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Thank you 23 2024J1㊲セレッソ大阪vs鹿島アントラーズ

試合内容について今更何も言うことはない。監督が退任するチームのサッカーにしてはあるあるすぎる、なんとも切ない内容。ただただ身体が冷えただけのホームゲーム観戦納め。


なんとなく予感はしていた、山下達也チームキャプテンの現役引退。嘉人みたく、最後はセレッソ大阪で現役をやりきってほしいと期待を寄せられた中で、少しでも戦力になろうともがいてくれたがついにユニフォームを脱ぐ時が来た。



なんのまとまりもないが山下の印象と思い出をつらづらと。


僕の中では最初は山下という名前のなかなか出番がやってこない選手がいるくらいの認識。一度札幌に行ってしまったけど、そこで出番が増えて頑張った結果また帰ってきた選手である以上の印象はなし。実際は大変な苦労があったと僕が知るのは結構後の話。

『今回このような決断をするにあたり、僕自身でいろいろなことを考え、考え抜いた結果セレッソに戻るという決断に至りました。セレッソで試合に出られなかった僕にコンサドーレ札幌はチャンスを与えてくれ、最高のサポーター、最高のチームスタッフ、最高のチームメイトにも恵まれ、J1昇格という目標を達成出来ました。そして来年からはJ1という舞台で皆と戦える。来年も札幌で活躍したい。これからもずっと札幌でプレーしたい。そんな矢先にセレッソからオファーをいただきました。僕なりに短い期間ですが考えて、考えて、本当に辛く寂しい決断になりました。ただ、僕にとってセレッソは特別なのです。18歳の時からセレッソに育ててもらい、5年間在籍しセレッソに何も還元出来ませんでした。まさかこのタイミングで…とも思いましたが、今を逃すとこの先こんなチャンスはないと判断しました。セレッソに行ってももちろんポジション争いがあり、出られる保証はありません。札幌では本当に密度の濃い経験をさせてもらい成長させてもらいました。そんな今の僕でもう一度セレッソにチャレンジがしたいのです。まだまだ未熟者ですが、僕なりに本当に最後の最後まで悩みに悩んでこのような決断にいたりました。来年はJ1という舞台でピッチに立ち、札幌と戦えることを楽しみにしています。札幌サポーターの皆さんへの感謝の気持ち、今年の大きな経験は僕のサッカー人生の中で大きな財産であり宝物です。絶対に、絶対に忘れません。これからも北海道大好きです。コンサドーレも大好きです。最後に一年間という短い期間でしたが、本当にお世話になりました。次は対戦相手として、ライバルとしてJ1で戦いましょう。本当にありがとうございました。』

https://web.archive.org/web/20140830065153/http://www.consadole-sapporo.jp/news/2011/12/011649.html


これは2011年に札幌からセレッソに移籍する際の札幌側に向けたコメント。
「僕にとってセレッソは特別」と古巣愛も表れている。この頃に今の奥様と出会ったと引退セレモニーでは話していたが、2010~12年のシーズンは相当覚悟をもって戦っていたんではないかと思う。
「今を逃すとこの先こんなチャンスはない」
セレッソ大阪に限らず、どのJリーグクラブも人情やクラブ愛でチームを作って身内だけでメンバーを固めていては勝負にならず、力のある選手だけがレギュラーを張れる。セレッソのユニフォームを着たくても着れない選手がいるなかで、自分は着れるチャンスがあるからモノにしたい、でも思うように活躍できないことにもどかしさもあったはず…やっぱりプロは大変。


一部の札幌サポがいうには移籍のタイミングが悪くてDFの補強が出遅れたとかなんとか?でなぜか恨みを買う結果に。でも当時もなんなら今もプロサッカー界は残念ながら弱肉強食の世界なわけで、本当に屈強なチーム作りをしようと思ったらチームを勝たせる熱意と実力を持っている選手で編成を組んで、最後は資金力を高めるほかない。
(今季の札幌の降格も結局は編成の問題ではないかと思ってるが他所事の話なので深掘りしない)

あの当時は、よくセレッソもオファーかけたしよく戻ってきてくれたと思う。


完全にレギュラーに駆け上がったのは2013年。
今思えばいいタイミングでレギュラーになった。モニさんが負傷離脱したのをきっかけに藤本康太&山下達也でCB、右は酒本憲幸シャケ・左は丸橋祐介マル、ベンチは新井場徹か椋原健太。あの当時のDFといえば彼らの名前がスラスラ出てくる。モニさんと康太がベテランになってきた良いタイミングで台頭してくれたので世代交代が上手いこと行った。
もうこの頃からはようやく"山下達也選手"が見れると期待するように。

コブクロを待ち構える進藤を見逃さなかった


ただその翌年は、日本代表合宿に呼ばれたりセットプレーから得点にも絡むようになった一方で、ACLでワグネルラブに振り回され、ちょんまげを辞めたと思ったら一発退場してしまったアウェイ名古屋戦があったり、そこからチームも勝てなくなって、、



