「ひとりおおかみくんの、若気の至り」【エッセイのような何か】
入社して3か月、学生時代であれば「夏休み」と呼ばれる時期に入っている頃だろうか。ただ、僕はもうそんな身分ではない。今となっては、もはや「研修生」ですら社会では呼ばれない時期に入り、先月から現任訓練が行われている。
今日は、一つか二つ上の先輩二人から、僕と同僚の二人で協力し、昨日に引き続いて、某米国ソフトウェア会社が提供するシェルスクリプト言語の学習を行うように指示された。
OJTと言いつつも、”仕事”という名の、”お勉強”の時間だ。
数週間前から、「こんな余裕でいいのだろうか」と、少々不安を募らせたまま作業を進めていたが、今日は隣から声が聞こえていた。
右隣の先輩2人は、プロマネの研修をオンラインで受講していた。グループワークを通じた学習をしているようで、たまに緊張する様子を見せつつも、和気藹々とした声が聞こえてくる。
考えてみれば、内容は違えど、2ヶ月前には同じような状況に僕らもあったのだ。
さらに隣のテーブルに目を移してみると、同じチームのベテラン社員が、頭を悩ませていた。それもそのはず、このプロジェクトチームでは、つい昨年に、現在使われている開発プラットフォームを導入したばかりなのだ。
僕が所属するチームは、長期の大型プロジェクトを主に扱っており、昨今のデジタルトランスフォーメーションの煽りを受け、取引先も、開発元でも、大規模なシステムの変更や新たなプラットフォームへの参入を余儀なくされ、ノウハウが薄く、試行錯誤の連続である。
このフロアでは、
僕も先輩もベテラン社員も、みんなお互い様だった。
午後、僕はチームのチャットツールを立ち上げ、昨日のうちに、同僚と協力して調べて共有しておいた、シェルスクリプトの学習記事のリンクをクリックした。
サイトが開き、綺麗に整えられたレイアウトが見える。
開かれたサイトは、記事の一覧がずらっと並んでおり、ざっと見た感じ、かなりたくさんの記事がある入門サイトのようだ。印象とすれば、昨日見た公式のEラーニングサイトと同じくらいのボリューム感である。
もうすでに、昨日から今日の午前中の間に、ピックアップしたサイトのほとんどは学習済みで、若干の手持ち無沙汰を感じ始めていた僕は、早速、このサイトで、シェルスクリプト言語の概要を書いた記事を選んだ。
始めに目に飛び込んできたのは、技術系の記事ではあまり見かけない、まるで宣伝文句のような自信に満ちた文章だった。
まあこの記事の著者が、それほどこのスクリプト言語が好きで、いろんな人に使ってほしいと思っているのかもしれない。
読み進めていくと、翻訳された海外の技術書の一節が出てきた。書かれているのは、そのスクリプト言語が開発された当時のことが書かれていて、従来のシェルスクリプトよりもかなり革新的な実装であると語られていた。
この言語の、他の記事でも、同様な説明をしていることが多く、革新的な機能なのは間違いないのだろう。
ただ、僕はこの記事を読んでいて、一つの疑問あった。
(あれ?この引用文、どのページに書いてあるんだ?)
何度読み返しても、引用されている本の表紙の画像は掲載されているものの、この本の、どこの引用なのか、その記事からは、結局分からなかった。
まあ、所詮ネットの記事である。
参考文献すら載っていない情報も多々あるため、単純に著者が書き忘れただけであろうと、僕は解釈した。
ただ、この記事の内容は、他の同様な記事でもよく見る内容だったため、特に得られるものもなく、踵を返すかのように、先ほどの一覧画面に戻った。
心に一抹の不安を残してはいたが。
一覧画面から、次にクリックした記事は、こんなタイトルだった。
(ん?インタラクティブシェルってなんだ?)
