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01.Konsti from Mika Vainio『 Ydin』

十歳の誕生日を迎えて、ちょうど一か月を迎えた六月の火曜日、母親に連れられていったモデルオーディションに合格して契約したモデル事務所から依頼された低年齢層向け雑誌の取材に応じて、私は初めて銀髪の写真家、サイトウマコトと出会い、彼が所有する千駄ヶ谷の撮影スタジオで、左眼を失って現実という認識を付与され拭う事のできない傷痕を負うことになった。

サイトウマコトという彼の名前は、一緒にこなした初めての仕事の際に教えてもらった。

つまらない雑誌のつまらない写真を、明日の食事の為だけに撮っていた27歳の夏に、たまたまTVで放映されていた民族紛争に関するとても質の悪いドキュメンタリーに触発され、勤めていた小さな出版社に辞表をだした一週間後、単身イスラエルへとフリーのカメラマンとして渡り、出版社勤務時代の小さなコネクションを頼りに、現地の特派員としてパレスチナとアラブ連合の紛争を記録する仕事を得ることで、彼の人生は一変することになった。

安寧と安定から切り離され、銃弾と殺戮の支配する環境へと移り住み、あっという間に進んでいく時間と荒んでいく精神によって、ゆっくりとまるで蛆虫のように脳髄を侵食され始めていた時に、切り落とされた食欲の背後で蹲るように捨てられていたアラブ人の少年兵士の死体に右眼が存在していないことを見つけた時に、彼がファインダー越しに捉えている世界が、満員電車の地下鉄で堕落した殺意に囲まれていた時期とはまるで違っていることに気付きイスラエルへと渡る際に有り金をはたいて購入したcanonの一眼レフレンズ『T80』のシャッターボタンを押して、パレスチナ解放戦線の勇敢なる戦士によって撃ち抜かれた少年兵の右眼のない死体を写真に納めた。

脳髄から溢れ出るアドレナリンと飛び交う銃声によって、おそらく常態の人間では味わうことの出来ない異様な興奮状態を経験しながらも偶然捉えることになった、たった一つのRawデータがある通信社の目に留まり、パレスチナ問題で騒然としていた世界へのカンフル剤として取り上げられ、NYtimesの表紙をアラブ少年兵のショッキングな死体の写真が飾ることで、同時に写真家としての彼の名前もあっという間に拡散されることになった。

彼曰く、その時、彼は自分以外には何一つ見えていないことを知ったのだと言う。

その写真がきっかけになり、日常生活を完全に切り捨てると、満員電車で揺られていた時と同じように戦場で心を磨耗し続けていただけのいた彼の生活は一変してしまった。何もすることがなく、何も目的も持たず、何処にも目指す場所すらなかった日々が一夜にして塗り替えられて、硝煙の臭いが漂う戦場だけではなく、欲望を銀色のスプーンで掬い取る非日常や、汚れひとつない真っ白な壁を決して汚すことのない人々の絡繰に囲まれた日常を飛び回り、毎日のようにシャッターボタンを押して、両脚を刈り取られたような日々と機械的な原則とは無縁の視野を『T80』へと閉じ込めて、彼がファインダー越しに捉えている現象こそが、メディアを享受する人々が見るべき対象へと切り替わり、あらゆる視覚媒体が彼の網膜に映しとられたフレームと同化していった。

沢山の人間たちが彼に近付き、沢山の金が彼の元へと入ってきた。

そうして、六年が経ち、オスロ協定によって、PLOとアラブ連合の和平プロセスが進展の兆しを見せ始めたこととまるで呼応するようにして、些細な誤解から産まれた仕事上のイザコザをきっかけにしてマスの中心にあったはずの彼の右眼は、慌ただしいだけの日常に埋没していた頃の彼の右眼へとすり替わりその途端に二十代の時と同じように彼が切り取るフレームは陳腐さと怠惰さで埋め尽くされると、紛争に巻き込まれていく死体にも銃声が鳴り止まない戦場にも銀色のスプーンで掬い取られる非日常にも、ファインダーの向こう側で無機質に並べられている死と再生の物語にも興味をなくし、空を飛び回っていた彼の生活は崩壊し再び安寧が支配する故国へと舞い戻ることになった。

それでも彼が何者でもない二十代のカメラマンとして東京で生活していた時とは違い、電車での移動手段は排気音を誇示するような赤いスポーツカーに取って代わり、ワンルームの惨めさを内包したまま硬くて疲れの取れないベッドの上で寝るだけの一人部屋は灰色のコンクリートで囲まれた撮影スタジオ付きのデザイナーズマンションに変わっていたけれど、まるで玉手箱の煙を浴びてしまったように以前の自分は戦場の全裸のカメラマンとして何処か遠い星へと捨てられてしまい、元いたはずの暮らしが織り成すとは決別した夢の中へと移し変えられているような気分にゆっくりと侵されていった。

まるで映画の登場人物のように過ごしていた頃の自己との邂逅を果たそうと、憂鬱による陶酔感を純白の獣に委ねたまま踊り続けるしかなくそんな粉末状の忘却に沈みきってしまった感覚から逃げ帰るようにして粘膜から侵入したアルカロイドが暴れ回り皮膚下を這いずり回る蟲の騒めきが戦場の銃弾と同化する頃になって、ようやく怠惰で退屈な日常の中へと回帰する生活を繰り返した。

