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スキコム編集長のひとりごと:視覚の過剰、意味の過剰

Katsurao Collectiveのスタッフとしてポッドキャストやテキスト記事を発信している「スキコム」に関する、ひとりごとシリーズ。個人の発信であり、所属組織の意見を代表するものではありません。

あらゆる“現場”において、その場所、そのとき、そのコンディションだけの感覚ってあるよね、というお話で盛り上がりました。写真や映像だけでは伝わりきらない、そこに立ったことがある人だけが感じる何か。

目が見えるとどうしても視覚に頼ってしまうし、文字が読めるとどうしても意味に頼ってしまう。けれども、そこにしかない香りや、地面を踏みしめる感覚、湿度や気圧など、少し意識を向ければ、感じられることはたくさんあります。

都市部で暮らす人にとっては、葛尾村の環境はそういう五感を研ぎ澄ます場所になっているのでしょうし、ホワイトキューブに収まらない、視覚に留まらないアート作品を鑑賞することもまた、日々のルーティンで凝り固まった何かを解きほぐしてくれる作用があるのかもしれないなと思いました。

私は葛尾村に住んでいるけれど、東京に行くと街中も電車の中も広告にあふれていて、その「意味が過剰に供給されている」感じに少し疲れを覚えたりします。同じ広告でも、海外の読めない言語であれば、もっと肌感覚に意識が向いてリフレッシュできるというか。

海外に行きたくなりました。観光地をスタンプラリー的に詰め込むんじゃなく、ただなんとなく過ごす海外旅行がしたいな……。


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