「信念」と「言葉」
いろんな人に「そんなんやってなにになるん」とか「楽しいだけじゃやってけないんですよ、けんさん」ってずっと言われてきたんやけど、「そんなもんやってみなわからんやん」とずっと思っている。
「まわりの人が楽しそうにしてて自分も楽しかったらそれでええやん」くらいの感じで生きてる。
家なし生活をはじめてもうすぐ1年が経つ。
本当に自分のやりたいようにしかやってないのに1年経つからなんでもいけそうな気がしていて、歳をとってようが、家がなかろうが、お金がなかろうが、自分の「信念」を曲げなくても意外になんとかなるものだと実感している。
こう書くと自分の力だけでやってるみたいに思うかもしれないが、まったくそんなことはない。めちゃくちゃ助けてもらっている。
いままで僕の「助けて」を完全スルーだった人たちから、適切な距離で見守り発破をかけてくれる人たちに付き合う人を変えた。それだけだ。
しれっと助けてくれるし、こちらにも助けさせてくれる。
ラッキーだし、感謝しかない。
「信念」って「わがまま」とか「頑固」とかそういうのではなく、無理せず自分のままで居られるための発信だと最近気づいた。
それができる人って意外と少ない。もっと褒めよう。
みんなわがまま抑えたり、がんばりすぎるから、「信念」の人と比べてひがんでしまう。比べるものでもなかろうに…。
もちろん瞬間瞬間でどうしようもないときはあって、そこでは乗り越えるためにがんばらないといけないんだけれど、「イヤイヤやる」というよりかは「仕方ねぇなぁ」と腕まくりする感じ。
そのスタンスだと意外と乗り越えられることに気がついた。
そんな感じでそれなりに楽しくしてたら、行く先々で続々「会」が発足するというわけわからんことになっている。
現在週1でJUSO Coworkingの店番と娘の日があり、月1で姫路「#面と愛想会 」、そこに今度は広島で「#ほじゃけんの会 」が発足し隔月開催(笑)。
「楽しいだけじゃやってけないんですよ、けんさん」って言葉が霧のように消えていく。完全になることなんてないけど、すこしずつ自分の「信念」に近づけているような気がする。
発する「言葉」がいちいち自分に響いて考えさせられる人が居る。
もうただ単に僕が惚れてるだけじゃないかとも思って、それはなんでなんやろってよくよく考えてみたら、その人の「言葉」にその人の「信念」が宿っていることに気がついた。
その人はそれが足枷みたいにもなっているみたいで、「自分でもやめりゃいいのにって思う」って言ってるけど、「信念」は無理せず自分のままで居られるための発信。それでいいやんって思う。
あとたぶん自分は「信念」を失いかけた人だから、「信念」をきちんと「言葉」にできる人に惹かれるんだと思う。すごく力をもらっている。
一昨日ひさびさにコーデュロイのカーゴパンツをストックから引っ張り出して穿いてみたら、なかなかいい感じだった。
春が来ますね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?