『T30』のシャッターボタンはほとんど押されることがなくなり、当然のようにまた新しくすり替えられた誰かによって切り取られた情報が町中を埋め尽くしていくと、高純度の幻想を鎮静と興奮で交互に味わい続けた反動で歪みきってしまった自尊心からか、若くて飢えていた頃に引き受けていた仕事はほとんど請け負うことすらなくなってしまい、生活は徐々に落ちぶれていったが、十代の頃から可愛がってくれていたモデル事務所の社長から依頼された撮影の仕事だけは生き残り、彼の生活を繋いでくれた。

いっそのことこのまま関係が担保する世界との接点を絶ってしまおうと、壊れにくく使いやすかった『T80』も含めて所有していたカメラのほとんどは売り払い、最後に購入した『D30』と子供の頃に父親から譲り受けた『R2000』だけは残した。

だからなのだろう、彼の右眼が未来を映し出すことはもうなくなっていた。

モデル事務所の社長に依頼された週間雑誌の表紙の撮影を終え、グラビアアイドルたちと堕落と快楽の巣窟で絡まり合い、色を失いかけていた現実を滲ませる強烈な夜と朝を三度堪能した後に、まったく同じだけの時間を今度は混濁した眠りと無意識が見せる夢想に、どっぷりと沈みきってからまっすぐに帰還した後、自宅のベッドの上で目醒めると、体内で未だに細胞を不活性化させて残留している崩れた結晶のせいか、身体中が怠さを引きずっていて異様な重さを感じているにも関わらず、性欲だけが妙に暴走して局部が勃起したまま収まる様子が見られないので、いつも相手をしてくれる甘えることがとても上手な娼婦を呼び出して粉末状の白昼夢へと誘い出そうと狭間の領域で悪意を配って回る連中に電話を掛けてみるがいくら着信音を鳴らし続けてみてもいっこうに連絡がとれなかった。

おそらく眠っている間に専有していたチャンネルを身体一つ分だけずらされてしまったのだろうと考えたが、それでも暴力と食欲の区別がつきそうになく、匿名化された暗号通信を使い、なんとか見つけ出すことの出来た秘匿者とアクセスし、今からでも問題なくチケットを購入出来るのかとメールを送る。

十五分後に返信されてきた秘匿者からの指示通りに、京王線参宮橋駅から徒歩で五分ばかり歩いた先にある地下トンネル内で待ち合わせをすると、暗号通信に記載されていた通りに、深淵に関する注意書きを手渡されたので、よく目を通し確認した後に、憂鬱に関する短い情念の混濁を二グラムと帰還兵の為の記憶の洗浄一グラムを依頼して、過去と未来を邂逅させる為のチケットを購入する。

そのままオリンピック記念青少年総合センター前で白いセダンのタクシーに乗車し──千駄ヶ谷まで代々木公園を右手にまっすぐ向かってもらえますか──とよく糊付けされた白いカッターシャツと真っ白で汚れ一つない手袋をしたバーコード頭の運転手に告げると──了解しました──と応答し、よく道に慣れたタクシー運転手の案内で帰り道を誰にも悟られないような街路樹の脇で降ろしてもらい、自宅兼撮影スタジオへと帰宅した。

混線した記憶に関する複雑な問題を滑らかに処理する為に、複雑な分子式で構成された茶色い結晶を、いつもアイスクリームを食べるために使用している小さな銀色のスプーンにのせて炙ってみたけれど、出口は完全に閉ざされているせいか暗闇の底に深く潜り込んでしまい甘い夢の中へ沈んでいくどころか電話のベルが鳴り止まないまま頭痛だけが警笛を鳴らし続けていてそのままソファに倒れるように蹲ってしまった。

どうにも起き上がる気にすらなれず、行き先不明の暗号通信を最適化して秘匿者に再び連絡を取ってみると空白と時間の経過だけを知らせる返信が返ってきてぎりぎりと神経を逆撫でする不快感とガリガリと脳内を動き回る無力感を追い出すことも出来ず、使い慣れている折り畳み式の携帯電話は部屋の隅っこに思わず投げ捨てた。

液晶画面にはまるで何かの侵入を許したようにひびが入り込んでしまい、もう誰から着信が来たのかを確認することができなくなっていた。

透明なパッケージに包まれている化学合成された憂鬱を舌先で舐めてみると明らかに認識と記憶の問題に関して不具合が生じてしまい不純な動機で満たされた言い訳ばかりが頭の中に浮かんできてろくに使えそうになかったので得体の知れない世界への侵入経路は何もかもトイレに流して忘れることにした。

受け渡しの際に少量だけ知覚した時空の変転へどのように再び回帰出来るのかは皆目見当がつかず騙されたという事実よりもへらへらと笑いながらまるで戦場へアラブ人少年兵の死体と接吻をする為に舞い戻ろうとすらしている自分に嫌気がさして秘匿者に友好の印を示していたことに無性に腹が立って仕方がなかった。

