共存することから始めてみた

なぜ社外でも社内でも勝ち負けを決めようとするのだろうか?
なぜ上下関係をつくろうとするのだろうか?
なぜ仕事を奪い合うのだろうか?
なぜ押し付けあうのだろうか?
そんな当たり前なことに最近疑問を覚えてきた。

人には向き不向きがある。それにも関わらず奪い合うし、押し付けあう。さらには勝ち負けや上下関係すら決めようとする。
そんなの意味がないのだから共存ではいけないのか??
一緒にやったほうがメリットが多いと思うのは私だけだろうか??

最近よく思うこと。コロナ渦で世の中の人殆どが少しだけ余裕がなくなり、少しだけ自分勝手になった。人間の本性が少しだけあらわになった。
少しだけワガママになった。

・・・その実感があるのかどうか。
・・・私はすごく実感した。

だから余計に思う。
なんで勝ち負けを決めようとするのだろうか。
なぜ、お互いに粗探ししてお互いを蹴落とそうとするのだろうか。
なぜ、上下関係意をつくろうとするのか。
そんなことをしてもメリットなんてないことに気づかないのだろうか。
気付いていないないからそういう行動をとってしまうのだろう。そして自分で勝手に勝負を決めようとしたり上下関係をつくるという意識が頭のどこかにあるから目につくし、癇に障るのではないかと考える。
フラットな状況で物事を見られれば争いや妬み、恨みなんてものはなくなる。

それができない理由は、たぶん分母が決まっているからだろう。人口という絶対数が決まっていて日本だけを見てみれば人口は減少し続けている。このような状況であればお客さんの数が減って当たり前になる。
そんな時代でビジネスにしようと思ったら、やはり取り合うことになるのかもしれない。
それでも俺は共存がいい。

重要なことだからもう一度お伝えするが、この日本にいる限り分母は決まっているし、分母は減り続けている。このことをまず理解しよう。
そして次にこの時代の感覚についてお伝えしたい。
少し前までは安い物が主流だった。しかし最近では少し高くてもいい物や長持ちするものへと需要が変化してきている。

このことと先ほどの分母が決まっている話、どう共通点があるかというと

人口という名の分母が減少しているのであれば、
お客さんになる可能性がある分子を増やすことも、もちろん必要だが使って頂くお金という分子を増やすという考えはないだろうか。
私はこの考えの延長線上に共存という考えがある。

自分や自社ができるサービスには限界がある。だからこそ共存してさらに良いサービスを提供することで使って頂けるお金の量は増えないだろうか。
そして同業種ですら共存するからこそ技術が向上しさらに良いサービスを提供できるようになると考えている。
結局のところお客さんの満足や信用が得られた時に対価としてお金を頂けるようになる。
世の中すべては物々交換であり、自分が、自分たちが提供できるサービスや技術を共存というカタチから底上げして提供することが必要になると考えている。

だから私は共存がこれからの時代に必要な考えだと思う。

今の時代、右を見ても左を見ても困っている人だらけ。
そんな人たちを見て自分自身で安心するのではなく、自分のほうが少し余裕があると感じたのなら少しだけその余裕を分けたいと思う。
今回は少しだけ自分が余裕があるだけで来年には自分が余裕なくなっているかもしれない。

さらに一言だけ付け加えさせて頂くとするのなら余裕を分けることができる人は遠いければ遠い人のほうがいい。
物理的距離も職業という距離も様々な方向で遠い人がいい。

これだけの変化の時代に生まれ生きているのなら応援しあってがんばれる場所があったっていいと思う。

だからこそ俺が一番がんばって一番応援できるようになろうと考える まつでした。またね。

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