私と乙武氏
まず私
2012年、私はアメリカの大学院での博士課程を終え、帰国した。アメリカではHugh Herrという義足使用当事者にしてMIT教授の指導の下、ロボット義足の開発チームにいた。このプロジェクトは研究テーマはもちろんのこと、Hughがロボット義足を使って歩くという見た目のインパクトや彼のスター性から、多くの人たちの注目を集めた。私はアカデミックな研究だけでなく、社会実装にも興味を持つようになり、Hugh Herrのような大きな発信力を伴う研究活動には、私の現在の活動に多大な影響を受けている。
無謀な野望
2011年、乙武氏の始球式を見たとき、多くの人が東日本大震災からの復興の兆しに涙を流したに違いない。私も心から喜んだのだが、一方で他の人とは全く違う感想も持ってしまった。
義足があれば歩けるんじゃない?
マウンドに向かう乙武氏は車椅子ではなく、自分の足で歩いた。その足は短いが確実に義足を履くための長さと残存機能があると確信した。
出会い
私が初めて乙武氏にコンタクトしたのは、2013年の情報処理学会のコラムを執筆しているときだった。そのときちょうどSNSでだるま先生に関しての発言が炎上しているときだった。このコラムを本人にメッセンジャーで許可を得ようと連絡をしたのが初めての接点だった。
https://www.ipsj.or.jp/magazine/9faeag000000pfzm-att/IPSJ-MGN540702.pdf
その後、2016年乙武氏との対談に声をかけていただき、面会が実現した。その時の話題が義足プロジェクトにつながったと思うと感慨深い。人生は偶発的頻発するきっかけの半意図的な取捨選択だ。私は乙武義足プロジェクトをどうしても実現させたかった。
義足の研究は、体に似せた人工物と再現性が極めて少ないが圧倒的冗長性と適応性を有する人間とのインタラクションにおもしろさを感じるが、一方ですべての人が興味を持ってくれるような話題の汎用性は小さい。日本にもHugh Herrのようなスターがいたら多くの方々の目を惹くことができるのではと思っていたところにこの始球式を目にしたのだ。何より、電動車椅子で移動する乙武氏のイメージが強烈に根付いている日本において、義足でスタスタ歩く彼の姿は破壊的なコンテンツになる。2011年、私はそんな野望を密かに企んでいた。
そんな思いから、2016年の対談では義足プロジェクトに関して本人の感触を得られればと挑み、そして非常に前向きな反応を見ることができた。その直後、例のスキャンダルが発覚。だるまと私の野望は一旦地に落ちた。
ころんだだるまさんが起き上がった
初めに言っておくと私は不倫に関しては全く正当化する気はない。でもそれは当事者以外の人がとやかくいうことではないと思うので、ここでは全く触れる必要はない。
とはいえ、乙武氏は世間から孤立した。そんな中、ロボット義足のプロジェクトで乙武氏を歩かせる構想を実現する算段だけがたってしまった。こんな状況で本人に声をかけるべきか、普通なら少し悩むところなのだろうが不思議と全く悩まなかった。その時の世論に争う面倒くささに勝る強烈なおもしろさが、私にはもう始まる前からわかっていた。やれば絶対に乙武氏への世間の逆風を一掃し、義足業界の技術革新から技術の背景にある理念の訴求も一気通貫にできる一大プロジェクトになる。そんなコンテンツの強さを感じた。そして、連絡をとり、本人の了承を得てプロジェクトが開始された。2017年のことである。
プロジェクトの成り立ちや進捗などはすでに乙武氏が出版した本や多数のメディアに掲載された記事に書かれているので、ここでは私個人が感じた個人的思考実験や感想を書いてみることにした。
五体満足の傲慢
プロジェクト当初、すでに私は義足アスリートのスポーツ用義足の開発をしていた。それは足がない人に走るための足を取り付ける、つまり切断者を物理的に健常者に近づける行為だ。これらの経緯があったからか、知らず知らずのうちに乙武氏に足をつけて歩かせることが、乙武氏にとっても嬉しいことに違いないと思ってしまっていた。この考えは半分正解で、半分は間違っていた。乙武氏は歩くこと自体にはほぼ興味がなく、歩くことによって得られる共感や同じ境遇にいて歩きたいと思っている方へ希望を与えることに興味を持っていた。私自身、乙武氏がもう少し歩くことへの欲求があると思っていた。一方で乙武氏が歩くことによって起こる社会変革へのビジョンは共有できていたのではと思う。
乙武氏は四肢欠損と呼ばれる障害のある体で40年以上生きてきた。周りからは健常者のように手足がなくて不幸に違いない、足があると幸せになるに違いないという一方的な、今となっては傲慢とさえ感じてしまう価値観の押し付けを当たり前のように受けてきたに違いない。それを飲み込んだ上で、今回のプロジェクトのビジョンに乗ってくれたのだ。その狡猾さには本当におそれいった。
私的身体完全性の崩壊