どこかでいつのまにか連絡を取り合って呼び出した娼婦が玄関先で呼び鈴を鳴らしていて、甲高い声で親しげに何か不明瞭な言語を伝えようとしていたが頭に響く呼び鈴の音と娼婦のしゃがれた声が不協和を起こして、金属製のドアと干渉してしまい脳を引き裂くような感じに襲われてあまりの鬱陶しさにドアを開け、一万円札を三枚を放り投げて──帰れ──とだけ伝えた。娼婦はまた何かを叫び散らした後、金属製のドアをハイヒールで蹴り飛ばす音が聞こえたので、すぐに帰ってくれたようで、彼はそのままふらふらとベッドに戻って暫くの間、どこからか襲ってくる頭痛に耐えながら横になり、ぼんやりと小学生の時に好きだった隣の席の女の子のことを思い出しながら、自慰に耽ろうと勃起した局部を握りしめてみたが痛みが邪魔して彼女の顔をうまく形にすることが出来なかった。

ちょっとずつ意識を空間が複写されたY軸の退行へとチューニングを合わせて黒髪の少女はよく赤いワンピースを着ていたことを思い出し、ほとんど笑顔を見ることはなかったけれど、彼が誕生日に父親から譲り受けた『R2000』で初めて撮った『ライラック』の写真を現像して見せると──綺麗な赤だね──とほんの少しだけ唇を綻ばせて微笑んでくれた。

それから彼女に撮った写真を見てもらいたくて、毎日のようにカメラを持ち歩きシャッターボタンを押すようになったことを記憶の底から掘り出してみたけれど、他にどんな写真を見せたのかはいくら思い出してみても情報を再現することが出来なかった。

頭痛が治ってくると、すぐにまた過去から引き出されてきた純粋で真っ白な世界が見せる感覚を遮断された過敏で過剰な精神の暴発に引き戻されたけれど、黒い革製の財布にはもう2352円しか残されておらず、仕方なく先ほど投げ捨てた携帯電話を拾ってリダイヤルボタンを押し、いつものようにモデル事務所に連絡を取り、──何か仕事はないか? ──と問い合わせると──ちょうど頼みたい仕事があるんだ──と五十代の社長は彼に過去と未来を邂逅する代償行為に溺れ続ける手段の変移として今、ここに存在するのだという現実へ引き戻す為の仕事を依頼してくれたので、ようやく頭痛は治まってきたけれど脳髄を這いずり回る違和感は払拭されることもなくそんな不快感をかき消すようにしてまだ半分ほど残っているwhite horseをロックグラスに注ぎ、もはや自分が完全に現実に帰還する術を持っていないことを憂いながらそのまま朝まで飲み続けた。

六月二十三日火曜日、本当に人の良さそうな五十代の社長が経営する小さなモデル事務所に所属していた黒い髪と白い肌と水色のワンピースを着た十歳の小学生だった私は社長と古くからの付き合いのあるその銀髪のカメラマン、サイトウマコトという男と低年齢層向けファッション雑誌の写真撮影の為に、千駄ヶ谷の彼が所有している自宅兼撮影スタジオを訪れることになった。

急な仕事の依頼で、学校は早退する必要があったので、"撮影のお仕事があるのでお先に失礼します"と担任の三十代の女性教師に伝えると、彼女は優しく微笑んで、"頑張ってね"と言い、私は小さく頷いてから同級生が机と椅子を規則正しく並べて給食を食べながら、同じ笑顔を浮かべている教室を赤いランドセルを背負って後にした。

いつもなら学校まで迎えに来てくれるはずの母親は、サイトウマコトと三度目の仕事で安心しきっていたことと、どうしても外すことのできない大切な用事の為に迎えにきてくれなかったけれど、私はそのまま学校のある自由が丘駅から田園都市線に乗り、渋谷から新宿方面の山手線に乗り換えて、代々木から総武線に乗り継ぎ、一駅先の千駄ヶ谷駅で降り、自動改札を出て当たりを見回すと、二度目と同じようにとても優しい笑顔を浮かべて右手を軽く挙げて待っている短く刈り上げられた銀髪のサイトウマコトが私を出迎えてくれ、軽い挨拶を済ませた後、駅から外苑西通りを抜けた先の小さな路地にある灰色のコンクリートで囲まれた彼の撮影スタジオに到着した。

到着するとすぐにいつもとおなじように、軽目のテンションで学校や友達のこと、それから以前にカメラマンとして飛び回っていた時期の珍しい風景や他愛もない仕事の話をして、お互いの距離を少しだけ縮めた後、真っ白なバックペーパーを背景にした撮影がフラッシュの焚かれる音ともに始まりだした。

淡々としたリズムで鳴るパシャリという音と単調だけれど合間に入れるサイトウマコトが私にかける言葉にはどこか懐かしい優しさが混じり込んでいて少しだけ私の心を弛緩してくれてスタジオの空気を柔らかく包み込んでいく。

