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個展を終えて
実は、内外観の写真以外、会期中の写真を能動的に撮ったのはたった2枚しか無く、来てくださった人がどなただったのか、は僕にしては珍しく丁寧に記録していたエクセルシートと記憶だけが頼りとなっています。
一週間経った今、ぼちぼちと忘却の彼方に消えていかないうちに、個展に関する雑感を。
作品を見た方からいろんな感想をいただいたのですが、最も多かったのが「枯れてるはずなのに生き生きしてる」というもの。
僕は自分で枯れゆく彼らを見ていたので、それをあまりに当たり前と捉えていただのですが、写真から受ける印象の第一位がそれ、というのは狙った以上の刺さり具合で、実はちょっと動揺したくらいです。
自分が見えているものが他人にどう見えているかわからない、という当たり前の話に、まさか自分が見ているのとは違う形であるにも関わらず、同じ結論に至られる方が多くて、なんだか不思議な気持ちでした。
ご年配の方には「枯れゆく花の瑞々しさから、自分も元気をもらえた」とおっしゃていただいたり、またある方には「枯花という表題なのでそういうイメージ前提で見てたけど、全然枯れてない」といった感想をいただけたりと、ご自身に引きつけられての感想や花そのものへの評価が改まったような感想もいただけました。
ある方は「花のもつジェンダー規範的な側面に縛られることが嫌いでそれ故に「花が好き」という感情を持ったことがなかったけど、作品を見て「花が好き」て初めて言えた」(主旨意訳)とおっしゃっていただけて、それにも驚きました。
自分の作品が発してるメッセージが僕の考えている以上にリーチするのは、花そのものがもつ生命としての力強さだな、と改めて感じます。
次に多かったものは「写真なの?」
意外に思われるかもですが、これは嬉しかったです。
作品を大型化して自分が初めて見たときに僕自身がうまく認知できなかったこともあって「見えてるものが何かうまく認知できない」ということは「興味のある人はじっくり見る」になるだろうな、と思いました。
実際、展示を見に来てくださった方の大半が、時間の許す限りじっくりと作品を見てくださったのは嬉しかったですし「絵画なのか写真なのかよくわからない」という感想がどこから導かれるのか、というのは大変興味深かったです。
ほぼ全員が長辺1000mmの写真作品見たことないでしょうし、あったとしてもこれだけ至近での、それも普段は小さくて見えにくい花をまじまじ見る体験をするとこなかったでしょうから。
花弁の表面の質感や肉厚、葉脈のひと筋ひと筋、トライコームの一本一本までが直視できる目の前の「何か」が人によっては大型の絵画と誤認させるなんらかのバグを発生させたのでしょうか。
別々の日にやってきた別々の友人が、本当にまじまじと見入っては、一枚一枚アップで写真を撮ってたのは印象的でした。
「これが好き」ていう話はこういう展示ではつきものですが、面白いくらい好みが綺麗に分かれました。
強いて言えば男性と女性とでわずかに好きに偏りが見られましたが(お子様は満遍なく分かれました。面白い)、それでも満遍なく好きといってもらえて、作家としては満遍なくそれぞれの作品が気に入ってもらえるのは嬉しいことですし、撮影させてもらった花たちにわずかながらお返しができたのかな、と勝手なこと(本当に勝手)を思ったりもしています。
余談ですが、引取先が決まった本作品1点、小作品3点で被りは1枚もありませんしたし、ふんわりと購入検討をいただいている作品含めても全く被りがないのがなんとも不思議です。
それぞれの作品がお手元に伺うまでもう少々お待ちくださいませ。
個展の会期末にもそのように改めて思うようになったのですが、自分の作品は「時間の不可逆性」ということをテーマにしてるが故に、この「枯花」という作品群が「花の命」をもって制作されていることに、今は若干の戸惑いがあります。
僕たちの命の有限性と人生の不可逆性を、別の形で表現するために「花の枯れゆく様」を翻訳手段とした訳で「お前は花の命を踏み台にしているのでは?」という自身への問いに未だうまく答えられません。
「なぜお前は猫を飼うのに、豚を食うのか」という問いと近似の難しさを感じるのですが、そのどちらにも僕にはうまく答えが出せません。
ただ、このうまく答えが出ない「問い」と僕自身の技術云々以上に「花そのものの持つ説得力」とに助けられる作品群だな、とも思ったりもします。
確かに僕はある目的を持って枯れゆく花を写真に収めた訳ですが、ともすれば撮らされたような気持ちにもなり、すでにどちらが主体なのか、ということが自分の中でも曖昧になってきています。
このシリーズが今後も続けられるのか、今はちょっとわかりませんが、ただ花を撮ることはやめられそうにもないですし、であるなら枯れゆく花を撮ることもまた続けるのだと思います。
最後に、ご来場いただけました皆さんに、改めての深謝を。
様々な事情でお越しいただくのが困難であった皆様には、またのご来場を願って。
逢坂憲吾個展「枯花」 2020年2月21日〜3月1日
JamPhotogalleryにて