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今も昔も変わらない私の暮らし。


昭和30年の夏の横浜。父と5歳の僕。父はお構いなしにサッサカか歩く。トンボとりは楽しかったがトンボのことなど覚えてない・・・父のほうが夢中だったから・・・

冬、田んぼに氷が張らないかとワクワクして起きた時は寒さを感じないのが不思議だった。

夏はカヤの中に潜りこんで寝るのが楽しみだった。冬はただただ寒くて・・・薄暗い台所の桶の氷は夕方になっても溶けない。土間が冷え冷えしていた。囲炉裏種火は灰をそっとどかすと赤々をよみがえる格別な場所だった。

雨の日、廊下が遊び場。ビー玉を転がすだけだけど飽きなかったよな〜

便所が廊下の突き当たりだからちょっと臭ったけどね。

井戸水の中にトマト、きゅうり、スイカを浮かべておくと冷たい味がついて美味しかったなあ〜

薪割りは大人の仕事。子供は近づけない場所。

風呂を沸かすのは子供。夏は熱くて汗びっしょり。冬は兄弟で俺が俺がで暖とり合戦だった。

花の香りを頼りに草息をかき分けて見つけたヤマユリの花。花びらを一枚一枚ちぎって甘い蜜を舐めとる。子供達が夏を乗り切るための山が育てた栄養剤は最高だった。

小学校から戻り母親と出掛ける先は裏山の杉林。竈門の焚き付け用の枯れ枝や枯れた杉の葉っぱを拾っていると足元からチャボのような鳥が突然飛びだす。「わあ〜何よ〜ビックリさせないでちょうだいな〜ハハハ」母の決まり文句だ。一番最初に覚えた鳥がコジュケイだった。

コジュケイは林のヤブの中から。ニホンキジは林と畑の境の草むらから。飛び出す場所が違っていたが、打ち上げ花火のような飛び出し方は同じだった。

川の浅瀬の砂地を掘るとヤツメウナギが見つかる。目がゴマのように小さくて可愛くないから無視。岸辺の水の中に開いた穴に腕を突っ込むとヌルッとした魚の体。金色のフナ。銀色のフナ。出会えたことで大興奮。

夏休みは川へ山へと忙しい。

虫取りリダーは年齢関係なし。成功実績がさらなる信頼を得ることになる。

ノコギリクワガタはランキング2位。1位はミヤマクワガタ。3位カブトムシ。カナブンは?・・・・・虫(無視)。

チョウの王様オオムラサキ。憧れた逢いたいチョウ1位は国蝶になって切手になって飛びまわっている。

王様軍団は居酒屋が大好き。花には目もくれない大人のチョウチョ?

夏の夜、川べりを滑る光。ホタルはヤブカのようにたくさん飛んでいた。

ノウサギの秘密基地。見つけても見てみないふりをしろと父がつぶやいた。

何でわかるの・・・・ノウサギの足跡って。

ホオジロって頬が白い?クビは白いけど・・・

ヌエってこの鳥の声だと父が言った。トラツグミだったのか〜

父が立ち止まって見上げた大木。予感ってすごい。トビの巣だと一言って立ち去った。

通い続けて出会ったヒナは近付き難い貫禄だった。

キイチゴ食べながら突き進んだヤブの中。ウグイスの巣だと兄が得意げだ。

嘴を閉じて鳴くモズの母の声。優しく語りかける声に子供たちが歓声をあげていた。

草風船のようなフキノトウ

冬しか会えなかった渡り鳥ヒヨドリ。力強い底力が国内移住の決め手?

夏も冬もカマドの中には命の火が生きていた。

玄関を入ると薄暗くて広い土間。
土間は黒光りしたでっかい引き戸で仕切られている。奥の土間には大きなカマドがある。カマドは土を固めて作った父の手作り。
カマドの中には一年中火種があった。床に着く前に母がカマドで燻っている火に4、50センチもある長い箸を使って灰を静かに掛けていた。こうすると灰の中で種火が残る。
翌朝、長箸で灰をカマドの端に寄せてから枯れた杉っ葉を置くと煙がでてきて杉っ葉が燃え始める。杉っ葉が勢いよく燃え始めると枯れ枝など入れて朝食料理が始まる。

朝食は季節の野菜や漬物、味噌汁が定番メニュー。
出来上がった料理?は土間にある黒光りした長い板の(テーブル)上に並べ、長椅子に座ってみんなで食べた。
土間だから運動靴を履いたまま。父は地下足袋(じかたび)。食事を済ませるとさっさと野良仕事に出かけて行った。
夕飯は皆で座敷に上がり掘りごたつに足を突っ込んでの食事。夕飯には季節の野菜、漬物は必ずでてくる。特に好きだったのは白菜の漬物でご飯を包み込んで食べるのが美味かった。味噌汁も必ずあった。
母の作った味噌汁には特徴があった。ビー玉ほどの大きさの味噌が溶けずに毎回入っていること。自分のだけではなく全員の味噌汁に。だが、誰も文句を言わず箸で味噌を突っついて溶かしていた。