今思えば、最初は綺麗に見えたこの一覧画面に戻った段階で、正直、次何を読めばいいのか迷った。最終的に、この「インタラクティブシェル」という言葉への好奇心や興味から、半分吸い寄せられるようにしてクリックしてしまったが、到底、初心者が見るべきタイトルの記事ではない。
でも、クリックしている当の自分には、そんなことを考えている様子もなく、その記事を読み始めた。
文章を目で追いながら、下にどんどんスクロールしていく。
…途中、文字がぼんやりとしてきた。
(かなりの時間、ずーっとPCの画面を見続けていたら、そりゃあ目も疲れてくるよな…)
ぼんやりとする文字をしっかり読もうと、眼鏡を少し上げて、目を瞼の上から押さえるようにして擦る。
しかし、再び画面を見るも、依然として読みにくいままだ。
…そりゃあ読みにくいはずだった。
読み進めて、画面をスクロールしていくうちに、明らかに記事の文字が、だんだん小さくなっていっているのだ!
僕の目の視力が急に低下したのではない。
サンプルのコードを含めて、記事全体のおよそ5分の1先から、文字のフォントサイズが、約半分くらいにまで小さくなってしまっているではないか。
しかも、目を凝らして、小さく書かれている内容をよーく読んでみたが、タイトルにあった「インタラクティブシェル」という言葉の説明が一切ない。むしろ、昨日の学習の時点で知っている知識ばかりである。
(なんだ、この記事…?)
もはや、信じられなかった。技術系のネット記事は、大概は、多少なりとも真面目に書かれているものだと今まで思っていたが、ここまで読みづらいのは、人生初めてだった。
僕はこの光景を見た瞬間から、獣が標的を変えたかのように、「学習のための内容理解」よりも、「この記事がどれほど変なのかを詮索する」ほうにしか、頭が働かなくなっていた。
僕は一覧にあるページをどんどんブラウザの別タブに移していく。
そして、片っ端からこのサイトの記事を文字通り「読み漁り」始めた。
そうすると、僕が想定した以上に、この記事の欠陥が面白いほどたくさん見つかった。——
まず、このサイトは手作りらしく、著者自身が一からプログラムで書いているようなのだ。
このサイトのカテゴリータブを見てみると、Webページ作成のプログラムに関する記事も存在しており、著者がこのサイトを作れるだけの技術を持ち合わせていることが、なんとなく窺えた。
しかし…
(この人はWebページ作ることがそんなに得意なのか?)
なぜなら、プログラムの不具合によって、体裁が大きく崩れているページがいくつもあったからだ。
文字のサイズや色が、所々ずれて表示されていたり、ページの構成自体が全体として、統一が不十分だったり、マークアップ言語の記述ミスで、文章の途中で英語の文字列や記号が唐突に登場していたり。
さっき読んだ「だんだん文字が小さくなっていくページ」も、プログラムの不具合の一つのようだ。
一からプログラムせずとも、技術系専用のブログサイトであれば、体裁が大きく崩れる心配もないはずだが、どうして、わざわざ手作りで作ろうとしたのか?