プロのカメラマンらしい手際のよい仕事で、次々に"D30"に電磁記録された私の顔と形が311万画素数のまま封じ込められて、あっという間に、雑誌に掲載されるはずの黒い髪と白い肌と水色のワンピースの私でコンパクトフラッシュの記憶容量が満たされた瞬間に、突然、銀髪の写真家、サイトウマコトは、唐突に彼に発生した暴力的機能の発現によって自己を制御することが出来なくなり、私が状況を把握して行動するよりも前に、前週に迎えた十歳の誕生日に父親に買ってもらった淡い水色のワンピースで覆われたまだ発育の整っていない未成熟さに支配されている私を、果たすことの出来なかった不完全な父性の異常な暴発で書き換えようとする。

幾重にも彼の過去の逡巡と後悔が私の鼓膜を刺激して、白濁とした意志とびくびくとうねるような血液の叛乱によって私は身動きすら取れなくなってしまうけれど、何故このようなことをするのかと話を始めようとすると、先ほど駅前で見せてくれた笑顔を私に向けて寝室へと繋がる階段を指差しながら不正確な言語を並べて私が感じている激情などを唾棄するようにして延々と叫び声をあげ続けている。

私の頬を伝う涙が静かに無機質なコンクリートの床に流れ落ちるのを感じていると、音楽の授業で女性教師が弾いていたピアノ曲のメロディを思い出して私は口ずさみ始めた。サイトウマコトと目を合わせることなんて出来ないまま俯いていると荒々しく不規則な息遣いが頭上から降り注いできて譜面に並べられているはずの音符の正しい位置が狂ったまま私の脳内で再構成されるけれど、やっと完全な主旋律が組み上げられる頃に不協和を維持したままで外界との接触を成し遂げているリコーダーの間抜けなメロディが私の歌うピアノ曲との間に奇妙なズレを生じさせて乱暴に部屋中を駆け巡る怒声の中で私は不自然な笑い声をあげてしまった。

カメラのファインダー越しに私を観察していた息遣いすらも許容してしまうと、彼はぽとりぽとりと白く汚れたままの情動で左の太腿から私を侵食し始め絶頂を迎えた犬のように恍惚とした表情を浮かべてゆっくりと私の手を離しとても深い安堵の溜息を漏らし始めた。

下腹部を刺激している調子外れの縦笛の音色は既に何処かへと消えてしまっていて、サイトウマコトは呼吸を整え始めているけれど、私の鼓膜には外耳へと直接女教師が演奏していたピアノ曲がずっと鳴り響いていて、まるで私の傍でピアノを弾く為に授業中にこっそり魔法をかけた女教師が部屋に来てくれたのかと思うほど近くに感じられてあまりの騒がしさに私は耳を思わず引き千切りたくなってしまった。

サイトウマコトが口を動かして何かを伝えようとしているように見えたけれど、鼓膜を刺激しているピアノの音が大き過ぎてまるで何を言っているのか理解出来ずに困った顔をしていると優しく手を引いてセミダブルのベッドがある寝室まで連れて行き両腕で私を抱きかかえるとベッドの上へとても静かに大切そうに私を降ろしその隣に腰掛けて無骨で隆々とした指先で私の黒い髪を撫でながらまた何かを伝えようとすると、私は下腹部が酷く疼いてしまい疼きと感応するようにして股間から血液が太腿をそって流れ出ているのを見つけたサイトウマコトは赤い血を右手の人差し指で掬い取って私の頬を静かになぞってゆっくりと話し始めた。

サイトウマコトは、如何に自分の写真に対する情熱が崇高なものであるのかを語っていたけれど、私の鼓膜に伝わってくるのは相変わらず調性の不完全な旋律ばかりで何か言葉になる前の音の塊が時折ピアノ曲に混じって聴覚を刺激するだけで、私は彼の口にした言葉の意味をまるで理解出来ずに酷い眠気に襲われながらも六時には帰宅しますと母親に伝えていたことを思い出してまた鼓膜に伝わる印象的なメロディを執拗に何度も口ずさんだ。すると、彼は酷く悲しそうに歪で静かな怒りの篭った表情を私に向けて、激しく私の頬を殴打し上から覆い被さるようにして抱き締めて循環された血液と屹立した性器を邂逅させるようにして自らが伝えるべき事柄を狂気と憎悪を素材にして伝えようとしてくるので驚くことも忘れて痛みを感じることからも逃げてただ鼓膜を破って侵入しようとしてくる鍵盤の織り成す細やかな周波数だけが脳内で鳴り響いていた。

両手で耳を塞ごうとしたけれど、そういえば両腕は学校のロッカーに置き忘れてしまったので帰ったら酷く母親に叱られるかもしれないなと考えて繊細な鍵盤の音色に耳を傾けようとすると既にピアノの音は鼓膜を響かせることは辞めていて不規則で激しい息遣いだけが目を塞いでも聞こえ続けていた。

ゆっくりと目を開けると、カメラマンはじっと私の瞳を見つめながら何かに激しく怒るように何かを酷く悲しむように歪んだ顔をしていたけれど、私は彼に話しかける為の言葉も優しくする為の笑顔も教室に忘れてしまっていることを思い出して、そっと彼の瞳を見つめ返した。

カメラのファインダー越しに私を見つめていたことに気付いた彼はまた柔らかく嘘のようによく作られた笑顔を向けて反射させながら、血液と精液によって酷く穢されたベッドルームの匂いを敏感に感じ取りながら、耳元で"愛しているよ"と囁いた。彼の言葉が音として鼓膜にはっきり届いたけれど、言葉の意味をまるで理解することの出来なかった私は美しい旋律の在り処を探し当てたくてまたそっと瞼を閉じようとした。

