3月思うこと
ハードな1日が終わりをつげそうだ。自分は生かされている。何に?誰にもらった命?
今はもらった仕事を丁寧にこなす。人に笑顔になってもらうため、私は動く。明日もこの仕事が続けられるのか、そんな不安もある。
体重は下げようとしても美味しそうなものは食べたくなってしまうし、貯蓄を増やそうと努力してもやっぱり散財してしまう。そんな自分の欲望をコントロールできないまま歳だけが増えていていく。
今一番大切なものはなんなんだろうか。自分自身の中の捨てられないプライドか、それとも大切な人の健康か。
自分の感情がコントロールできていない。311震災の感動的なテレビを昨日見た。大切な人は涙を隣で流していた。私は泣けなかった。なぜだ。なぜだ。私が幼稚で人の心の動きに鈍感だからか。
いや感情移入ができていないからだ。私の悪い癖だ。何事も感情が揺さぶられるときには一歩引いてしまい俯瞰してしまう。この癖はあまり私自身は好きではない。もっと感情に対して真っ直ぐにぶつかり、砕けて正面で受け止めなくてはならないと思う。
自分の欲望が抑えられないとき、人はどうするのだろうか。ひっそりと妄想し自分の頭の中で構築し発散させるのか。浮気や不倫が世の中の完全なる悪だと囁かれるこの現代ではそんな器用にみんな処理できていないんではないのか。性的な欲望、自身の遺伝子を後世に残す大事な処理をこの情報過多な社会は悪としている。一人の健康な男性として私は性的な抑制があり、不自由だと社会に感じている。性的な行為と言うのはなぜ性器と性器を接触させ行為をするだけなのに、高揚感や幸福感、さらには悲哀や罪悪様々な感情に向かわせるのか。行為そのものより付随する感情の矛先に私は意味があると感じている。
感情というものがずっと気になるのは私自身そのことに一歩引いているからなのか。私は優しいと言われるし、そう思われるよう行動してきている。これは果たして正しいことなのか。優しいことでしかアイデンティを出せない人間になっているのではないのか。優しいとは弱い立場の人が理解できる?優しいの反対は厳しい?自分に厳しいけど他人には優しいとはなんだ?このまま薄っぺらい優しさで他人に接していいのか。本当の優しい人間とは、私はなることができるのか。この答えの先にあるのは人間の厚みだったら嬉しいな。
結婚で何かが変わるのか。好きな人と一日一日を大切にして生きる。喧嘩したり、二人で壁にぶつかり、話し合いをしていき乗り越える。まるでチームプレーのように。子供のこと、家族のこと、仕事のこと、二人の大切なこと。二人しか知らない秘密のこと。いろんなことを包んで抱きしめて歩んでいくしかない。これが優しさ?自分・他人の壁を助けてあげること?もう少し複雑で言い難いものだと思う。この答えが出たときが優しい人のスタートなのかな。
将来の漠然な不安。私は今の仕事が家業であり、父の背中を追い求め今仕事をしている。知識技術の習得が現役時代生涯必要であり、その技能を他人に還元し幸せを与えることができる。この仕事は社会に必要だと感じることができる、説明をしてコミュニケーションが図れる。私としては対人の仕事で気持ちが通じる時に仕事のやりがいを感じる。この仕事を離れたいとも思わないし、仕事自体に不満はない。ただ父との距離感が測れない。私の遺伝子にも感じるところはあるが、気分屋で若干のクレーマー気質。両手離しで父を尊敬しているとは言えない自分がいる。特殊な趣味もあり、今後同居となった時うまくやって行けるかの保証が私の中でない。仮に今の大切な人を私の故郷で両親とうまくやってくれるのかな。最近の不安はそこが大きい。
最近花粉症が出始めた。