データを見ることから分析は始まる
最近、会社の活動においてデータ分析をビジネスで活用するための解決策を考えている関係で、データ分析のことを考える機会が増えてきました。
データ分析を始めたこともあって、データ分析に関して必要なことを改めて考えてみることにしました。
データ分析において理論は大切です。しかしながら、それ以外にも大切なことはあります。
結局のところ、実生活やビジネスにおいては、データとどのように向き合うのか、データをよく見ること、に尽きる、と考えています。
データ分析において理論を学ぶことは必須です。
データ分析するためにはExcelやスプレッドシートのようか表計算ソフトを使うスキルも必要です。
表計算ソフトの関数を使うためには確率・統計学の理論を理解し、適切な関数を使えるようにすることも大切です。
高度な分析をするときには、数式を理解し、プログラミング言語を使いこなしながら、適切な分析を進めることが必要になります。
そのため、確率や統計の理論を押さえることは必須になります。
しかしながら、確率・統計学を使わなければデータ分析ができないのか、というとそのようなわけでもありません。
実務上、基本的な知識とデータを持っていればデータ分析を進めることができます。
高校生レベルで習う確率や統計の理論をマスターすればビジネスでは対応できることがほとんどです。
では、確率や統計学を学ぶことを優先してきたのか。
それは、理論を学べばデータ分析はできるものである、と思いこんでいたからです。
昔はデータ分析において必要なものはスキルだと思っていました。確率・統計学や機械学習のような分野を身につければデータ分析ができるようになる、私はそのように考えていました。
そして、それが正しいと思っていたこともあり、そのためにさまざまな理論書を買い、読みました。
しかし、実際はスキルを身につけるだけでは十分でないことがわかりました。
それらのスキルを身につけることは全体の中の一部であり、実際はそれ以上に大切なことがあることがわかりました。
データ分析を進めるには理論を学ぶ以前に分析するためのデータが必要になります。
データは用意されていることはなく、必要なデータを自分で集めにいく必要がある、ごく当たり前のことを改めて気づきました。
そして、必要なデータを集めるためには、データを集める対象を見ることが必要だということに改めて気づきました。
データを見るという感覚とはどのようなものか。
データを見るということはありのままの事実をよく捉えること、と考えています。
それはカメラマンが写真を撮影するかの如く、画家がスケッチするかの如く、対象物をよく観察してそれをデータとして残す、という感覚です。
データにおいて見るという行為が必要だという実感はなかったのですが、普段何気なく記録していることそのものがデータを見るということであるとふと気が付きました。
毎日の歩数のデータ、体重や体脂肪率のデータ、毎日どのくらいの金額を使ったのか、今月の給料、今月の引き落としの金額、今月の携帯電話の使用料金、など
私たちはこれらのデータを見ることで何かしらの感情を抱き、データを分析をし、意思決定をしています。
データそのものをアートと呼べるのかはわかりませんが、それでも私たちは日々データという作品を見ています。
その意味でデータを見ることから始まり、データ分析へと進んでいく、と言うことができます。
データのことを考えていく中で、データもまた見るという行為が必要であるというのは興味深い結果でした。
データやデータ分析に関して引き続き考えを深めていきます。