“本物のプロコーチ”とは
noteやコーチの赤本の中でもそうですが、私はよく“本物のプロコーチ”という言葉を使います。
“本物”の定義は人によりさまざまですが、私が表現する“本物のプロコーチ”という言葉は、私自身が理想とするプロコーチとしての状態・目指すプロコーチの姿を、一言で表現するために使っている『名詞』です。
noteやコーチの赤本を読み進めていただく上で、必要な方に、より的確に伝わるように、私の言う“本物のプロコーチ”について説明させていただきます。
“本物のプロコーチ”の定義
私の考える“本物のプロコーチ”の定義はふたつあります。
ひとつは、ただ稼ぐのではなく、幸せに稼いでいるコーチ。
そしてふたつ目は、いま幸せに稼ぎながらも、自分はさらに幸せになれることを知り、固定観念や価値観に縛られず、都度自分のさらに幸せな状態を自らに問いかけ、それを目指しているコーチです。
私自身も常にそれを目指していますし、プロコーチを目指すみなさんにもそうなってほしいと考えています。
いまの「幸せ」は「今の価値観」からできている
「固定観念、価値観に縛られた幸せ」とはどういうものでしょうか。
ひとつの例を、私自身の経験から紹介したいと思います。
私は昔、ワーカホリックに近い状態でした。
仕事というものは忙しくあるべきだ、汗水たらして奔走し、努力し、倒れそうなくらいまで働くことが美学だと当たり前のように思っていました。
それができている自分にOKをだし、安心をし、休まず働く自分にある種酔ってもいました。ときに疲労などから、それができていない自分を感じたときは自分に強いダメだしをし、ときに無価値の存在だと自分を責めました。
また、自分以外の他人に、そうでない人を見ると攻撃的、時には蔑む心理をもって否定、拒絶もしました(この攻撃的心理はその当時の私を奮い立たせる力強い原動力にもなっていました)。我々日本人は程度の差はあれ、この価値観を持っている人は少なくないと思います。戦後復興の高度成長期以降の刷り込まれた価値観、はたまたそれ以前からの民族観なのかもしれません。
もしその当時、人から「今、君は幸せかい?」と尋ねられれば、きっと私は「はい! 毎日充実して幸せです!」と心から答えていたでしょう。
このときの私の幸せは、先に書いた働き方の美学、つまり固定観念(当時の価値観)の檻の中での幸せであり、無意識に制限をかけた上での幸せでした。この幸せな状態は間違っているわけでも、もちろん不幸でもありません。その当時は間違いなく幸せを感じていました。
ただ、「こうあるべきだ」などの固定観念、価値観の上でのその頃の私の幸せには、その頃の私が知らない、さらに幸せになるノビシロがまだたくさんあったということです。
人は「自分の価値観」を実現するために行動する
当時、私にとっての仕事とは、「汗水たらして」「忙しくあるべき」「苦しさを伴うもの」だという強い固定観念、つまり価値観がありました。
「君は幸せかい?」に対して、「いいえ」と答えることは、自分の価値観を自ら否定し、自分のこれまでの頑張りが報われないことを意味します。それでは困るのです。
「やってきたことは正しかった、報われた」=「私は幸せだ」という思いを得るために、その価値観が、つらく苦しいものであっても、実現を目指します。そうでない人を見て否定したくなるのは、その人に私の価値観を否定されていると感じ対抗しているから、さらに「自分は幸せだ」と自分自身を強く納得させるためなのです。
このように、多くの人は「自分の価値観(つまり無意識に制限をかけた上での幸せ)の中で行動している」ということを、まずは知ってほしいと思います。そしてそれはすべて無意識なのです。
幸せの定義は人それぞれで違い、時と共に変化する
いま振り返れば、あの頃の私の目的は、「毎日忙しく一生懸命バリバリ働くという自分の価値観、美学を遂行すること」であって、その行動の中で得られるお客さまの歓ぶ顔や社会貢献という結果は、その目的、私の価値観を正しいものだと納得証明するための証拠として扱い、無意識にしんどさを是とするために折り合いをつけていたのです。
つまり、自分の幸せの最大量をディスカウント(値引き)していたんですね。あの頃マックスと心底感じていた私の幸せ度を、いまの私が10点満点でスケーリングすると3点くらいでしょうか。
コーチングは、その時々での私の立ち位置を認識させてくれ、固定観念を気づかせてくれ、さらに幸せな状態、時に違う幸せの状態があることを教えてくれます。
