"かます"ということばを、言語化してみる。
きっかけは自社ブランドの再定義
GEKIの人格を決定付ける、コピーが欲しい。
「イケてる、いいやつ。」というGEKIの対外的な評判が伝わるもの。
同じような志で挑戦しているひとが自分ゴトとして共感できるもの。
それでいて、GEKIの人格を宿しているもの。
代表、作左部 力からの相談。
「さて、どうしようか。」
このタイミングで本腰を入れて刷新するということは、
今後のGEKIを形成していくための土台が欲しいということ。
それも、ちょっとやそっとのことでは揺るがないようなもの。
少しずつ見え始めていたGEKIの輪郭をくっきりさせるのと同時に、
パートナー企業の方と会話するときにも合言葉のように機能するコピー。
「あれ、これ難しくないか?」
シンプルすぎて平凡。
尖り過ぎて生意気。
大き過ぎてミスマッチ。
優等生過ぎて引っかかりがない。
書いては消して、また書いては消す。
なにを書いてもしっくりこないという
コピーライターなら誰もが陥ったことのあるループ。
そんなときに、ふと思い出したのが
日常的にはあまり使わないけど引き出しの奥底に眠っていた
"かます"ということば。
やってやろうぜという攻めのニュアンスを含んでいるが、
一石を投じる、一泡吹かせる、のような言葉にはある小生意気さはない。
文語調ではなく少しだけ崩したこのことばは、
「決して優等生ではないけど、どこかイケていていい奴ら」
を彷彿とさせてくれそうな予感もする。
そして、同じ境遇にいるひと同士がお互いを
鼓舞しあう合言葉としても機能していきそうだった。
いっちょ、かましてやろうぜ。という具合に。
"かます"という言葉は、
ひたむきに挑むひとが自分自身を奮い立たせながらも
下克上的な状況を楽しむためのカンフル剤なんだなと。
改めて言語化してみると、ニュアンスで使われていたこのことばは、
実は絶妙なバランス感覚を備えていたことに気がついた。
さぁ、かましていこう。
陽が一向に照らしてくれないなら、
代わりに月を見上げればいい。
いっそ星を目指してみたっていい。
土砂降りの雨が降りやまないなら、
雨粒と踊り明かしてみればいい。
向かい風が強いなら、
思い切って逆走してみればいい。
憂いは、優しさに変えて。
劣勢を、力に変えて。
今日も、明日も、これからも。
ボクらはそうやって、生きていく。
さぁ、かましていこう。