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音楽遍歴(更新中)
私の音楽遍歴
私は音楽が好きだ。何かとあると音楽に依存し、感情を重ねる。
嬉しい時、悲しい時、落ち込んでいる時、その時々に欲しい音を探し心の中と会話していく。私の音楽遍歴を聞いて欲しい。
(中学)初期衝動「スリーピース」
中学生のころから始まる。始まりはなんだってTHE BLUE HEARTS。今聞いてもかっこいいし、全てのルーツはここから始まっている。
そこからガガガSPや太陽族といった青春パンクに一度はまる。
(高校)世界はそれを愛と呼ぶんだぜ
高校2年の時に友人とROCK IN JAPAN2005 に初めて行った。初めてのライブ、初めての夏フェス。暑くてポカリずっと飲んでたな。3日目のトップバッター、サンボマスター。暑苦しくて、モッシュが辛かった記憶しかない。ただこの日を超えるライブには出会ってない。
当時の私は音楽を話せる友達が一人だけで彼とrockinJAPANを回し読みしていた。ただ今ほどインターネットで音楽を聴ける環境は整っていなかった。活字から音を想像し、なけなしの小遣いでCDをレンタルし、MDに録音しては通学中に聴くという生活をしていた。その中で出会ったバンドたちACIDMANやフジファブリック、THEBACKHORN、銀杏BOYZ、DOPINGPANDAなどが思春期をサポートしてくれた。
でも覚えているのは、受験の時によく聞いていたYOSHII LOVINSON なんでだ
(大学前半2007〜)NIIGATAのライブハウス
大学生になり新潟に住むことになる。地元は農村で高校も田舎でライブハウスが近くにない生活を送っていた。新潟は私の高校時代に行けなかった、ライブ欲を充分に満たしてくれた。
初めては確か凛として時雨、#4のツアー。150キャパなのに客が普通にタバコ吸ってて、カルチャーショック受けた。
当時の新潟はPHASE、CLUBJUNKBOX、CLUB JUNKBOXmini、LOTS、RIVERST(当時の名前忘れた)だったと思う。
売れてるバンドは回ってくれたし、遠征するお金もなかったので新潟のライブを楽しんでいた。この頃年20くらいは行けていたと思う。
夏フェス参加します
中でもお金ためて行った北海道のRISINGSUNは本当に綺麗で視野を大きくしてくれた。
ロキノンだった私は音楽に踊らされていただけだった、でもライジングを知ってからは音楽で踊ることができた。本当の自由を音楽で手に入れた気がした。
2007クロージングアクトの曽我部恵一バンド。素晴らしくて、青春協奏曲を聴きながら歩いている記憶はいまでも鮮明に覚えている。
ダイバーデビュー
PIZZAOFDEATHにどっぷりつかったのもこの頃か。
社長のKENYOKOYAMAのライブの激しさに感銘を受けて、新潟に来る度は必ず行っていた。
ベースのサージが脱退するツアー。
いつも新潟に来る時はLOTSだったのに、その時はJUNKBOXだった記憶がある。
そのとき初めてダイブできた。
人の頭上に乗って全身で音を浴びるあの行為です。
曲はなんだったんだろう。
ステージがよく見えて見たことない視界に興奮したのは覚えてる。最高の夜だった。
(社会人)東京に出てくる、ライブハウス通う
社会人となり新潟から東京に出てきた。初めは仕事もロクにできず、仕事で病む日々が多かった。行きつけのバーができたり、休みを使ってライブハウスを開拓する日々が続いた。
今でも続いてるが、夜にライブを見て一杯呑んで帰るあの遊んでいる感覚が大好きだ。
次はいつあの日々に帰れるのだろうか。
(20代後半)ラジオにぞっこん
音楽から若干ズレるが、ラジオをかなり聴いている。やはり音という文化で似ているものがあるのかもしれない。
そこから派生して以下のヒップホップが好きになったり知らない音楽が耳に残ってくるのはラジオのいいとこですよね。
今はお笑い芸人さんのラジオが多いですが、ラジオ沼深いのでズブズブ入っていきたいです。
8.hiphop畑に迷い込んだ(現在)
コロナ禍になってから。
もっと文字数を持って感情を表している音楽はなんだろうと考えた結果、ヒップホップに行きつきました。
でも本当はcreepynutsのラジオから笑
spotifyが便利でついついヒップホップ聴いてしまうこの頃です。