すると、カメラマンは私から静かに離れていきベッドサイドの小さなテーブルに置かれていたレターナイフを手に取って、自らの首筋に右手で勢いよく突き刺した。

私は驚きのあまり両手で両眼を覆って何も見えないように感覚を遮断しようとするけれど、彼の頸動脈から壊れた水道管のようにカメラマンの血液が噴き出してきて、私に襲いかかろうと頭にまとわりついてくる。

穢れた血を浴びせられた私はどうしてもカメラマンの様子が気になって左手の人差し指と中指の間にこっそり隙間を作って覗こうとすると、身体中からすっかり血液が抜き取られて力を失くしてしまったカメラマンがベッドに倒れ込む様子が見えて、今度は襲いかかってきた血液に左眼が犯されてしまう。

どうにか彼の汚れた血液を掻き出してしまおうと左の眼孔に右手の親指と薬指を挿入して左の視神経が私からこそぎ落とされる響きを鼓膜から通じる聴覚野に染み込ませるようにしてゆっくりと左の眼球をくり抜いた。

すると、どうにか私を刺激するピアノ曲が鳴り止ませることを自分自身の力で出来ることに少しだけ安堵して、くり抜いた左眼とまだ私に依存している右眼で見つめ合いながら、"さようなら"と、もう既に小さいままでいる必要のなくなった右の手のひらで、左眼を握り潰した。

ふと、気が付くと、痛みもピアノの旋律も何も感じなくなっていて、彼の血液と私の破れた処女膜から溢れ出た血液で真っ白で汚れ一つなかったシーツが真っ赤に染められていて、何かに異様な顔つきで怒りながらカメラマンは赤いシーツの上で静かに眠っていた。

目の前の光景があまりに美しくてどうにもならないほど醜くて忘れたくなかったので記憶から剥ぎ取るようにしてペーパーナイフの隣に置かれていた古いフィルムカメラを手に取って、右眼でファインダーを覗きこんで彼も私も体内に流れている血液が赤く意地汚く穢れているのを確認しながら、シャッターボタンを押した。

遠くのほうで、小学生ぐらいの男の子たちがはしゃいでいる声がして、私はひとりきりでピアノ曲を口ずさんだ。

そうして、私は、二千三年六月二十三日火曜日、銀髪の写真家によってレイプされヴァギナを失い愛という機能を遮断し左眼を削除して現実という認識を付与された。

ヴァギナという身体機能は私の身体にはまだ残っていて私が女性であるという事実は当然ながら事件の後もきちんと残っている。

事件以後から担当してくれている医師からは傷痕そのものはどうしても消すことは出来ないけれど、左眼は義眼を嵌め込むことで擬似的な眼球を使用してもらうことになりそうだ、他者からの視線を緩和するためにもその方がいいと勧められ君が自らくり抜いたという左眼の眼球とズタズタに切り裂いた視神経の繋がりは無事手術も終えたし、おそらく後遺症のようなものは残らないだろう、けれど、通常医療の観点からみても精神医療の観点からみてもまるで疾患の見当たらない君の膣はどうやら異性と通常通りの性交渉を営むことは不可能かもしれない、感覚器官としての役割を放棄している、簡単で安易な診断にはなるけれど、つまりはそういうことだ、とにかくこれからも継続的な診察を続けていくこととしようと、中学にあがり思春期の真只中に入ろうとしている私に、眼鏡をかけたミディアムカットの細身の身体の医師はとても冷静に機械的に、私の身体についてそう説明をした。

多感な十代の女子中学生によくある話のように教室の何気ない時間を過ごす時に同級生と性的な会話になり、そういえば異性に対して恋愛感情や欲情した経験はいままでの記憶を辿ってみても思い出すことが出来ないと伝えると、その事実をあなたは異常だとニュアンスで指摘された。

他の大多数の人々と同じく中学校という閉鎖された空間で一日の大半を過ごす私にとってその話はそれなりに深刻な悩みとなったがなんとなくそれは十歳の時のカメラマンとの出会いが影響していることだけは理解していた。

十才以前にあったはずの記憶は白く靄がかかったまま思い出すことすら酷く難しくなってしまったけれど、思春期という時期にも関わらず、好きな男の子という概念が理解出来ず恋に溺れるという本の中にだけ登場する体験を擬似的に経験するために私は物語の中へと没入した。

もちろん、同級生たちと同じようなニュアンスで異性を好きになることが出来ないという話ではあるけれど、たぶん、おそらく同性に対しても恋愛小説や映画の中に登場するありふれた当たり前の感情を抱いたことはないと思う、レズビアンだと噂を立てられて排除と廃絶という年頃の女の子たちによくある仕打ちを受けていたクラスメイトから興味を持たれて話しかけられることがあったけれど、私自身にまるでその気がないのだということを知ると、すぐに興味を失って離れていってしまった。

だから、私の女性という機能を有した歯車にはどこかで不具合が生じていて、彼女たちと同じ経験と体験を共有出来ないのかもしれないと、ある日、教室で最期の一人になって通学鞄の中にノートと教科書と筆記用具を詰め込みながら帰り支度をしていた時にそんなことを考えた。

