偏見について。
花って俺には関係ないや。
植物なんておばさんとかおしゃれを気にしてる人しか買わないだろ。
哲学本なんて、実践できなさそう。
アニソンばっかり聴いてる奴はオタクだろう。
女性が結婚後子供を育てるんだろうな。
以上のこれらは、私が持っていた偏見の数々です。おそらくもっとある。。。
自分は偏見というフィルターを通して世の中、人を見て生きてきました。今思えば、残念な人生です。恐らく、人生の楽しさを9割以上失った人生だったでしょう。
現状、この偏見は全くなく、逆に
観葉植物や花を1日で1万円以上かけて買ったり、アドラー心理学やエーリッヒフロムにハマったり、SAOとLiSAがすきになったり、彼女と真剣に自分たちのライフスタイルに関して話し合ったり。。。。まだまだありますが。。
自分が変わっていくたびに、以前の自分はなぜあんなに視野が狭く、排他的だったのだろうと考えるようになりました。そこで、偏見まみれだった自分見つめ直す時間を作ったところ、すべての偏見がある2つの要素を含んでいました。
1つは、今の自分のままでいたい気持ち。もう1つは想像力の欠如。
前者は、誰もが持っている欲求だと思います。とにかく自分を変えないことが最も楽。「ありのままの自分」というような考えもありますが、ただのワガママだったり自己中心的な思考に陥りがち。
後者は、価値観の多様性を認めていないことと同義です。自分にないモノを許容できない、視野の狭さからくるモノだと思います。
例えば、私の高校時代。いわゆるオタクと呼ばれる人たちに対して疑問を抱いていました。休み時間に、声優の話をして盛り上がっている人、ジャニーズで興奮している人たちに対して、
現実的に会えない人に対してなんでそんなに興奮するんだろう。直接的関わりが無いなら好きになったりすることはない。特に二次元なんて。。
と思っていました。
ですが、心の支えになることもあるでしょうし、きらびやかな人の美しさや格好良さに感化されて、モチベーションが上がることもあるでしょう。
人によって自分をアゲるポイントは違いますし、精神的な支えにするものも違うでしょう。
私は、当時現実的なもの(恋愛、スポーツ等)に重きを置かない人を色眼鏡で見ていました。要するにダサいと思っていたんですね。
結果として、彼らとは仲良くなれず距離を自分で勝手に作ってしまい、上手くコミュニケーションを取れなかったことは今でも後悔しています。
以上のように、今のままでいたいというのは私の例で考えると、ダサくなりたくないと勝手にダサいの基準を作ってしまったり、自分には合わない、受け入れられないと最初から拒絶してしまう恐れがあります。アニメやアニソンだって、自分が好きな曲があるかもなと聞いてみたり、好きな人たちの話に参加してみるくらいはしたほうがいいと私は思います。極端かもしれませんが。そして、想像することも重要だと思います。人によって好きな食べ物が異なるように、休日の過ごし方、コミュニケーションの取り方、感情をコントロールする方法が人によって異なることを想像し、受け入れることができれば、偏見は無くなるのではないでしょうか。
私自身、完全に以上のことを実践できているとは思っていません。ですが、いつも自分の中で偏った思考を持って相手と接していないか考えて行動していこうと思っています。
ご清聴ありがとうございました。
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