カマドと屋根

365日家の中にはカマドの煙がかすみのように漂っていた。
甘酸っぱさと米が炊けたような匂いの中にいるだけで落ち着くから不思議だ。
家の屋根は茅葺屋根。
大人になって知ったことは茅葺の茅は「ススキ」だって言うこと。
自宅から人一人が通れるなだらかな細い山道を上ると富士山が見える畑に出た。畑の先には西陽を受けて輝いている柿の実をヒヨドリやツグミが互いを追っ払いながら夢中で食べていた。
同じように西陽が当たって銀色に輝いていたのがススキの花「穂」。家の茅葺の屋根に使うススキはここで刈り取ったものを毎年保管して、沢山集まったら地域の大人たちが総出で屋根の茅を新しいものと取り替える。
昭和30年代茅葺き屋根の家は次第に少なくなったが小学校の1クラス(50〜60人学級)に8名ほどの家は茅葺き屋根の家。
茅葺き屋根の家には必ずカマドがある。藁葺き屋根はカマドの煙が入ることで雨漏りがしないと父から教わった。ふ〜ん。うなずきはしたが・・・なぜ?屋根のカヤ(ススキ)が常に煙で燻されているから虫やネズミが住みつけない。
カマドの煙がなかったら虫や小動物が住み着いて屋根のカヤはスカスカになって雨漏りして暮らせないと教わった時の不思議な衝撃はかすかに覚えている。

藁葺き屋根は草なのにが何十年も雨漏りしない。この歳になって小さな藁葺き屋根を作ってみたいと思った。燻製作りも大好きなので小さな燻製小屋の屋根は茅葺に決定だ。

約束

幼少期〜少年期を振り返れば足元から視界の届く範囲には沢山の命があった。
住居や庭、草むらや林。田んぼや小川に暮らす生き物たち。
自身を取り巻く自然を肌に感じながら日々を過ごしてきた。
大大人(60代過ぎた自身の呼び名)になって今更ながらに気がついた事がある「自然が人を育て、人が自然を育てる」これこそが日本が世界に誇る里山文化ではないだろうかということ。

お盆前の子供達にも役目があった。小川の岸で咲くミソハギを刈りとって来ることもその一つ。
仏壇の前に正座した父と母が持ち帰ったミソハギの先を水につけて神主がお祓いをするように仏壇に向かって「パッパ」と左右にふる。仏壇の前にはカボチャ、スイカ、まだ若い柿の実や母の手作り饅頭が並べられていた。
お盆の期間中はトンボやセミ、魚釣りなどを捕まえるのはご法度。絶対ダメ。全ての生き物のご先祖さまが戻ってくるお盆は期間は殺生はダメだと父や母、近所のおばさんからも言われていた。お盆前に捕まえ、虫かごに入れていたセミやバッタなども全部放した。

正月前にも子供達の役目が再びやってくる。
裏山に出掛けてヤマユリの球根を掘ってくること。
花が終わったヤマユリは種が入った花柄がついているので咲いた花の数は花柄を見るとわかる。4つ以上の花柄をつけたもの以外は絶対に掘ってはならないと親からキツく言われていた。いくつもの花柄をつけた物を掘ると」球根が大人の握り拳よりも大きい。
掘ってきたヤマユリの球根は母が一枚一枚鱗片を剥がして水につけてからヤマユリのキントンを作ってくれた。
正月前の子供の大仕事はもう一つあった。
ヤマイモ掘りだ。
ヤマイモ堀にも掟があった。初めての霜が降るまでは掘ってはいけないという事だった。
当時は何故そんなことと不思議だったが後にこの方法が里の自然を守ることに気付いた。
ヤマイモはアサガオのようにツルで成長。土の中の美味しいイモは伸びたツルの元をたどって掘れば得る事ができる。ところが、ツルが霜に触れると寒さと水気で途中でブツブツ切れてしまう。こうなるとツルの元が簡単には見つからない。
だが兄はツルの元を「あった」と言って見つける。
悔しい〜悔しい〜と過ごしたが、ある日突然ツルの元をどうにか見つけられるようになってくる。
経験と直感が全てと言うことがわかった。仮にヤマイモのツルがしっかりとしている時期に掘ってしまえば乱獲状態になって里の恵みの幸は消滅してしまうだろう。

ホタル

6月の蒸し暑い夜、川岸ゲンジボタルが飛び始めた。
ボワーン、ボワーンを光るホタルはある日の夕方に自宅前の川岸で母と一緒に見た人魂のように見えた。
カノコガがゆっくりと飛んでいた夕方の川岸。突如現れた人魂が弾むように目の前を・・・上流に向かっていく。遠ざかった人魂はいかすかな光を発しながら途中暗い森の中に吸い込まれるように消えてしまった。二人で立ちすくみ無言で見送ったが怖さはなくかったことははっきりと覚えている。

