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木蓮に行き先尋ね豚の餌

お金のためではなく単純に揉め事を避けるために文章を書いている段階でうんざりするような連中と毎日付き合わなくてはいけなくて、せっかくリモートワークを手にいれ、自宅で一人で仕事をできる環境を手に入れたにも関わらず社内の雰囲気だと言っただきすべき問題に囚われている毎日で嫌になってしまうが、兎にも角にも鬱病であれ、統合失調症であれ、自室で誰の機嫌も関係なく働き続けるといった問題を映像装置を利用して気持ち悪い顔を送ってきたから電信柱にしてやれば、問題は解決出来るでのはないかという問題ですら発生してしまう。それはともかく文体を構成する段階で現実が肯定的に状態依存へと発展した様子をあからさまに分解していく方法論を雨季と捉える直すであれば、乾季には換気するほどの寒気が歓喜するほど喚起されてしまうのだと問われたとしても記憶にはやはり言語だけが存在的に明示している水色といった発展系がとりも直さず破滅を導いている。例えば、十五年前にお付き合いをしていた女性がエロトピアなるエロ雑誌の大ファンで女性的な視点で見てもエロトピアもしくはその後に発刊されることになった快楽天、いや順序は逆であるけれど、かの雑誌に連載されていた男性向けエロ漫画の可愛さたるや至極真っ当な判断を持ってしても良質なサブカルチャーであると話していた女子が今ではすっかり代々木の女王としてお客様に笑顔を振りまいていたなどといった現状もまあ、個人的ぬは歴史性を感じてしまう。彼女とはエヴァンゲリオンのアニメ中に出てくるセリフで会話をしていて、このことを某アルバイトで知り合った胸が大きいバカ女子が自分のことだと勘違いをしていたことが本当にとにかく問題であった。まあ、年齢で考えてみてもセカンドインパクト世代は同年代の女子に限られるわけで、某前衛都市バンドに所属していた人気ボーカルの末路が色気のあるスナックのママでしたって結論はとりも直さず勇気を確かに与えてくれる。かのバンドの特徴はスタジオボイスなる過去にファッション系サブカルチャー雑誌として有名であったライターの作ったバンドということで有名であるけれど、奇しくも彼の最後の仕事が故にこそ、エヴァンゲリオン解体新書であり、手首を切って四畳半のアパートに訪れた際の問題を徹底してアルバイト先で知り合ったグレンラガンのヒロイン名の女子が徹底して何度も言うが徹底して自分のことだと勘違いをしている有様がうざったくそのことで社会生活に不備が出るほどであったことが本当に困り果てている。尚のことではあるけれど、論理と理論によって結合された自我領域の問題を自分自身のことだと考えてしまう関係妄想という判断は当然ながら統合失調症の基本症状であるために、どのような噂だったとしても出来る限り自分のことだと考えない努力は必要となってくるけれど、いちいち頭の中で考えたことまでえらい理屈をこねて何十年にもわたって論争を続ける覚悟があることが狂気に思えてしまうが、かっこいいのでよしとしよう。故にこそ、発狂という段階における自意識の発露はやはりこそアートや音楽を通じてなされるべきではあるけれど、奇怪な現実を肯定するために普遍性をなん度も辿り続けるのであれば、愉悦にこそ芸術的感性の極点が存在しているのだという結論はやはりとりも直さず故にこそメタンフェタミンがもたらす高精神状態と接続するきっかけを作り出してくれるだろう。幻覚剤を持ってしても高次意識を捉え直すことはできるはずだし、リゼルグ酸ジエチルアミドはもはや分裂状態を広義の意味で日常会話の中に埋没させる手段となり得るのでなければ、セカンドインパクトとサードインパクトを社会性を帯びた言語として捉え直すことは不可能であると言える。つまりはドラッグカルチャーを通じて手に入れた知覚こそが文体の本質的な意味なのである。前に進もう。

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