一度曜一朗がなんかのインタビューで「DFの人は普段鍛えているから、空中戦や競り合いに勝てている。あんなの僕ら攻撃の選手には無理」といった旨の話をしていた記憶があるが、たしかに山下は足元の技術で勝負するタイプではなく、対人守備・競り合い・パワー・スピードで100%守備の人として勝負できるタイプ。
モニさん・康太・染谷悠太・カチャル・中澤聡太・田中裕介と、たくさんCBができる選手がいて、その中でも山下の存在感は際立っていた。あれだけ脆かった大熊セレッソの守備で、大雨の中京都や岡山の攻撃をとにかく跳ね返すことに徹していた、昇格プレーオフもめちゃくちゃ印象に残っている。


2017年からはチーム全体としてちょっと賢い守備をするようになったけど、ますます山下の存在は重要になっていって、ヨニッチとのコンビプレーはまさに最強だった。初タイトルの瞬間はピッチで迎えた。だんだんとCBにもフィードやビルドアップが求められるようになって、木本恭生やオスマル、瀬古歩夢に出番を明け渡すようになったけどセレッソの守備の人といえば山下の名前は欠かさなかった。
2019年開幕戦、いろんな感情を抱えたなかで挑んだ神戸戦の決勝点は素晴らしかったし、普段そんな得点で目立たない選手だからこそ報われたような気がした。
なのに柏への移籍は突然で、鳥栖にとんでもない逆転負けを喫して、試合後のサブメンバーの練習にも参加していたのに当日のうちに移籍が発表されたから、結構衝撃的だった…


札幌での同僚河合竜二
柏での同僚大谷秀和



柏では13-1の試合を経験したり(相手GKは清水圭介)、一度ロティーナセレッソの前に相手として立ちはだかったりと、違う経験も積んできて、そろそろキャリアも終盤かというタイミングで2022年にセレッソ復帰。

どこまでやれるんだろう、嘉人みたいにまだまだ戦力になれるのかどうかとちょっと期待してた。だが開幕直後に負傷離脱して、舩木翔がその穴を埋めて、ヨニッチも帰ってきて。レギュラーではなくベテランとしての立ち回りが目立っていった。

キヨ、来季は何処へ
マル、ヨドコウ凱旋待ってます


自分がセレッソを応援し始めた頃にプロキャリアをスタートさせた選手が、遅れながらもレギュラーまで這い上がって戦力になって活躍してくれて、大事な試合でヒーローになってくれて、他クラブに行ってもまた帰ってきて、セレッソで最後までやりきってくれたのを振り返ると、僕も長いことセレッソを追っかけているなと思うし、思い入れがある選手がこれからまた1人2人と引退を迎えるようになるのかなと感じる。

就活中の曜一朗
仁川のヨニッチ
茂庭・石神・丹野・柿谷



そんな山下と、ホーム最終戦だけでなくて、2年前のルヴァンカップやリーグ優勝で有終の美を飾れたら良かったけどね。現実はそんな簡単ではなかった。

セレモニーで「セレッソ大阪がリーグ優勝するために、何が必要か、逆算して考えて、勉強して、そのためにこれから歩んでいく」と力強い言葉をくれた。こういうOBが増えてくれることはとても心強い。
本当に動くのであれば、編成とか強化とか、現場だけではどうしようもない部分を強化する部署、あるいは資金力、大きくクラブの力を高めていくためにフロント入りするとか。
コーチ以外にも選択肢はたくさんあるはず。
試合後のゲームキャプテン挨拶で「ここにいるメンバーが来年どうなるか分からない」と隆矢が意味深な発言をしてスタンドがざわついたけど、チームを強くするには選手以外にも統括部・監督スタッフ等も含めて血の入れ替えが必要な場合もあるわけで、実は山下の「セレッソ大阪をスタッフの立場から支えて優勝させる」話と結びついているんではないかと感じた。


ゴール裏から横断幕も出たけど要は「統括部これからどうすんのよ」という話。
初タイトル獲得を果たした一時代を築いた選手たちがこれからOBとなって裏方としてセレッソ大阪を支えていく、そういうフェーズが始まりつつある。
梶野部長も元はセレッソの立派な選手だったみたいだし。山下が統括部に合うかどうかはわからないが、あの言葉を聞くと勝手になにかを期待してしまう苦笑

どんな立場であろうとこれからの裏方としての働きぶりに期待しつつしばらくはゆっくりしてもらいたいとも。
山下・シャケアンバサダー・モニさん・康太コーチでトークイベントとかあったらまあ人集まるだろうな(笑)



最後のホームゲームは、鹿島相手にn連敗ということを気にするどころじゃない展開になってしまったのは残念だが、隆矢に代わり途中出場してJ1通算150試合出場を達成。こんなタイミングで節目の出場記録が訪れるとは持ってる人だなと思うし、最後に何度か空中戦で競り勝つところも見れた。イエローもなぜかもらってた。


試合前のコレオも良かった。山下の背番号は最初は28だったけど「23」番になった特別な理由ってあったのかな。
「23」はかつてドルトムントで大暴れしたあの方がヨーロッパでつけていた番号でもあり、"大好きな山下(達也)選手が付けていた番号でもあるので、付けたい思いもありました"と言って一時期帰ってきた_______今は静岡にいるあの方がつけていた番号でもあり、、
来年以降誰かが継承するのかどうかも楽しみ。


記憶に残るたくさんの思い出をありがとう山下達也選手。
選手でなくなっても、裏方としてセレッソ大阪の優勝のために、あきらめずともに歩んでもらいたいです。



p.s. PC新調したのでまた適当にnote再開させるかもしれないししないかもしれません。

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