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わからないこと ~時間~ その1

時間とは不思議でとらえどころのないものです。

物事は、「いつ」「どこで」生じたかということで表されます。このうち「いつ」というのが時間に相当します。

空間は自由に移動することができます。一方、時間は元に戻ったり、決められた以上に先に進んだりすることはできないもの、と通常は解釈されています。

小学生のとき、ものが一定の速さで動くとき、物体が一定の時間だけ進むとき、その進む距離は「距離=時間×速さ」という公式を習います。

しかし、その時、「時間」は何であるとか、「距離」は何であるとかは、あまり正確には説明されません。直感的な説明でおわるのが一般的です。そこで、まず。「距離」と「時間」が具体的にどのように測られるのかを考えてみようと思います。

「距離」の一般的な単位は「m(メートル)」です。

子午線とは、地球の赤道に直角に交差するように地球の両極を結ぶ曲線のことをいいますが、1mは当初、地球の北極点から赤道までの子午線の距離の1000万分の1とすることで定義されていました。そして、その定義をもとに、1mの基準器となるメートル原器が作られました。地球という人類共通のものの長さを元に定義をしていたのです。

メートル原器は白金でつくられ、その後、メートル原器自体を長さの基準とするように定義の変更がなされています。さらにより正確な短い長さの測定を可能とするため1960年には「メートルはクリプトン86の原子単位2p10と5d5との間の遷移に対応する光の真空下における波長の1650763.73倍に等しい長さにする」という定義に変更されています。クリプトンのという元素からら生じる一定の光の波長を基準にして長さを定義するようになったのです。これにより、長さをより精密に測定することができるようになりました。

1983年には、「1秒間に光が真空中を進む距離の299,792,458分の1を1メートルとする」という定義に改められています。これは、光が真空中を進む速度が一定であるという知見に基づくものですが、すると「1秒」定義が重要になってきます。

秒は、「セシウム133の原子の基底状態の二つの超微細構造準位の間の遷移に対応する放射の周期の9192631770倍の継続時間」と定義されます。セシウムという原子から発せされる光が9,192,631,770回振動する間の時間を1秒と定義しているのです。セシウムという原子の周りには電子がまわっているのですが、ある状態から別の状態へ移動するには一定のエネルギーの出入りが必要です。その際に、上記の光が発せされたり、吸収されたりします。その
光が振動する回数を基準に時間を決定しているわけです。ちなみに、光のもつエネルギーと光が振動する回数には比例関係があります。そういう意味で時間は自然にある微小な一定のエネルギーのまとまりをもとに定義されているといえます。エネルギーと時間には深い関係があります。

さて、長さと時間の定義をみてきましたが、まとめると、一定のエネルギーをもった光が振動する回数を基準に1秒が規定され、その1秒間に光が真空中を進む距離の299,792,458分の1が1メートルになるわけです。もっと端的にいうと、一定のエネルギーをもった光が1回振動するまでの間を物差しにして時間を測り、1回振動するまでに真空中を進んだ距離を物差しにして長さを測っているわけです。特定の物事がおこる「回数」は観測できるので、それをもとに、距離や時間を定義しているわけです。
定義から光速は一定(299,792,458m/s)になりますが、これは、従来の光速に基づかない長さの定義における観測事実から、真空中の光速は一定であることを前提として、このような定義になっているのではと思います。

ある事柄を定義するのに、できる限り「変わらない」ことを基礎とするすることは大切なことです。ある特定の場所にある光源から発する光が1回振動したという事実自体は、変わらないことなので、それを基礎として時間を定義しているわけです。

上記と似た例として、あるものと別のあるものが同じ場所と時間にある(例:衝突した)どいう事実は、観測者により変わりません。観測者によって、場所や時間は異なって観測されることはありますが、「衝突した」という事実は観測者によって変わることはありません。ある人がみると衝突するが、他の人がみると永遠に衝突することがない、ということはないのです。このような「物理的な事実そのものは観測者によって変わらない」ということは、あたりまえのようですが、大切なことです。

また、真空中の光の速さが一定であることも、長さの定義の基礎となっています。真空中で、ある時、ある場所で発した光が四方八方に広がっていくとき、その形は、誰が観測しても球形になるということです。ただ、なぜ光の速度が一定となるように観測されるのか、という構造的な理由や成り立ちがわかっているわけではありません。それは、観測的な事実に由来しています。

光の速さが観測者によらず一定であることから、相対的に異なる速度で運動する観測者から、同一の物理的な事実を観測したときに、その長さや時計の進み方が、観測者によって異なって観測されることがわかります。その点について次に考えてみようと思います。

それにしても、これで時間の計り方は確認できたのですが、それだけでは時間が何ものであるかをわかったことには全くなりません。このような時間という現象の観測を可能とする根本的なフレームワークのようなものが、宇宙そのものの背後にあるのではないでしょうか。ただ、その仕組はよくわかりません。もしかしたら、私達はそのフレームワークの上にいるため、その仕組み自体は、直接に観測できないものであるのかもしれません。マウスカーソルをコンピュータの画面上で動かすことをできても、だからといってマウスカーソルが動く仕組みがわかるというわけではない、もどかしさがあります。それらをどのようにすれば、明らかにすることができるのでしょうか。それが次の世代には、わかるようになっていることを、願っています。





 

 

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