何がほしいではなく、どうしたい。

これの考えを知っていると様々なところで活用できて根本的な間違えやミス、食い違いが極端に減る考え方なので覚えておくといいかもしれない。生活するうえで損のない考え方だと言えるだろう。タイトルでも分かるようにビジネスで提案するときや自分で何かを買おうとするときの考え方。
ちなみに私もよく言葉にしている。

世の中には情報が溢れかえっている。
だから素人ですら様々な知識に触れられる。このこと自体にもメリットとデメリットがある。インターネットの普及は思っている以上に様々なところを変化させているのかもしれない。

情報が溢れているからこそ、その分野に全く関係ない人ですら知識として取り入れらえる。(厳密もは知識風だが)
しかし最低限の知識がない場合はその得た情報が本物なのか自分が求めていたものなのかを区別できず、知識に変えてしまう。知識だと勘違いしてします。何も知らない人はこの溢れかえった情報を判断する武器を持っていない。

私はお客さんと打ち合わせする中で様々なことや商品名や材料を言われることがある。しかしお客さんが言っていることは数少ない知識の中で自分がイメージすることに一番近い選択肢を私に伝えているに過ぎない。
私が取った情報はメーカーのホームページだから間違えないという方もいる。もちろん間違えではないがベストではない。
メーカーが出している情報は個々の人に向けての情報ではなく不特定多数の多数側の意見に過ぎない。
ベターであるだけでベストにはなっていない。ちなみにベターとベストはどちらがいいの?という考えも結論が出ない問なのでご自身で答えを出すしかないと思う。

だから私は相手と話をするときには「何がほしいとかではなく、どうしたいんですか?」と聞くようにしている。この「どうしたい」という言葉は今までの知識や経験を全て無くし、一番最初にイメージしていた根源のようなものやコアのような部分を出してもらいやすい言葉だと認識している。

この言葉を使えば相手の本質に近い言葉が聞けるため、そこからの提案や打ち合わせに無駄がなくなり、意見の食い違いが少なくなり、出戻りが減ることで自分のメリットにしかならない。
もちろん一番最初からこの言葉を伝えてしまうと相手は自分の意見を聞いてくれないと感じてしまう為、発するタイミングはとても大切だがトライ&エラーを繰り返して自分のタイミングを見つけて頂ければいいと思う。

ではなぜ、このような状況や考え方しかできないのか。
私は日本の教育がこのような状況をつくってしまっているのだと思う。
皆さんも義務教育を終えているから分かると思うが学校は答えが一つのことに対していかに早く答えにたどりつくかに特化させた教育だ。
しかし世の中に出てみてわかると思うが答えがあることのほうが少なくないだろうか。
そしてその教育のせいで自分と他人の問いに対しての答えは同じものだと疑わず認識してしまう。だからこそ自分の意見を押し付けてしまっている可能性がある。私も自分の答えを押し付けないように注意をしている。
この考え方ができていないので世の中に溢れかえった情報に翻弄されてしまい自分がほしい本当の情報に辿りついたつもりになっている。

今の時代に必要な能力はなんだろう。
今までであれば情報に辿りつく力が必要だった。それは情報を収集するためのツールが少なかった。しかしこれからは誰でも発信できる時代になり情報が溢れかえっている。発信すること自体は思ったことを発信すればよいのでそんな難しくない。私がここで発信している内容だって信ぴょう性があるかどうかは読み手であるあなたが決めればよいことだ。
だからこそこれからの時代には自分に必要な「情報を選ぶ力」ではないだろうか。

【情報をふるいにかけて必要な情報を選ぶ力】

まつでした。またね。

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