大きな光を放しゆっくりと飛ぶゲンジボタルの数が少なくなってくると直線的に飛ぶヘイケボタルにバトンタッチとなる。
ヘイケボタルは直線的に軽快に飛ぶ。
ゲンジボタルに比較して体が小さなヘイケボタルだが大好きなホタルだ。
夏の夜蚊帳の中に入れて一緒に寝ていたからかもしれない。
ホタルは無言で自身をアピールしていたが田んぼの中で下駄を転がしたようにけたたましく鳴くアマガエルの声の自己主張は凄まじい。
皆んなが一斉に「ゲコゲコ」鳴くのでかえって目立たないような気もするが・・・

お線香とヘビ

線香は煙が出る。だけど煙くはない。むせたりしないのは香りのせいなのか・・・布団の中に入ってくる微かな線香の香りで毎朝目が覚めて起きる。
父と母は仏壇の前に座り、蚊が鳴くような声でブツブツ言って線香に火を付けてお輪を叩くと朝の扉が開く合図のようにチ~ン鳴り響く。

線香は仏壇やお墓参り以外にも使っていた。
部屋の大黒柱と梁が交わる所や廊下の梁で時々見かける大蛇。
こんな時、母は仏壇から線香を出して火をつける。
線香立てに立ててから、両手で拝む。
自分の背丈の倍以上もある大蛇にビビっていると「ほら、一緒にお願いしなさい」と母。
何をお願いするのか訳が分からなかったが夢中に力いっぱい手を合わせた。
大蛇は頻繁には出没はしなかったが、父も母も蛇が高い梁の上をゆっくりと進んでいた時は気にもとめずにいた。
自宅で大蛇との共存だった。
当時を振り返れば大蛇は無毒のアオダイショウ。本州に住んでいるヘビの中では最大級で2メートル越えにもなる種類。
母が線香をつけることで匂いに敏感なアオダイショウくん?さん?はその場から逃げっていったのではないだろうか。
さらに線香の登場といえばゴロゴロと雷がなりが鳴り始めた夏の午後だ。ヘビの出没時と同じよう線香を立てて拝むと偶然かも知れないが雷はおさまってしまう。
線香の力おそるべし。

クモの巣でセミ捕り

セミ捕り道具は3メートルの篠竹1本だけ。それだけ?本当に?・・・

昭和30年代ごろまでのセミ捕りと言えばクモの糸で捕る(地方によっては別な物を使った?)のが横浜の里山での流儀。
篠竹の先端に篠竹の枝をシャモジ型にして差し込む。差し込んだシャモジ状の所にクモの巣の糸を篠竹をクルクル回しながら巻き取る。
巻きとるクモの糸はどれでも良いわけではない。
軒下などに大きなクモの巣を張るオニグモの糸は太くて粘りがあるから見つけ次第先を争って巻きとった。
コガネグモやナガコガネグモの巣の糸も太くて良質だ。
反対にジョロウグモやクサグモなどのクモの巣の糸は粘り気もなく糸も細いので巻き取らなかった。
クモの巣の糸は午前中は粘り気があるが、午後になると粘り気が落ちるのでセミ捕りは午前中が勝負だった。
準備完了。子供たちは自分専用の最先端捕獲機を持ってセミ狩りに出かける。
横浜の里山のセミは「ハルゼミ、ニイニイゼミ(子供たちはチイチと呼んだ)、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ヒグラシ、ツクツクボウシ」6種。
ハルゼミは初夏に発生なのでセミ捕りの対象外。
ツクツクボウシは夏休みが終わる頃に発生だったのでこちらも対象外。
1番人気はミンミンゼミだったがどれもこれもが木の高い場所にいるので捕獲のチャンスは滅多に訪れない。比較的低い場所で鳴いているニイニイゼミは簡単に捕まえる事ができた。木にとまって鳴いているセミにそっと巻きとったクモの巣網を近づけてタイミングよくぺったと押さえ付けるようにする。両方の翅がクモの巣にくっついてしまったセミは身動きがとれない。

セミたちが好きな木

セミの種類によっておおよそのお気に入りの木の種類が決まっているようだった。ニイニイゼミはサクラの木に断然多い。ヒグラシはスギやヒノキの根元付近。ミンミンゼミはケヤキの木の地上5メートル以上の場所。アブラゼミとツクツクボウシは木へのこだわりがないようであっちこっちに出没。何が決め手になるのかは大大人になった今もはっきりしない。ただ、皮膚感覚で感じるのはニイニイゼミは明るく風通しの良い落葉樹の林や公園かな〜。ヒグラシはスギ、ヒノキ、カシの木林などのやや薄暗い林にこだわっているようで、マツ林のような乾燥した場所は避けているようだった。ミンミンゼミは屋敷林のようなケヤキ、カシなどの落葉樹と常緑樹の大木が混ざっているような場所がお気に入りみたいだ。