私の研究のテーマの中に身体完全性という言葉がある。これに関する病気で身体完全同一性障害というものがある。これは、自分の身体に異常な違和感を感じてしまい、切り落としたい欲求が生じ、中には実際に切断してしまう人もいるという。我々は四肢を当たり前のように自分の体の一部と信じ、日常を違和感なく過ごしているが、脳神経系から身体に至るまでのネットワークが少しでも乱れると身体をうまく扱うことができず、あたかも自分の手足ではない感覚に陥ってしまうようだ。これは体に合わない義肢を使い、あまりにも不便だから使用をやめてしまうことに類似した状態なのではないか。
私は、身体に適合し、かつ生活する上で合理的な技術であれば、人はそのオプションを選択し、さらに健常者という1つの強烈なスタンダード(と思われているもの)が存在する故に、いかなる人でもそこへ近づきたいという欲求は少なからず持っているものだと信じていた。そして乙武氏は私のこの仮説を崩壊させたといっていいほど、いわゆる健常者への執着を1mmも持っていなかった。自身の現状で満足してしまっていたのだ。
身体完全性とは元来、侵害してはならない人の権利という意味合いで使われることが多い。その境界はこれまでも曖昧であると感じていたが、乙武氏と付き合うことによって、その境界を定義することの一種の空虚さをも感じた。
虚像実像
私がこれまで出会ってきた障害者たちは後天的に意図に反して身体の一部を失った、あるいは先天性でも普通の学校に通い、健常者たちとの違いを目の当たりにし、ときには傷つきながら生きてきた。そのためか何気なく接しているときにでも時折心の闇に触れるときがある。それが、乙武氏と話すときにはそれが全く感じられなかった。当初は初対面での対談なので、表向きの乙武氏としか話をしていないからだと思っていた。いつかその裏を見てやろうと思っていたが、今年で出会ってから7年経つがいまだにその闇を感じたことがない。いや、おそらく闇はすでに表に現れていて、隠された闇というのが存在していないというべきか。彼は驚くべきことに、本当に自分のことを"障害者"と思っていない。この思考がどうして生まれたのかという新たな興味が生まれた。
それは昔読んだ五体不満足の内容を答え合わせするような作業に近かった。五体不満足といえば、障害があってもめげることなく、明るく楽しく生きている乙武氏の半生を描いたものだ。私は、こんな人がいるわけない、あくまで本で描かれた乙武氏は彼の半生のいいところだけを切り出した表向きの乙武氏なはずだと斜に構えていた。それが、五体不満足の編集者小沢さん、マネージャーの北村さん、乙武氏のお母様、そして小学校の同級生方と話をさせていただくうちに、本当に文章に書かれていた人物は目の前にいるのだと驚きを感じた。デカルトのようにすべての情報を疑うことが当然と思っていた自分にとってそれは本当に信じられない話だ。乙武氏は間違いなく負けん気が強くてクラスメイトと喧嘩していたし、バレンタインデーでは誰よりもチョコをもらっていたのだ。本で描かれていた実像は、その後メディアや世間のフィルタに晒され、聖人君子乙武という虚像を生み出してしまったに過ぎなかった。
乙武氏が生まれ育った日本は五体不満足という大ベストセラーを背景に独自の障害者像を持ち始め、障害者やLGBTQなどのような社会的弱者に対する議論が深まったことを考えると、乙武氏は多様性という観点で日本を一歩も二歩も前に進めたと言える。彼を育て上げた乙武母、成長過程で関わった先生方や友人たちに敬意を表したい。
最終章という序章
私はおそらく一生乙武氏には興味が尽きないに違いない。この男、底が知れない。しかし、いつかはプロジェクトには終わりがくる。それが、来月5月16日新国立競技場での100m踏破チャレンジだ。プロジェクト開始当初は、パラリンピックの聖火ランナーにという一つの目標があったわけだが、2020年21年と世間がオリパラどころの雰囲気ではない状態になり、目標があやふやなままプロジェクトが進んでしまった。これに関してはリーダーとして本当に不甲斐ない。そんな中、乙武氏のマネージャー北村氏が新国立競技場での話を進めていた。乙武氏はそこで100mの歩行にチャレンジする。
正直、100mは非常にチャレンジングだ。練習で何回かは完歩したことはある距離だが、一発勝負でたくさんの方々が見守るプレッシャーの中でチャレンジすることは本当に勇気がいることだ。そして、エンジニアやロボコン経験者とかなら共感してもらえるだろうが、研究段階のロボットは大抵本番で動かなくなる。乙武氏が使用しているロボット義足も正直プロトタイプの段階だ。そんな緊迫感漂う中、我々は新国立競技場へ向かう。もしその勇姿を一緒に応援したいという方がいたら、ぜひ当日トラックの上であおう。一つのプロジェクトの終焉、そしてメンバーにとって新たな序章が始まる。
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