そんな疑問の答えを考える暇なく、僕は更なる欠陥を見つけてしまった。
ゆっくり内容を読んでみても、全然内容が頭に入ってこない。言ってしまえば、全体を通して「雑で、説得力に欠ける」のだ。
機能の説明にしても、書かれているのは、その機能の見出しとソースコードの一部だけ。どんな処理内容か、詳しい説明はあったり無かったり。
昨日までの知識がある僕は、これを読んで理解できなくもないが、まるっきりの初心者からしたら、かなり不親切だ。
まあ、どんなコードなのかだけ書いて、あとは「コードを読む練習だ」と言わんばかりの記事は、他にも確かに見たことはある
—— 言いたいのはこればかりではない。
(めちゃくちゃ強調して、かっこよく書いてあるけど、内容は至って普通じゃね?w)
そう、まるで開発元のエバンジェリストが書いたかのように、文面がやたら一丁前なのだ。しかも…
(いやっ、そんな情報、どの初心者が求めてる?ww)
まあ、IT技術者からすれば、コードの処理速度は「後々」気になるだろうが、入門者が今すぐに必要な情報とは考えにくい。
かといって、では実際どのくらい違うのか、具体的な速度については一切書かれておらず、結局のところ疑問が残る結論でしかなかった。
そして、僕の初めに感じていた不安は正しかったようだ。
この記事は、ある一冊の技術書や公式のドキュメントがもとになって書かれているが、どの文献の、どこを引用しているかを示すページ番号すら無く、まさに丸パクリ。
これでは、剽窃を疑われてもおかしくないほどだった。
—— 僕は、こんな様子の記事を読んでいくうちに、どんどん笑いが込み上げていた。
これほどまでに、酷い記事であると「理解できる」のが、人生で初めての経験だったのだ。
だが、僕の詮索は、これだけでは終わらなかった。
このサイトのカテゴリー欄に、「Else」と書かれたボタンがあり、僕は迷わずクリックし、標的はとうとう「著者」に向いた。
僕の悪い癖だ。
「Else」というカテゴリーは、文字通りどのカテゴリーにも当てはまらない記事が並んでいた。
その中に、僕の目を引くタイトルがあった。
(ほお、)
そこには、著者が今後の目標としていることなどが、思い思いに書かれていた。
どういうことだw
これでもかというほど抽象的だ。しかも、この文章にだけ、説明の記事に見られなかった太字が登場し、明らかに装飾されている。どうやら、大事なことらしい。
さらに読み進めると…
もはや、意味が分からないww
理解がもはや追いつかないため、すぐに次の文章に目を移した。
理解不能だった彼の歴史と妄想の物語に、突如としてリアルな文章が飛び出してきたwww
(言われちゃってるじゃん、「発想が気持ち悪いって」ww)
彼がどんな経歴をたどり、周辺から何を思われているのか、一旦落ち着いて、ゆっくり読んでみることで多少イメージがついてきたが、すぐに、今日で一番強烈な文章が目に飛び込んできてしまった。
「は?」
思わず声が出た。
ただ、ものすごい速さで僕の脳内に理解の波が押し寄せた。
(なるほどwwwそういうことかwww)
この発言などから察するに、彼は「中二病」だ。
中二病とは、主に中学二年などの思春期の時期に、自尊心が高すぎるあまり、身の丈に合わない言動を多くしがちなことを指すが、彼の書く記事には、これらに当てはまる部分が多かった。
なぜなら、彼の発言には中身がほとんどないのだ。
言葉は達者で格好の良いものを選んではいるが、具体的なことが一切伝わってこない。
「何が」得意であれば、「エンジニアリング」が得意と言えるのだろう。
「どんな」能力があって、「臨床心理士」が得意と言えるだろう。
「どうすれば」核兵器さえ作れると、自信を持って言えるのだろう。
先程の文章を読んでいると、このような疑問が真っ直ぐに思い浮かんでしまう。
だから、先程のシェルスクリプト言語の入門の記事も、説得力がない文章がほとんどなのだ。
しかも、彼はこの記事の続きで、このようにも書いていた。
それは、先程目標に述べていたブランドについてのことだ。
もはや、ツッコミどころ満載で、思わず職場で吹き出してしまうところだった。
彼がいう「ブランド」というのは、「コミュニケーションをしなくとも、突っ立っているだけで、誰かが自分を正しく使ってくれるほど、多くの技術を持つこと」をいうらしい。
(何を言っているんだコイツは)
資格あれば話は別だが、プログラミングなどの技術は、スポーツと違って、記録のような、目に見えるような形で実力が把握できる訳ではない。そして、変革も想像より早く訪れる。
突っ立って黙り込んでいる人間を誰かが見て、「この人はC#が書けるだろう」となるだろうか?
日に日に自分の手札が腐っていくのも知らずに。
これほど具体性の欠片もないような記事を、堂々と書けてしまうのは、自分の技術を大きく見誤っていることに気づけていないからだ。
——考えれば考えるほど、彼の滑稽さが、どんどん脳に理解としてつながっていく。そんな、快感を味わっていた僕は、笑うしかなかった。
ピロロロロロロロッ…
ピロロロロロロロッ…
(…っ!?)