稲刈りと野鳥

10月稲刈りがはじまる。ノコギリガマでザクザク刈り取っていく大人たち。無言で働く大人の迫力がカマを持つ手から伝わってくる。
赤ん坊ですら今は泣いてはいけない雰囲気を読み取っているのか、田んぼの畦に置かれたカゴの中でおとなしうしている。
刈り取った稲は田んぼの中に丸太や太い竹を組み合わせて作ったゴッツイ鉄棒のようなものに穂を下にしてかけて乾す(かけ干し)。

かけ干しは2、3週間秋の乾いた風に当たってイネの実がかわく頃まで続ける。

かけ干しされたイネはスズメたちから真っ先に狙われる。ハトもやって来るが刈り終わった田んぼに落ちている稲穂をついばみ、スズメのようにかけ干しされたイネにへばりついて食べたりはしない。

春の山菜採り

山菜摘みのトップバッターはセリ。
セリ摘み期間は1月〜4月まで。田おこしが始まる前の1月〜3月までは田んぼの中のセリを摘む。それ以降は小川の岸などのセリを摘む。
田のセリは地面にベッタリ張り付いて採りづらいがセリ独特の苦味?うまみ?が強い。大人達は田のセリを頬張り「これだよ、美味い」と言ってシャキシャキ食べていた。子供たちには小川の岸辺で採ったせりの方が苦味もなくまだマシだった。
5月になりセリが大きくなるとキアゲハが飛んできて産卵する。しばらくするとセリの葉っぱが虫食い状態で穴だらけとなる。あってこっちに黒と黄色の横縞の幼虫がいる。これからはセリがチョウたちのゆりかご籠になるのだと肌で感じる。

田んぼの畦にはフキノトウ。
セリ摘みでは感じ取れなかった春を運んできたような小さな草風船のようにも見えた。草風船の天ぷらはほろ苦いが美味しさが苦味を超えていたので子供達は争って箸を伸ばした。

アケビやクズフジのツルのさきっちょ。ヨモギ、ノビル、ウワバミソウ、ユキノシタなど春は家の周りに食べ物があふれていた。

思い出の臭い

里の四季は香りに包まれる。春はクリームパンの匂いが山から降りてくる。
クリやシイ、コナラや、クヌギの花の匂いだ。
田おこしの時、臭ってくるちょっと履き古した靴下のよう臭いと混ざって微妙だが。梅雨に入ると一気に風呂場のような臭いとなる。カタツムリが好きそうな臭いだ。
梅雨明けは全てが別世界。
蒸しパンのような形をしたでっかい白い雲が広い空に立ち上がってくると、甘いスイカのように匂う大粒の雨と鬼の叫びのような音が風鈴の音色もかき消してしまう。鬼たちが去るとホオズキの香りが再び匂う。
麦わら帽子のあったかい匂いに誘われてアカトンボが山から降りてくると、甘柿にムクドリたちの群。田にはスズメやキジバト。ミカンにはメジロやヒヨドリ。みんな匂いに誘われて別れて食事する食欲の秋。
霜柱を踏んで通った山道の通学路。とんがり帽子の屋根から上がる炭焼きの煙はお酢の匂いがする。お酢の匂いが消えると炭の出来上がりと教えてくれた。

心と体を育て、身近な生き物たちの命と暮らしを守ってくれた里山に感謝

人が自然を育て自然が人の心と暮らしを育てる共存の世界。里山は日本が世界に誇る人の暮らしと歴史が作り上げた環境だ。

里山は一つの環境を指している名称ではない。田んぼ、畑、雑木林、植林地、竹林、小川やため池などの集合体の総称。そんな様々な場所に生き物や植物たちの暮らしが続いてきたのは何故だろう。

生物多様性という言葉は標語のように語れている。
里山の生物多様性を改めて振り返ってみると人の暮らしが支えてきたことがわかる。田畑山林。池や沼などなど・・・我々が利用するために長い歴史と暮らしの中で作り上げてきた環境だ。

利用するためには、それぞれの環境に適した管理方法が必要となる。
水田と畑では管理の時期方法も違う。
雑木林には雑木林の手入れ。植林地には植林地の手入れが。
沢山の環境を利用して暮らす利用の多様性を維持するには→管理の多様性が必要となる→管理の多様性が整うと→様々な環境の多様性が誕生する。環境の多様性によって多くの種類の動植物が適した環境で暮らし始める。里山の生物多様性の裏には我々の暮らしが深く関わってきた仕組みとカラクリがあった。










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