答えのないものに全力で向かう事が多い
はじめまして、塚田健一郎と申します。
バンコクに住んで10年以上。3人の子供の父親です。
プロテニスコーチとして24年間活動していました。
現在は主夫、不動産賃貸、資産運用、融資をしてます。
先日は、家族でタイ、ノンカイにあるプラタート クラーンナームに行ってきました。
世界でも1つしかない、メコン川の中にあるお寺です。
乾季で水の少ない時期に顔を出すという、珍しいお寺です。
川の向こう側はラオスになります。ボートに乗って流れの早い、メコン川の中央に行きます。料金は20バーツ(70円)でして、子供は無料でした。
しかし、地元だから?無料に等しい料金にしてくれたのかもしれません。
通常料金はわかりません。
船はこのようにして岩に着船して、人々は岩に向かってお祈りします。
たくさんの花と、硬貨がありました。タイの人々は、毎日のお祈りを大切にします。マインドフルネスが習慣になっています。
私は子供達に旅行を通じて、
『答えのない学びを』意識してさせるようにします。
先ず、質問と答えをたくさん出します。
言語の問題も多少ありますが、そんなの関係なく話しをします。
『パパこのお寺、前は見えなかった!』『何で?』
『この前は雨が多くて、川の水が多くて見えなかったんだよ』
『いつから見えるようになるの?』
『自然だから具体的には決まってないけど』
『このお寺を見てどう思う?』
『何を感じる?』
『絵を描ける?』
『行った事、説明できる?』
など多くの質問をして、たくさんの答えと意見を引き出します。
そうすると、
『岩にはボートで行った』『川の流れが早い』『硬貨があった』
『お祈りした』『綺麗だった』
など、
正解はない、答えをいっぱい出してくれるのです。
事実、子供が感じたことを発言しているので、正解も不正解もありません。
私は子供の意見を聞いて、『アイデア』をもらったことも沢山あります。
世の中に出ると『答えのない問題、課題に取り組む』事が多いです。
私は特に、出来事に対応していく『能力』を磨くことを意識しています。
しかし、現在の教育を見ると、
大人の作った『出来上がった』答えを子供に押し付けるような、
教育が多いのでちょっと疑問です。
それは、答えを見つけ出す優秀な方々が、
問題を作っているので当然なのですが、それだけでは、不十分です。
例えば我が家はタイバンコクで、育っているので、日本の四季を感じた事がありません。
先生が、冬が終わるとどうなるか?と質問されたら、
多分うちの子供は、
『雪が溶ける』と言うかもしれません。
実際にはそれも分からないかもしれないです。
しかし先生が用意している答え
『春が来る』と言わないと、
正解ではないと言うのが、現在行われている教育なのではないでしょうか。
『雪が溶ける』それいいね!ではなくなるのです。
その答えを否定することにより、感受性やアイデアを潰す原因ともなりますし、他人にフォローしなくてはならない文化のできあがりです。
(先生)この色は何色ですか?
(生徒)白だと思います。
(先生)その通りです。でも実際は黒。。。
(先生)次の人は何色だと思いますか?
(生徒)白です。
結局は周りにフォーローして、実際は黒で白ではないのに、前の人と先生が白と発言したので、フォーローしたのです。
単純な例かも知れませんが、他人にフォローする生き方をして欲しくない!
そんな願いを持って、子供達に接しています。それが私の教育です。
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