地元の中学校をそれなりの成績で卒業し電車で3駅ほど先にある私立の進学校に入学すると、私は意識的に一人の時間を過ごすようにしていたしそのような私と積極的に関わろうという人もいなくなっていた。

必要に迫られれば挨拶や単純な会話を交わすというぐらいのもので、恋人はおろか信頼できる友人と呼べるような関係の人間は一人も出来ることはなかったし、そういう存在が私に必要であるかどうか疑問に感じることもなく家族以外の他者との接点は事件当時から担当している外科医と時間が経つと入れ替わる看護師だけできっとそのことが他者との不必要な接点を持とうとしない私の人格を形成しているのかもしれない。

そうやって、関係性に希薄な環境に身を置いたとしても何度も同級生にお決まりの質問を投げかけられたがその度に私は、

「いないよ」

とだけ答えてそうやって恋愛へと発展させる好意を遮断するような一言に彼女たちはウンザリするような顔をしてひそひそと私が聞こえないように話をした後に、

「嘘つき」

と吐き捨てるように私と接点を持とうとした自分自身への嫌悪感をすり替えるようにして距離を保ちやがて誰も私に近付かなくなってしまった。

いじめ、のようなものはなかったけれど、もしかしたらその事実に気付いてなかっただけなのかもしれない、なんとなく私のクラスや学校生活での居場所は存在ごと削除されていたように思えたけれど、そうやって高校に入学して一年が経ち二年へと上がる頃、音楽の授業を担当していた女性教師だけが私に時折話しかけてくるようになっていた。左眼に眼帯をしているというだけで、特に面白い話が出来る訳でもない私に何故この女性は話し掛けてくるのだろうと不思議だったけれど、彼女の弾くピアノの音はどこか優しくてどこか悲しくてとても心地が良く、その頃好きだった推理小説や幻想小説の中へと没入するのに、ちょうど良くて私からもよく音楽室に脚を運ぶようになりそこで学校生活の多くを自然と過ごすようになっていた。

校舎の三階の南側に位置する音楽室の窓から見える同級生たちが中庭で和気藹々とおしゃべりをする様子を音楽教師が弾くリストやショパンの幻想的な旋律が高校時代を彩る唯一といってもいい思い出だと思う。

二年目のちょうど中間テストが近づいていたある日に、いつもと同じように、私と彼女以外は誰もいない音楽室で彼女の指先が優しく白い鍵盤と黒い鍵盤に触れてピアノが鳴り響く音を聞きながら、ちょっとだけ背伸びをして※1アンリ・ベルクソンの『物質と記憶』を読んでいると、ふと、彼女は演奏する手を止めてじっと私のほうを見つめ始めた。私が彼女の少しだけ違和感を内包している視線に気付き顔をあげるとゆっくりと私のほうに近づき彼女の柔らかく少しだけ濡れている唇を私のまだ誰も受け入れたことのない唇に重ねて、"愛しています"と、そっと、本当にそっと、誰にも聞こえないように、誰にも悟られないように、静かに私の耳元で囁くとちょっとだけ間を置いて、私の右眼を見つめて曖昧に微笑み彼女はそのままそれ以上何も伝えることなく、扉のほうを振り向いて音楽室から出ていってしまった。

そうして、夏休みに入り一度も彼女とコンタクトを取ることのないまま二学期になり放課後にいつもと同じように音楽室へと脚を運んでみたけれど、鍵がかかっていて入ることが出来なかった。

耳を澄ませてみたがピアノの音だけではなく誰かのいる気配すら感じることも出来なくてその後も何度か行ってみたがやはり同じ様に音楽室の前は静まりかえっていてまるで学校からその空間だけが削除されてしまっているようだった。

高校生活最期の年に彼女はその私立学校の音楽教師を退職し地元へと帰郷すると、お見合いで知り合った地元の名家の男性と結婚することになりましたと一通だけ手紙を送ってきた。優しそうな男性の横でウェディングドレスを着ている彼女の写真付きの絵葉書にそっと柔らかく丸まった文字で、"私はあなたの右眼がとても好きでした"と、添えられていてその写真の中の彼女は本当に優しい笑顔をしていたと思う。

高校を卒業してしまう頃には私と積極的に関わる人間はほとんどいなくなってしまっていたけれど左眼には事件当時から変わらず、眼帯をつけていて左半分の世界は見えないまま捉えられることのないまま制服を着用して過ごす人生のちょっとした休憩時間は過ぎ去ってしまった。

左の眼球は眼孔から取り除かれているので文字通り存在していない。

だから、左の眼孔にはぽっかりと穴が空いていて事件後に鏡と向き合って担当の外科医から提供されることになったポリメタクリル酸メチル樹脂によって覆われた義眼を右手の親指と人差し指で取り除いてしまうと、何処に通じているのか分からない暗闇に汚れてしまった記憶やまだ見ることの叶わない未来がすっぽりと埋められているような気がしていてそうやって周囲の光を呑み込もうとしている真っ暗な空間を覗き込んでいるといつまでも時が経つのも忘れて鏡の前で過ごしてしまい気が付くと、いつからその場所に立っていたのか忘れたまま鏡に映り込んでいる私のいない場所に魅了されてしまうことが何度もあり私はその私と私ではない何かと向き合いながら透過率の高いアクリル製の義眼では埋めることの出来なかった生活を毒性に蝕まれたまま一人きりで過ごすことに慣れきってしまいゆっくりと拭い去ってくれるような静かな時間に少しずつ私の人生の一部を占有されていった。

