで駅に向かっていた。そして、電車内で一人しか座っていない四人席を見つけると、ものすごい速さでそこに座った。
ただ、腰を下ろした瞬間、僕はひどく後悔した。
一人しか座っていなかった、その座席に座っていたのは、まるでコスプレのような服を身にまとった女性だったのだ。
(あ、あれ…)
まるで蛇に睨まれたカエルのように、思考停止が数分続いた。
なぜ、僕は今日に限って、こうも無抵抗にこの場へ足を踏み入れてしまったのだろうか。
大袈裟のように聞こえるだろうが、
以前の僕だったら、この空間には「決して」立ち入らない。
なぜなら僕は——
ただ今日は、僕の心の中で、その思考に警告が発せられた。
なぜなら、言い訳を考え出したらキリがないのだ。
しかも、座ってしまった手前、この場から立ち上がるのも、ただ分が悪すぎるだけだ。
今更もう遅い気がするが、そんな僕は自分に言い聞かせるように、
「そんなことを考えるのはもうよそう。あくまで、自然にふるまうのだ」
と、自分を諭した。
電車がようやく動き出した。
僕とその女性は、四人席の対角線上に座っていたが、発車するまでに、続々と乗車する人が増え、あっという間に残りのスペースが埋まった。
ただ、そんなことは関係なく、僕は目のやり場に困っていた。
あまりにも目立つ姿をしているため、電車の外を見ようとしても、彼女の方をチラチラと見てしまう。
(はぁ…なってこった…)
…それにしても、素晴らしく整った衣装だ。
全体を通した姿は、確かに周りから一際目立っていたが、ゆっくりと見てみると、非常に落ち着いた印象を感じる。
所々ピンク色が混ざった金髪が、片目を隠すように、きれいに切り揃えられえている。
服は、薄紫色を基調としたセーラー服。胸元には星を模った刺繍が施されていた。
持っているトートバックは、薄い青紫色をしており、服との相性が抜群だった。
靴下は白く、目を疑うほどに長かった。高校時代のJKが良く履いていた、あのぶよぶよとした白い靴下ではなく、非常に清潔感のあって、 ドレスのような装飾まで付けられていた。
靴は革のローファーで、全体が淡い色味に対し、黒色のアクセントを持たせていた。
とにかく、全体的に淡く、統一感のある色合いが、彼女に素晴らしく調和をもたらしていた。
周りからは、奇抜で、痛々しい姿をしているように思えるかもしれないが。毎日、全体的に暗く、ハイコントラストで、ビビットな、まさに対称的な色調の画面を見続けているような僕にとっては、見ていて非常に目に優しい色合いだと感じる。
本当にアニメに出てきそうなほど、キャラが立っている。彼女のことをパッと見ただけでも、イメージカラーが「紫もしくは薄紫」であるとすぐにイメージできるはずだ。
半径数十センチの距離にいるだけでも、目の前が非日常的な光景に見えるようだった。
あまり彼女の顔を見れたわけではないが、
彼女は、巷でいう「かわいい」ではなく、
僕の目ではっきりと「美しい」と感じられた。
(はぁ…
ただ、どうしよう。
今日はこれからやりたいことあったのに…)
——ただ、この”衣装”はおそらく”コスプレ”ではないと僕は思っていた。
なぜなら、彼女は普段から目にしていたのだ。
こう聞くと、僕がただの変態にしか見えないが。
彼女は、いつもこの時間の電車によく乗っているのを、僕は度々目撃していたのだ。
たまたま、僕が普段帰りに乗っている電車と同じ時間であるだけなのだろう。
しかも、普段から目にするときも、周囲からこんなにも目立つ姿を”いつも”しているのだ。おそらく、同じ時間帯の電車を利用している人から見れば、同じことにすぐに気づくだろう。
では、いつも同じ時間に乗っているとすると、何かしらこの街に通っている帰りなのだろうか。
(セーラー服だから、学校…?でも、清潔感があるとはいえ、校則でここまでカジュアルなのも考えにくい。髪も染めちゃっている訳だし…。もしくは、そういうキャラクターを演じるような仕事をしているのだろうか?でも…)
彼女への興味が、僕自身の力で止めることができていない時点で、側から見れば、僕が「今どんな状態か」など、二文字、いや、もはや一文字ですら言い表せてしまうだろうが ——
—— ただ、そうは言っても理性はあるようで、彼女の方をじっくりと見ることはせずに、僕から見て左上の方を見上げながら、たまに一瞬、彼女の方を見て、瞬時に見えてくる情報を処理する。
ただ、終始ずっとその場に停滞し、僕に渦にように思考の雨を降らせる中心には、常に彼女がいるのだ。
そんな嵐の中にいるような僕は、思考の過熱が体にまで波及し、電車内のクーラーの効きが悪く感じたり、ただ時折、脳が情報量に耐えきれず眠気が襲い、逆に肌寒く感じたりを繰り返していた。
そんな状況に、かれこれ四十五分経過して、あまりにも情報が多すぎると痺れを切らし、膝上においていたノートを開いてペンを取ろうとした。
その時、彼女は持っていた外したイヤホンをケースに入れ、紫色の、あのトートバッグにそのまましまった。そして、電車が一時停止し、彼女がとうとう席を立った。
僕は、その光景をみて、それほど寂しさを感じることは無かった。
それよりも、長時間酔いに似た思考の渦に揉まれ、半分記憶がない状態の僕は、「ありがとう、なんか楽しかったよ」と感謝に近い感情が芽生えていた。
ただ、そんなことより、一つ気づいたことがある。
なぜか僕は、長時間に渡って、こんな異質な空間から逃げ出さずに留まることができているということだ。
僕は高校の吹部時代、大量に女子がいる他校の吹奏楽部との共同練習で、あまりの人数の女子たちに囲まれている状況に耐え切れず、練習終わりに、ほぼ挨拶もなしに一人で帰ったことがあるほどだ。
まあ、今日出会った彼女がただの赤の他人であることも、要因として考えられなくも無いが。
ただ今日は、この空間から逃げ出さずに「そこにいることができた」こともそうなのだが、ある一人の女性に対して、興味を持つことができたことさえ、僕にとって驚きだったのだ。
少し大袈裟かも分からないが、
僕は、彼女をキッカケに、自分が「変」になったのではなく、「変わり始めている」と、そう気づくことができたのだ。
そう思うとより一層、彼女には感謝の気持ちを伝えるべきなのだろうか。
彼女は電車を降りた。
彼女が降りた駅の名前は「テクノ〇〇」だった。
女性というのは、
なんとも不思議で、恐ろしい者だと、僕は今日、改めて感じたのだった。