今は、仕事は「忙しくあるべき」「苦しさを伴うもの」ではなく、私がやりたいこと、私がお役に立ちたい人から求められることをし、その方々のお役に立ち、それが社会貢献にもつながり、そして家族との時間、自分の時間が充分にとれ、物心共に必要な分だけ私の家族が満たされている状態を目指しています。
そしてそこを目指し、自身変化し続けることで、さらにこの先に(まだ見えていない)今とは違った、なりたいと思うさらなる幸せが待っていることも知っています。
人は行動すると、行動する前の自分から変化します。これは変化という「成長」です。成長する前に自分が思っていた「幸せの状態」と、成長した自分が思う「幸せの状態」は変化して然りです。
このように、幸せの定義は人それぞれ違い、どれも正解で、そして時と共に変化していくことを知ってほしいと思います。
『コーチの幸せ』は大きなリソース
あらためて、コーチングとは、「クライアントの可能性をクライアント以上に信じ、クライアントが自身に制限をかけずに自発的に前進成長し続けることを支援する」ものです。
つまりクライアントに、「なりたい自分になれる」「まだまだ成長、前進できる」「まださらに幸せな状態がある」と制限をかけず、自分自身の可能性を感じ、そうなりたいと自ら行動を起こしてもらうことです。
また、コーチは教え与える立場ではありません。コーチとクライアントはどこまでも“対等”です。
この対等というのは、コーチが、クライアントと対等だと思って寄り添うことは当然のことですが、加えてクライアントが自分とコーチは対等だと思えていることが大切です。
クライアントがコーチに抱く対等感は、クライアントが自発的にコーチの良いと思うところは真似てみようと思える関係でもあります。
クライアントがコーチのことを凄い人、雲の上の人だと崇めている、つまり対等感を感じていないと、自分をコーチと似た近い存在として捉えられず、クライアントはコーチの真似をしようという気持ちになりにくい、つまり「自分にはできっこない」「あの人だからできるんだ」と、意欲が湧かないのです。
人は、“教えられたこと”を3ヵ月後に思い出せる人は10%しかおらず、“教えられ、見本を見せられ、体験(行動)したこと”は65%の人が思い出せるといいます。“見本を見、体験する”とは、つまり真似てみるということです。
クライアントと対等であることを定義しているコーチングは、目の前のコーチの姿、そばにいるコーチの在り方もクライアントへの貢献のために役立てられる大きなリソースなのです。
さらに幸せになりたいクライアントの見本となるのは、いま幸せで、さらなる幸せを目指すべく、エネルギー高く行動、変化している様、そして課題と向き合うコーチの存在です。その変化にはスピードを求められません。ゆっくりでも構いません。自分のペースで目指していれば良いのです。
いつもそばで、“幸せそうにやって見せている存在”であることが大切なのです。
「コーチの赤本」からひとつの則を記します。
〈第123則〉
クライアントのために、コーチ自身幸せであれ。
さらに幸せになれ。
いつもクライアントに伝えているように、さらに上の幸せがあることを、自らに伝え続けよ。
変化するのは幸せだけではない。 “稼ぐ”も変化する。
“幸せに稼ぐ”は、正確には“幸せに自分が望む分だけ稼ぐ”ということです。
幸せのカタチが変化するように、自分が望む“稼ぐ量”も変化します。
今の貨幣経済社会においては、自分の“幸せの状態”とお金は密接に関係しています。制限をかけない幸せな状態のライフスタイルを具体的にイメージすれば、そのライフスタイルを実現するために必要なお金の量が見えてきます。
制限をはずした幸せが見つかったら、それが叶っている自分の生活を具体的に想像して、必要な収入を明確にしてください。そして、幸せに、いま思うあなたが稼ぎたい分だけ稼いでください。
今のあなたが幸せを感じる分だけ稼いでください。
【参考コラム】プロコーチは、コーチ業だけで実際いくら稼ぐことができるのか?
私の経験上、いまの自分を客観視し、いまの自分の無意識の固定観念や制限などをひとつでも多く意識下におき、自分のさらに幸せな状態を知り、それを目指し続けると自然に稼いでいる自分になります。
「プロコーチになることは、幸せになること」
「プロコーチであることは、幸せであること」
幸せであること、あり続けることが我々プロコーチの仕事なのです。
私はそんな“本物のプロコーチ”がひとりでも多く増え、彼ら本物のプロコーチに関わる人たちに幸福感が伝播していくことを願っています。
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