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書く、書く、近々

なかなか筆が進まなかったのは、気持ちが進まなかったからだ。





2020年、言葉の企画に参加した。

またとないチャンスかもしれない。

幸にも不幸にも世の中が変わっていく
その波に紛れて、自分の働き方も変わった。

この変化の中で
"今ならこのワラにすがれる"
そう思い、すぐに飛び込んでみた。

6年間、広告に携わるために積み重ねてきた。
いい上司がいたこともある。
最高の仲間がいたこともある。
無理して師匠と呼んでみた先輩もいる。

ただ、何にすがろうとしても不安が強かった。

自分は弱いことを知っていたので、
強くなることを教えてもらおうと言う割と気軽な気持ちで切り込んだ世界だった。

かなり恵まれた6年間というわけではなく
正直言うと"思ってたのと違った"が、かなり多い期間だったのだ。

結局、自分なりに、気づいたり、考えたり、頭を下げたり、
時には人の領域を越えるような反抗・抵抗をしながら、グラつきながらもなんとか上にあげている6年だった。

グラつくことになれていないので、不安になる。

不安を払拭したかった。
自身が欲しかった。
誰かにもっと、安心したかった。
もちろん他の理由も想いもあった。

だから、それを見つけたくて参加した。



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クラゲのようにたゆたう気持ち。

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ここまでは整理であり、
ここからはかけなかったことについて




実を言うと
"記事を書く企画"に参加してから
noteに書くことに対して少し、いや結構色々考えた。

自分が書くnoteは基本的に"想いの吐露"に近いと思っていて、
誰に向けたものかと言うと、自分に向けたものだと気づいた。

講義を受けたあと
もっと多くの人に見て欲しい、見つけてほしいと思った。

ただ改めて
情報を整理したり、
読みやすさを意識したり、
自分ではない誰かのために書こうとすると
どこかまだ自分らしくない気がして、なかなか難しかった。

誰かのためになることや、共感を意図してつくることに
まだなれていないのだなと、今となっては改めて感じる。
※仕事ではめちゃくちゃ考えるのに、何故なんだろう…。


書くことを止めて、ずっと考えていた。
いることいらないこと、たくさん考えた。

考えすぎてちょっと辛いかもなと思った日もたくさん繰り返し、
そんな日はNetflixとYouTubeに逃げた。

でも不意に確認する中で触れる言葉に救われた。

終わりじゃなくて、約束にして待ってくれている感じに
少しずつ溶けていく自分の中の小難しい想い。

徐々に、徐々に、救われていたのだと思う。
そして気づいたら12月11日だ。

気づくとか、気づかないとかじゃない。
待っていてくれる人に、会いにいくべきだと思った。心で。

そういう気持ちがふつふつ沸き
ついつい、また書く気になってしまった。

僕は人の心を動かす人になりたくて、あの頃から引き続き今を生きている。
今、動かされている。

そしてこの記事を書いている。

なんてこった。
気づいたらまた、想いの吐露になってしまった。

でも、また書くことができた。

熱意をぶつけてくれる人ってかっこいいな。
俺も、もっとそうなりたい。


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これはただ、載っけただけ。

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引き続き、自分にとってちょうど良いリズムで書いていこうと思う。

その中で誰かのための文章も、自分の気持ちの吐露も、上手くなれるといいな。




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