[悪気のない日記]2020/8/16
まずいな。やはり僕は三日坊主だった。三日続いたはずの日記が、一日途切れて、またここで自信なさげに再開されている。何かを継続していくことは、本当に困難だと思う。すごく難しい。本当に、ややこしいし、骨が折れる。いつか僕は、「目を覚ます」ということすら継続できなくなるのかもしれない。あ、これはみんなに訪れる瞬間か笑
お酒(ジン・バック)を飲みながら、僕は陶淵明の「飲酒」という詩を久しぶりに読んだ。高校生の頃に読んだ詩の中で、最も印象に残った何遍かの詩の中に入る。その当時は、今ほどお酒が簡単には手に入らなかったので、飲酒できるのは例えば合宿の日、みたいな非日常の中だった。
「飲酒」 陶淵明
結廬在人境 庵を結んで人境に在り
而無車馬喧 而も車馬の喧し無し
問君何能爾 君に問ふ何ぞ能く爾ると
心遠地自偏 心遠ければ地自づから偏なり
採菊東籬下 菊を採る東籬の下
悠然見南山 悠然として南山を見る
山氣日夕佳 山気 日夕に佳く
飛鳥相與還 飛鳥 相与に還る
此中有眞意 此の中 真意有り
欲辨已忘言 弁ぜんと欲すれども已に言を忘る
僕なりの解釈を含めた現代語訳を一応、載せておこうと思う。ネットに挙がっているいくつかの現代語訳は、いまいち、ピンとこないものも多い。(この訳もそういう訳の一つになりかねないことは自覚してます笑)
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飲酒
ちょっとした仮設住宅を建てて、人騒がしい場所に住んでいる。
それでも、この場所に街の喧騒は届かない。
僕は、どうしても君に尋ねないわけにはいかない。「どうしてここはこんなに静かなんですか?こんなふうであることができるのですか?」
その人は、「心が遠くにあるんだ。だから、物理的にも距離が離れているのと同じになるんだ」と言って、続ける。
東の柵の元に咲く菊を採りに行って、ついでに南の山をのんびりと眺めてみる。
ほら、山は昼も夕も美しい。
飛び回る鳥が、仲良く家に帰っていくよ。
この景色の中に「本当に大切なもの」があるんだ。それが私には分かる。
でもね、そのことを言葉にしようとしてみたんだけど、どうも言葉を忘れてしまってさ笑
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以上、「飲酒」の現代語訳だ。この詩の原風景みたいなものを、僕は小学生の頃、アモス・ダラゴンシリーズのエーテルに関する話で読んだと思う。エーテルを探して歩く旅人が、最後に夕日の沈む風景の中に、それを見つけるのだ。
僕は今、少し酔っている。いろんな意味で酔っている。故に、ある種の感動を抱えてはいるのだが、それを表現できるほどの言葉が見つからないな笑
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