会社の内線電話のコール音がオフィスに鳴り響いた。3か月前からこの会社にいて聞き慣れているはずの音に、僕はつい飛び上がってしまった。そして、少し遅れてその音の気づきを得た。
(あ、電話応対…)
会社のルールでは、部署のフロアの電話は、所属する新入社員が積極的に取るように言われていたが、そう認識する前に、音が鳴り止んだ。どうやら、別の部署で同僚が電話を取ったようだ。
ふと時計を見ると、定時まで残り一時間程になっていることに気付いた。
そういえば、今日学習に使った資料は、同僚と話し合い、他の社員や後輩でも学習できるように、最終的にはドキュメントにまとめておくようにも、指示されていたことを思い出した。
ふと、同僚の方を見ると、演習に時間がかかっているらしく、僕が読んだこの記事に、まだ目が通せていないようだった。まだ、この資料を提出するには、まだ時間があるため、さほど問題ではない。
ただ…
(この記事は資料にはしない方がよさそうだ…)
そう思って、僕は、いつも持ち歩いているノートを取り出し、あまりにも酷いこの記事について、なぜ残さない方が良いのか、その理由についてまとめ始めた。
あまりにも、この記事と著者ついて詮索をし続けていたせいで、少し疲れたようだ。そのため、せめて紙に覚えさせておこうと、ペンを取った。
そうして三十分ぐらい、まとめる時間を使っていると、
僕はあることに”ようやく“気づいた。
「なんだよ、俺も彼とお互い様じゃないか。」
僕は、大学に入学する前は、工業高校に在学し、すでにプログラミングをある程度学習していたことで、普通科から入学してきた同級生から見て、技術的なアドバンテージを持つことになった。
プログラミングの問題をどんどん解いていく僕の姿を見て、周囲の同級生は、「この問題分かる?ぜひとも教えてほしい。」と、周囲の人間が僕に期待を寄せて質問するために集まってくる。
それは、その当時の僕にとって、初めての体験だった。
そして、僕はそこから、急激に自信が湧き上がっていった。
大学一年では、唐突に動画投稿サイトへ、訳の分からない動画を掲載し始め、
大学二年には、課外活動のプロジェクトチームを多数掛け持ちするも、全て中途半端に。
そう、僕も大学生時代になって、中身のない、尖った自信ばかりの人間になっていたことに気づいたのだ。
記事で見えてきた、著者である中二病的な彼のように。
そんな気づきを得た途端、彼と自分を見比べるようになった。
僕はつい30分前は、自分が社会人であるということを棚に上げて考えていたことに気づいた時、まさに赤面の至りであった。
彼は、奇抜ではあるが、正直僕よりも発想力や自信に溢れている。
僕がもし、技術的な記事を出すとなったならば、長期にわたって調べに調べて、自信が出るまで恐らく投稿すらできないだろう。
それに比べ、彼の自信は凄まじかった。まるで、大きな夢を抱いて上京した、僕の大親友を見ているかのようだった。
他人が思いつかないようなことを考え出す能力は多少なりともある。だが、表現が奇抜で、かつ中身が希薄であるがために、周りから痛い人間にしか見えていないだけだと、僕はノートを書いていてそう思った。
(あ、まずい…あと30分ぐらいしかない。日報を書き始めないと…)
先程「お互い様だ」とは言ったが、時期だけは違う。僕は今社会人だが、彼は現役大学生であることが推測できる。
僕は、ノートを閉じて、ため息に似た「はぁ」と息をつきながら、パソコンに向かって今日の日報を書き始めた。
僕は彼についての詮索をやめ、手を動かすことに集中し始めた。
ただ、最後に僕は——
現在大学何年生なのか分からない彼が、希薄で痛々しい発言と剽窃癖のまま就活や卒論に向かっていないことを、心から願うばかりであった。