私はそうやって、十歳の時から少しずつ前へと進み左眼の眼球と一緒に血液に微かに混入していた過ぎ去った記憶を追いやっていたのだと思う。

ほとんどのレイプ被害者は被害体験のことを覚えていないことが多いそうだ。というよりも、その悲惨な体験を記憶から削除してしまいたいのだろうと思う。

中には事件とそれ以前の記憶をごっそり失う女性もいるというし、ほとんどの女性が自身の体験を積極的に人に話すようなことはない。

だから強姦事件は表沙汰にならず、刑事事件として立証されることも少ないという。

忘れたい記憶や見たくない傷口を好き好んで痛めつけるような人間は少ない、当然の話だと思う。

けれど、私は私のヴァギナと左目を失うことになったその体験を克明に記憶しているし、事件から十年以上がたった今でもそれを詳細に人に聞かせて語る事が出来る、話せと言われればその体験をできる限り丁寧に細部まで全ての記憶を伝えるようにして話すだろう。

事件後、母親からの娘の帰宅が遅いという通報を受けて駆けつけた警官に保護されて、警察や医師からその時の体験を話す様に求められると、私は素直に応じ私の脳内で鮮明に再生される映画のようにその時の様子を頭の中で描かれている光景通りに話した。

話を聞きながら涙を流す人や憤る人もいたけれど、彼らがなぜそのようになるのかその時の私には分からずそのまま話を続け最後の話をする頃には大抵の人が耳を塞ぎそれ以上話を続けるのを遮った。

事件から一ヶ月経ったある日、久しぶりに家でゆっくりと母と父と三人で夕食を取った。どうしても父と母に犯された時の記憶を打ち明けてしまいたくて、詳細に彼らに話をした。

最初は話を止めようとしていた父も母も、私からとめどなく溢れてくる言葉に耳を傾けざるを得ず、私の膣に二度目の射精がされた時の話をすると何も言わなくなり、スプーンとフォークをゆっくりと静かにおき私の物語の中へと静かに入り込んでいった。

カメラマンが三回目の射精をして、自身の首筋の頸動脈にレターナイフを突き刺して勢い良く彼の血液が吹き出していく様子を私は覆った掌の隙間から左目でこっそり覗いた。

噴き出してきた血液が左目に入ってきたので汚れた血液を全て掻き出してしまおうとまるで痛みに関する感覚を一時的に消去されていたように右手の薬指と親指を左目に突き刺した時の話をとても真剣な気持ちで伝えながら、"ひだりのおめめをね、ゆっくりね、みぎのおやゆびとひとさしゆびでね、ぐるってとっちゃう時のね、音がね、とてもおかしくてすこしだけきもちのよい音だったから、なんとかもう一度聞いてみようとおうちのなかやまちのなかをさがしているけれど、全然みつからないの、ママ知ってる? こんな音だよ"、と口真似して聞かせるけれど、うまく音に出来ず、悔しそうな顏をする私を見ながら、母は無表情で首を横に振り、右目から涙を流した。

父は何も言わず、テーブルに置いたフォークとスプーンを手にとり、ハンバーグを食べようとするけれど、チャカチャカと空虚な音が響いて牛と豚の肉の塊が細かく千切れていくだけで一口も運ばれないままばらばらに壊されていきぐちゃぐちゃになった肉の塊がデミグラスソースと混じり合っていく様子はまるで白いお皿の上で何かの処刑が行われているようだった。

母と父を繋ぎとめていた鎖のようなものはそうやって私の眼球に関する処刑によって断ち切られていき私の家から視神経が引き裂かれていくときと同じようにして笑顔が消失していってしまった。

事件後、しばらくしてから感情と感覚のコントロールがうまくいかなくなってしまった私に母親が手製の眼帯を作ってくれるようになった。

私の特にお気に入りだった眼帯は四つ葉のクローバーが刺繍され黒染めされたリネン製の眼帯で、その他にも、猫の絵、熊の絵、チューリップの絵、チョウチョの絵と当然ながら塞ぎ込みがちだった私の気分が少しでも明るくなるようにと出来る限り私の好きな絵柄を丁寧に刺繍した柔らかい生地の眼帯でクラスメイトが怖がることのないように、たくさん私にプレゼントしてくれたけれど十一歳の誕生日を私が迎えようとする頃には、母と父は離婚が成立し、母は私たちの傍からいなくなった。

母親が最後にプレゼントしてくれた眼帯には、三つ葉のクローバーが赤く刺繍されていて、今も大切にしまわれたまま母との思い出を封入しているけれど、途切れてしまったままの記憶は再び再生されることのないまま封鎖されている。

