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考えるヒント10 豪商の金融史 廣岡家文書から解き明かす金融イノベーション 

 「豪商の金融史 廣岡家文書から解き明かす金融イノベーション」を読みました。廣岡家といってもピンとこないかもしれないですが、7年前の朝ドラ「あさが来た」のモデルの廣岡家といえば、朝ドラファンであれば、少しはピンとくるのではないでしょうか。自分はあの朝ドラ好きでした。

 で、なぜ、廣岡家なのか、廣岡家の拠点である大阪も太平洋戦争の空襲でかなりの文書が焼かれてしまったそうですが、一部の文書等を奈良に疎開させ、それが廣岡家文書として寄贈されることになり、廣岡家の江戸・明治の商環境の解明が進んできたと、歴史のロマンですよね。

 さて、金融イノベーションという点では、江戸時代では、「コメ」を金融商品として扱ったことがイノベーションと言えそうです。大名は、それぞれの領地から収穫したコメを大阪堂島の蔵屋敷に搬入します。一方で、大名は、参勤交代の費用など「おカネ」も必要なので、「コメ」を「おカネ」に変換するか、17世紀後半から18世紀初めくらいまでは、米切手という1枚につき米10石を交換する証券を発行していましたが、相対取引のため価格決めが恣意的に決まってしまうという点で、米商人が生み出したのが名目(指数)、現物のやり取りをせず、指数だけを売買する世界最初と呼ばれる先物取引がスタートしました。

 廣岡家も江戸時代には米仲買人として米商いを手掛けながら、蔵元として、大名との関係を築き、大名に対して米切手を用いた資金繰りをサポートする大名貸しにも進出します、ただ、大名は平気で借金を踏み倒すこともあったらしく、ほかの商人との合同によるシンジゲートローン、さらには大名の財政状態を把握しながら、必要な融資を実行するなどコンサルっぽいこともしていたようです。

 廣岡家は、江戸時代から現在まで続いていますが、そのなかで、激震が何度かあったようで、まずは明治維新ですね、朝ドラでも新選組が登場するシーンがありましたが、これまでの大名貸しから維新政府との関係構築、加島銀行・大同生命の設立が大きなターニングポイントだったようです。で、次が、昭和恐慌、朝ドラでは、新次郎さんがお亡くなりになったところで終わってしまいましたが、本当の激震は昭和恐慌だったようです。昭和恐慌は、我々の想像もつかないくらいヒドイ状況だったようで、加島銀行も融資先が焦げ付き、破綻、比較的傷が浅かった大同生命が生き残り今にいたると。というわけで、 まあ、事実は小説よりも奇なりというのでしょうか、廣岡家の歴史は朝ドラ以上に波乱に満ちていたようです。

 


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