それで自立してるの?

最近ふと思うことがタイトルにあるように「それで自立してるの?」という感情だ。
世の中の一定数の人は自立しているつもりでいるらしい。今回の内容はとてもストレートに書くつもりなので気分を害してしまったら申し訳ない。ただ気分を害するということは少なからず自分で気づいているのではないだろうか。
私も自分が自立しているかどうかなんて今までは考えたこともなかった。しかし考えなければならない時代がきてしまったのかもしれないと思ったので今回、この内容でまとめさせて頂いた。

まず自立を考えるうえで自立というものを細分化する必要がある。細分化については以前まとめたので「因数分解や細分化しているか」の記事を読んで頂ければと思う。
自立といっても私は二種類あると考えている。それが下記の自立だ。
「物理的自立」と「精神的自立」

自分の環境の中で自立しているかどうかということで簡単な例えでいうと独身の人が実家に住んでいることは完全に自立できていない。また実家や家族と住んでいて家事全般をやってもらっていることも自立していない環境だ。
もちろんお金を払ってやってもらっているのであれば問題はないと思うし、お互いに役割分担ができているなら構わない。もし無条件でやってもらっているのであれば、自立していない典型ではないだろうか。家にお金を入れている人はその払う金額も他人にやってもらうときと同じ対価を払っているのか。この考え方は精神的自立ができているかどうかになると考えている。

極論を言うと同じ金額を払うのであれば他人にやってもらうことで甘えがなくなりより自立できるお思う。

また親や祖父母に車や土地や家を買ってもらう行為自体、私の考えとして完全に自立していないし、極論、相続を何も考えずに受けること自体も自立していない行為の一つだと考えている。
相続争いなんて自立していないやつらの典型的な行為だ。
たまたまお金を持っている親の元に生まれただけでもらえると思っていること自体が精神的に自立していない。

私の世の中でいえば少しだけ裕福な家庭だったかもしれない。しかしそんな環境は両親や祖父母がつくってくれた環境であって自分がつくった環境ではなかったため正直、この環境が少しだけ気持ち悪かった。
だから私は自立しようと思った。もちろん親から財産や資産なんかをもらうつもりもないし、相続だってしなくてもいいとも思っている。
兄弟がほしいというのであればすべてあげても構わない。

話がだいぶそれてしまった。申し訳ない。
会社に勤めている人もそうだ。会社に勤めるなと言っているわけではない。いつ会社がなくなっても自分自身が路頭に迷わない為の考え方としてとらえてほしい。
精神的に自立できていない人はほとんどのことを他人にゆだねる。質問が多い人はたぶん自立していないだろう。自分で物事を決められないのだから。

しかし精神的に自立しろと言っても難しいと思う。人間は弱い生き物だから考え方や行動を変えるマインドができる人なんて数少ない。そういう時は決まって環境を変えることから始める。
自立も考え方は同じだ。精神的に自立するために物理的に自立することがいいだろう。一人暮らしをするとか学費を自分で払うとか自分にできることはいくらでもある。

そして今回、なぜこのようなことを書こうと思ったかというと今までのように企業に属していればどうにかなる時代はとっくに終わっている。そのことにみんな気付き始めている。しかし気付かないふりをしている人が「あまりにも大きと思ったからわざわざ活字にした。
技術的なことや素晴らしい考え方を学ぶ前にやらなければならないことは「自立する」ということだ。
しかし自立することと一人で生きることはまったく違う。

自立するということは会社や家族以外のところで自分の居場所をつくれるかどうかなのかもしれない。

【お互いが自立しているから助け合える】

自立したうえで甘えられるところは全力で甘える まつでした。またね。

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