十二歳のクリスマスに、私は父親にねだりカメラをプレゼントしてもらった。事件に巻き込んだ人間がプロカメラマンであったことに加え、左目のない私にカメラをプレゼントするのは父としても酷く抵抗があったようだけれど、私の執拗なお願いに根負けをして、leicaのM3という古いフィルムカメラをクリスマスプレゼントとして私に渡してくれた。

その日から毎日私は右目でファインダーを覗き、フィルムに私の視えている世界を切り取る様になり、そうして、私はヴァギナを失って愛という機能を遮断し左目を失って現実という認識を付与したのだということをはっきりと自覚するようになっていった。

愛という抽象的な概念は、今までたくさんの詩人や学者や恋人たちが語ってきた複雑で多様な言葉ではあるけれど、私は私の中にそれが存在していないが故にそれがどういうものなのか明確に知覚出来ている、少なくとも私が認識している、それ、そのものが日々吐き捨てられながらも変化を希求する感情のうねりとよく似た構造を持つ普遍的な概念だと私には断言出来る。

一般に言われるような、眼に見えないもの、ではなく形ある存在として私は、万人が求めうるその概念の存在を捉える事が出来ると思っているし、残酷で醜悪で不定形なその存在は私の右目で覗いたファインダーの向こう側に吐いて棄てるほど存在しているのを知っている。

空虚な私の半身が捉え、認識の歪んだ現実を付与された右目が切り取るフレームには私たちが求めそして吐き捨てている、うねり、そのものがそこら中に落ちている。

故に、なぜ多くの人々がそれを求めているのかを不思議に思うし、多くの人がそんなものを本当は必要としていないことも知っている。

ゴミ捨て場や公衆トイレや裏路地や誰もいない空き地や排水溝や終電の終わった駅のホームや廃墟になってしまったマンションの屋上でそれはよく見かけるけれど、誰もそれを見向きすることはない。

ほとんどの人間がそれを振り返ることすらなく、排気ガスやフライドポテトやカフェラテや冷蔵庫やショッピングモールの中でそれを探そうとする。

そうやって、私がカメラを通じて切り取る世界には少しずつ皆が欲しがる事象が失われた空っぽの空間に蓄積されていく。

そして、現像された写像をみて人々は私の作品を美しいと褒めてくれるのだ。

20歳を過ぎてプロのカメラマンとして生計を立てていけるようになったのは、眼帯をした左眼のないカメラマンというショッキングなルックスもあるのだろう、きっとそのことが私の写真に少しだけ軸のずれた写像を結びつけてくれるのかもしれない。そうやっていくつかのプロカメラマンとして仕事をこなしているうちに、私の写真に映った喫茶店のテラス席に私が撮りたかったはずのものが何一つ映っていないことに気付いて、その瞬間にほんの少しだけ過去の時の記憶が蘇って酷く複雑な気分に溺れてしまいそうになることがある。

銀髪のカメラマンの右眼にはどんな景色が映し出されて切り取られていたのだろうとテラス席の写真の隅っこに偶然写り込んでいたライラックをみてそんなことをふと考えた。

新しい喫茶店のオープンを祝したとある雑誌の取材と撮影が終わり、撮った写真のデータを担当者に渡して、その店の特徴である水出しコーヒーを飲み紅茶のシフォンケーキをつまみながら、次の仕事の打ち合わせの話と軽い世間話をした後に私は御茶ノ水にある総合病院に向かった。

あの事件以来、月に一度定期的に通っている検診を受けるためで、担当の医師とはもう十七年の付き合いになる。今では特に左の眼孔に入っている義眼も、そして、私が自らずたずたに切り裂いてしまった左目の視神経も特にこれといった問題は起きていないけれど、私がただでさえ、右眼のみで生活をして目を酷使しているにも関わらず、カメラマンという職につき右眼を酷使していることを担当の医師が憂慮し、やはり定期的な診断が必要であるということで彼の診断を受け続けている。

カメラマンという職業を選んだ時それとなく別の仕事を選ぶことも提案されたけれど、母親がいなくなってしまった後から私がずっとカメラを持ち歩いていたこともあり仕事の量をある程度制限すること、目の異常を感じたらすぐに診察を受けにきて場合によっては仕事を控えること、そしてこの定期診断を条件にこの職業を選ぶことを許されている。

いつもの通り、受付を済ませ診察の待合室で診断の順番を待つ間、少し時間を持て余してしまったので先にトイレを済ませておこうと病院特有の真っ白で清潔な空間を維持したままのトイレへと向かった。

扉を閉め便座に座り、ふと天井を見上げると1匹の蜘蛛がいることに気付く。

どうやってこんな場所に潜り込んだのかその蜘蛛は身動き一つせず、じっとその場所に居座り続けていてなんだかその光景を写真に撮りたくなったけれど、カメラは待合室に置きっぱなしにしていたことに気づき、紺色のスプリングジャケットのポケットに入っていたスマートフォンで天井を身動きすることもなく私を見張り続けている蜘蛛をカメラアプリを起動して写真におさめた。

そうして、スマートフォンのレンズ越しではなく再び天井を見上げると先程までいた蜘蛛がいなくなりただ真っ白な天井だけが広がっていて次の瞬間に私の意識はホワイトアウトしそのまま病院の真っ白で清潔なトイレの中で気絶していた。

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