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それでも、正しさの中で、正しさより楽しさを選ぶ

皆さん、おはようございます。

十数年前ね、A君とBさんが離婚しまして。
でね、その数年後、このA君とBさんは、なんと、また、結婚したんです。
もとさやっていうやつです。
それならと、仲間内で、2次会みたいなものをしようと30人くらいが集まりました。
勿論、1回目の結婚の時も2次会やってるので2回目の2次会なわけです。
みんなで、食事を食べ、お酒を飲んで、よかったよかったといい感じで会はすすみ、そろそろお開きにしようかとなりました。
じゃあ、最後に、A君とBさんに、挨拶をしてもらおうということで、挨拶をしてもらったわけです。
その最中に、ある人が、大きな声で、


「3回目も、やるで!!」


って言ったわけです。
その人にしたら、もう、そんなことにならないようにと激励の意味も込めて、冗談で場が楽しくなればと思って言ったんだと思います。
でも、そこにいた大半は、かしこまってか、えっ?こんなめでたい時に、そんなこと言うのって感じです。
確かに、その大半の反応は、正しく、間違ってはいないと思います。


しかし、その反応は、楽しい反応だったのでしょうか?
正しい反応が、楽しさを生んだのでしょうか?
正しい反応は、何を生んだのでしょう?


今、僕は、ある方への返答として、こんなことを言って、場を楽しくすればよかったと思っています。

「ほな、その時(3回目)も、ここでやろか!!」
「また、やってもらえるんや。羨ましいわ!!」
「俺の時も、やってな!!」

などと。


なぜ、僕は、場が楽しくなることを言えなかったのだろうか。

なぜ、僕は、ある方の発言を楽しく膨らませることができなかったのだろうか。

なぜ、僕は、ある方がすべっているのを黙って見ていたのだろうか。


なぜなら、そのある方は、



僕なんですよねえ。



おかげで、僕はすべる、空気は悪くはないけどよくもない、誰が得したねんて話です。
ほんと、だれか何かかぶせてくれって感じでした。


それでも、僕は、ある方のように、正しいことの中で、正しさよりも楽しさを選び続けたい。


楽しい方が楽しいから。


だから、僕は、いつも、楽しさというものを基本にしたいのです。


次回は、Win-Winで考えるというお話です。


それでは、いい1日を。


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